リファインド・セイリーン
アン様はとても優しい。初めて会ったあの頃から、それは今も変わらない。
私はアン様と初めて会ったあの時を、生涯忘れない。あの時から、私は「リフ」になった。
「リファインド・セイリーン。君の犯した罪は国家反逆罪だ。」
その時、私は自分の全てを捧げ、生きた国から追われていた。
「…お前らは、ハイクの闇を知らん。」
暗殺を生業としているハイク帝国の暗所。クロウと呼ばれる集団へ、諦めと共に出た言葉がそれだった。奴らの仕事は、的確に標的を亡骸にして持ち帰ること。
「リファインド・セイリーン。そもそも、闇なんてものは誰にでも、むしろそこら中に溢れている。」
「…。」
「君は少しだけ、運と頭が悪かった。」
「…認めよう。」
「剣奴から成り上がった君の腕は、万人が認めるものだ。」
暗い森。木々が風で揺れる音の中で、7人ほどの集団、全員の外套の隙間から光るモノが顔を覗かせた。
「しかし、マナの切れ掛かった剣士に銃弾はいつまで防ぎきれるだろうか?」
「…もういい。」
「君が盗んだものは、君の命ごときで償えるものではない。…らしい。そんなことは私達に関係ない。」
全ての銃口がこちらを向いた。
「私達は、ただ食べに来た。」
「…。」
「君をね。」
マナを撃ちだす際に出る発光を確認したとき、私は身体の力を抜いた。身体を覆った外套の端々が破れ、衝撃で身体は宙を舞った。
一連の銃声が止むと、クロウの1人が外套の至るところを穴だらけにして倒れている私に歩み寄る。
「…脈拍ありません。」
「うん。こいつが盗んだものは、すでにこの世に無いらしい。回収の手間も省けるってものだよ。」
その瞬間、声を消すようにけたたましいサイレンが鳴り響く。
「何事だ!?」
「ベヘルス公爵家の、私邸警備によるもののようです。気づかぬうちに邸内の警備網の中に入ってしまったものと思われます。」
「チッ。行くぞ。」
「レイン様、遺体の回収は?」
「捨て置け。その男のマナデータは抹消済みだ。」
黒い集団は、闇へ消えるように姿を消した。
「…行ったか。」
私の身体には、ひとつの傷もついていなかった。私が盗んだものは、ハイク帝国が秘密裏に研究していたとされる軍事兵器。コードナンバー「ウンディーネ」。風と水の一部の魔法を、ほとんどの詠唱をせずに使用できるというものだ。外套の下に水の壁を作ることで弾丸から身を守り、脈拍を測られる前に風で腕の血流を止めた。
私が盗んだのは、液体状の古代テクノロジーと最新術式を混合させたという源溶液。ウンディーネは液体を人間の身体に投与することで魔法の使用を可能にする。このウンディーネを培養し、量産して、ハイク帝国は世界条約としての休戦協定を破り、戦争を再燃させようとしていた。
剣奴から力だけを頼りに成り上がり、ハイク帝国で騎士の称号と爵位を授かったばかりの私は、その計画を知ったあと、すべてを投げうってでも止めなければいけないものだと思った。
そして、誰にも話さずにウンディーネを盗み、逃げるためにウンディーネの力を自らに投与した。
そのあとのことは簡単だと思っていた。国から逃げて、諸外国に亡命し、ハイク帝国の計画を流して終わりだ。そうなるはずだった。しかし、国と国との意識というものは、私の考えよりも遥かに強固だった。いや、陰湿と言える。
ハイクから亡命した私は、アナヒット大陸にあるヘレナへと向かい王宮へと進言した。その結果、ベヘルス公爵家の近くにある森林部、王宮関係者と密会する予定の場所へ、なぜかハイク帝国の暗部が来たわけだ。
しかし、ウンディーネに関しては王宮へも自ら投与したと言わず、途中で川へ流したと言った。だからなのか、王宮で詮索されることはなかったし、クロウの連中も私が持っているとは思っていなかったようだ。
この力を、無闇に話すわけにはいかなかった。見せれば、脅威と示すことは容易い。しかし、それは私個人が脅威とも取られかねない。話の通じる、重要な役職に就く人間以外には見せることは出来ないと思った。
そして、今、私は死んだのだ。
情報的に、私という痕跡だけを残して。
そう考えて、柄にも無く今までの人生を振り返った。なんてことのない、ただ人と関係することを嫌って生きてきた男が居ただけだった。私には何も無い。剣奴の頃は、誰にも関わらずに生きてきた。擦り寄ってくる輩へは、無視と拳で応えた。騎士になってから、ハイクを出るまではたったのひと月ほどだ。特に思い返すことも無い。ただ、言葉の少ない私に、笑顔で接してくれた女中や、目つきの悪い私を恐がらずに花をくれた名も知らぬ小さな娘が居た。ハイクに置いてきた。これから何年かして、戦火に包まれるかも知れぬ地へ。
最後まで、何も出来なかったのだ。
いや、私は何かを成そうとしたのか?本当に?
誰にも奴隷であったことを知られること無く、この先生きていけることに喜びは感じていないのか?
卑しい。
卑しい犬だ。
私は奴隷として生まれ、盗んで殺された。それは卑しい犬だ。
星を仰ぎながらそんな事を考えていると、草を踏む音で背後に人の気配があることを認識した。
腰の剣に手を置き、起き上がってから外套を脱ぎ捨てた。
「…どうしたの?」
幼子か。
珍しい髪の色だな。周りの空気が冷えた気がする。
「私は…どうしたのだろうな。」
言葉が出ない。本当にどうしたのだ。私は。
「あたしは病気なの。部屋から出てはいけないって、お父様から言われたのだけど。今日はとても良い事があったから、天国のお母様にあげるお花を摘みに来たの。」
そうか。母にあげるのか。
「では、花を摘んだら帰りなさい。私も帰…?」
涙が頬を伝った…のか。
「あたしは悲しい時、どうしても辛い時、自分とお話しする。」
…止まらない。なんだこれは。
「どうして?とか、なぜ?とか、たくさんの言葉は奥にしまって、楽しくお話しするの。」
「…そうか、私も出来るかな?」
拭っても、拭っても、こんなに流れるものなのか。涙とは。
「出来る。一つだけ持っているあたしの本には、書いてある。『悲しい』は続かないって。」
「…君は賢いな。」
「君じゃない。アン。」
「そうか、アンはとても賢い。」
「アンは今からあなたの『悲しい』になった。」
「…私の?」
「そう。う!ああ、う、嬉しいに負けたぁ~…。」
「…。」
「これで、あなたの『悲しい』は、もう居ない。あたしと会って嬉しいが勝ったから。」
「…そうか。」
「だからもう悲しくない。そんな顔しないで。アンも悲しい。」
「…うっ…ぐ…私の悲しみは…もう、居ないのだな。」
「そう。もし、また悲しい顔になりそうだったら、アンに会いに来て。」
嗚咽と涙と、喜びがそこにはあった。もうこの子の言葉に答えられなかった。
「アンは病気だから抱きしめてあげられないけど、次に会うまでには頑張って治す。次は頭を撫でてあげる。」
「…ああ。頼む。」
アン様との邂逅は、私に生きる意味をくれた。ハイクに残してきた人々から、そしてアン様から『悲しい』を無くす事こそ、これから私が従事すべきことなのだと思った。そして、ベヘルス家の門を叩いたのだ。
ベヘルス家はヘレナ国との関係も薄く、ハイクの情勢にも疎いようだった。それからアン様の成長を祈り、アン様の『お仕事』への熱意を知った。アン様は、自身のお仕事で多くの民が救われていることを私に語ってくれた。顔も知らぬ死んだ母と、年に一度会えるかどうかの父。アン様は、年々強くなる自身の冷気から、12歳を越えて一度も外へ出なくなった。彼女の冷気で、人が傷付いたからだ。それからというもの、一層『お仕事』の時間を増やし、彼女へ会える者はマナで自分を守れる人間だけとなった。
彼女の意思を尊重したいと思った。強く、純粋で、優しいアン様の言葉を、心酔するように信じた。大丈夫という言葉の裏側にあるものを、アン様の光で照らされた向こう側を、私は見ることが出来なかった。
それを、雪緒という名の男は簡単にやったのだ。
いや、長く見過ぎていた私には一生出来なかったのかもしれない。
ハイクの情勢は私の思慮から外れるように落ち着いていて、アン様と数日に一度会う事が出来る今を、このまま何も起こらないことを、私は望んでいたのかもしれない。
歪んだ平穏に毒されたのだ。
私は見誤った。
しかし、アン様の笑顔が、アン様の幸せが、いま守られようとするならば、後悔よりも先に私は剣を抜こう。
いま一度守らせて頂けるのなら、今度は誰よりも平和を疑える心を持って。




