アン
ベヘルス公爵家に侵入してから、2時間ほど経過した頃。10キロくらい離れた山の中にある、炭焼き小屋のようなところに居た。現在、昼の1時頃か。ベヘルス公爵家で助けた?と思っている少女は、部屋の隅で布に包まってすやすやと眠っている。
ノアの機能で、俺のマナを使い彼女は回復しているらしい。しかし、本来ノアはマナを使って人を癒すことが出来るわけではない。彼女と俺は、ノアを中継してマナそのものが交じり合うように結合している。なので、俺のマナを使えば彼女の治癒は可能なのだという。逆は駄目だ。彼女のマナで俺を癒すことは出来ない。あくまでも本体は俺って事らしい。まぁ、必要ないほどのマナが俺にはあるみたいだが。現在も、死ぬ寸前の彼女を癒したにもかかわらず、俺はピンピンしている。
「これから、どうしよ…これって、どう考えても誘拐ですよね。ノアさん?」
「他人の家から子どもを無断で連れて行くことは、誘拐であると断言します。それ以外の言葉はデータにありません。」
さ~、どうしよ。煮詰まってきた。頭の中が。
「でもさ、さっきこの子が言ってた言葉。あれが気になるんだよな。」
「録音してありますが、再生しますか?」
ほんとコイツ便利。でもさ、土壇場で知る機能が多すぎなんだよ。ちゃんとしろ。俺。
「あ~、じゃあ頼む。俺にだけ聞こえるようにな。」
「了解。」
『…あたしは…母様を死なせたから、だから、父様は怒るから。でも、みんなのためにお仕事をすれば、あたしの部屋に会いに来てくれるから。頑張らないと、あたしは要らない子になっちゃうから…。』
これって、完全に虐待だよな。
「なんらかの原因で母親が死んで、それが子のこのせいってことになってる。父親はこの子に仕事をさせていて、頑張っていれば怒らない。そして、この子にも会いに来てくれる。やらないと、要らない子に…。」
メキメキと座っているテーブルの端が音を立てる。右手で端のほうを潰してしまった。
「あかん。この子はあかん。」
「それは日本の関西圏で使われる方言でしょうか…。」
「うるさい。とりあえず、この子の身元をデータで調べることって出来るか?」
「否定します。この少女にはマナデータが存在しません。」
…ってことは。出生登録もしてない子どもなのか??領主の娘なのに??そんなわけないだろう。そんな事態は想定していない。いや、どんな事態も想定出来ていないのだが。
「ノア。そんなことありえるのか?」
「一部の地域では、データ化出来ないほど奥地に住む子供がいるために、マナデータの登録が行き届かないこともあります。しかし、領主の娘がマナデータを保持していないというのは異常な事態だと言えます。」
だよな。そのへんの常識からは、俺ってずれてないみたい。
「ノア。今からベヘルス家に電話って出来るか?俺だとばれないように。」
「肯定します。国営軍特殊部隊の探知でも回避できます。」
そいつはスゲー。しかし、大げさ。
「現在、ベヘルス公爵家では大規模な捜索活動が行われている様子です。」
もう居なくなっていることがばれたみたいだな。
「わかった。電話の音声も特定できないように出来るか。」
「可能です。」
「よし。掛けろ。」
耳からコール音が響く。すぐに繋がった。
「はい。ベヘルス本宅でございます。」
女性の声だ。
「領主を出して欲しい。」
「…!! は、はい。少々お待ちください。」
横からがさがさと音がする。
「貸せっ!…貴様、どこのどいつだ。」
「娘は預かった。明日の朝に届けに行くから。」
「…な、は、何を言って…。」
そこで通話を終了したかったけど、切り方が分からない。ので、左手に「終了」と言ったら切れた。
「雪緒。少女を返還するのですか?」
「返すわけねーだろ。でも、ここまできたら憲兵さんに任せて終わりっていうのも、俺の気が治まらん。」
「では、どのように?」
「とにかく、この子が目を覚ましたら、もう一度話を聞いてみる。」
それから2時間ほど、少女はゆっくりと目を覚ました。いつもと違う風景に目を丸くしているが、それよりも床や壁をしきりに触っている。
「起きたみたいだな。お腹空かないか?」
さっき、ひとっ飛びして街まで食料と飲み物を買いに行ってきた。柔らかいパンと、保温性の高い容器に入ったスープだ。ごった煮みたいに肉や野菜がたくさん入っているやつで、味噌っぽい香りがする。実はいつ起きるか分からなかったので、容器だけ別で買った。水筒にも使えそうだったし。あと、さっぱりした甘味の強い果物。酸味があまり強いと、胃に刺激的過ぎるかなと思って。イチゴよりも大きいが、オレンジ色でイチゴに近い味がする。
テーブルに並べていた。まずは何か飲むかな。とりあえず何の乳かはわからないが、ミルクを買ったのでコップに注いで渡す。
「…あなたは誰。」
基本的に、この子って無愛想なのよ。
「俺は雪緒。親切なお兄さんだ。」
「…親切な人は、リフとセイネ。あなたは知らない。」
警戒されているみたいです。そりゃそうだ。
「さっきの事、覚えているか?」
「さっき…あ!ここはどこ!?あたしに近づかないでっ!!…えっ?床や壁が…冷たくない。」
意識がはっきりしてきたようで、また床や壁を触りだす。
「もう大丈夫なんだ。君の周りは冷たくならない。」
「…え、なんで、どうして。イヤ…近くに来ると、あなたも凍ってしまう。指を隠して…。」
パニックになりかけている彼女を、どうしようか迷ったけど抱きしめた。
「大丈夫。俺は傷つかない。これからも、君の周りで誰かが傷つくようなことは無い。」
「…だ、だって、シーネの指も、大工さんの指も、あたしが…あたしの近くに居たから…。」
「…手を出して。」
彼女の左手を持って、俺の顔の前に向ける。そのまま、彼女の手を俺の頬に当てた。
「とても温かい手だね。とっても柔らかくて、とても気持ちがいい。」
「……どうして?」
彼女の瞳から、大きな涙がこぼれた。
「…あなたは神様の使い?だったらあたしの指を、あたしのせいで無くしてしまった人たちへ送ってあげて。細くて弱いけど、あたしに出来るのはこれだけ…。」
あぁ、なんて。
「お願い。…痛くても、苦しくても我慢する。あと…出来ることなら、お父様にお母様を返してあげて。あたしは寂しくても大丈夫なの。頑張ってお仕事もする…。だから…だから…ねぇ…。」
なんて残酷なんだ。
ああ、もういい。この子だけは守らなければいけないんだ。
そういうものなんだ。あとのことはどうでもいい。
「頼む。俺の話を聞いてくれ。君のまわりで傷つく人はもういない。君を救いたい。」
「…あたしは、救われるような人間じゃない…。」
「君も、俺も、真実を知らない。」
「…真実?」
「俺は、君が今置かれている現状を、少しだけど理解しているつもりだ。君の『お仕事』って、どういうものなのか、教えてくれないかな?」
「…機械に手を入れる。あたしの病気…冷たいモノが、機械に吸われていくの。病気も治るし、このお仕事で助かる人たちがたくさん居る。お父様がそう言っていた。」
やっぱり、彼女の『お仕事』はマナを吸収されることか。
「ノア。彼女にも聞こえるように話してくれ。彼女が機械に吸われていたものは?」
「彼女自身のマナだと推測されます。」
どこから声がするのかわからない、といった表情で辺りを見回す少女。
「なぁ、マナってわかるか?」
「うん。人や動物のエネルギー…。」
「そうだ。そこまで分かってれば、続きを話しても大丈夫だな。ノア。彼女が居た部屋の隣にあった物は」
「人間から取り出したと思われるマナが、およそ3,000人分です。」
「それの使い道は?」
「ベヘルス公爵家の裏帳簿と思われるデータから、輸出入の際に使われる『冷性マナ』の販売データが発見されました。それによると、ここ7年間で毎年2000,000テイルの実益があると記されています。このことから、彼女のマナを販売していたと実証出来ます。」
そういうことなのだ。
彼女が起きる前。ノアが先ほどベヘルス公爵家でハッキングしたとき、邸内のデータから見つけたらしいことを報告してきた。その中から、もう1つ分かったことがある。この子は、領主ヘイネ・ディノ・ベヘルスの『実の娘』ではないということだ。
彼女、名をアンという。彼女はハイク帝国の奴隷商から『買われた』のだった。1歳頃のアンは、特殊な体質がベヘルス公爵の目に留まって購入された。その後、7歳を迎えてから現在までの7年間、マナを吸われ続けていたのだ。
アンは、その体質と身分を隠さなければいけないという事情から、城の外へ出されることは無く、本やネットの中でしかこの世界のことを知らないらしい。その辺も、かなり鮮明に記録されていたようだ。
彼女の身体から作られる冷性マナは、貴重なものらしい。輸送の際に鮮度を保持するために使われるらしいのだが、魔法で作られた氷よりも、鮮度を長く保ち続けることが可能だということだ。また、冷性マナはハイク帝国があるハイク・ナハペト大陸の北に位置する土地でしか採取出来ないということもあり、高価な資源としても知られている。
そして、問題はこの世界に無いテクノロジーを使っていたという部分だ。アンのマナを吸収する際には『人のマナを吸いだす装置』が使われていた。そんな機械はこの世界に流通していないという。では誰が…シーカーだろう。ダンジョンで見つかる未知の魔導テクノロジーを、レイスに持ち帰ることが出来るのはシーカーだけだ。またベヘルス家には、そのテクノロジーを研究して使用することを可能にした魔導士もいるわけだ。
なんだか、俺一人の手には負えない事態な気がする…。
「いま、君が置かれている状況は説明したとおりだ。」
「…そ、そんなこと…。信じることが出来ない…。」
いきなり言われたら、そらそうだ。
「俺も全部が真実かなんてわからない。君の父親を名乗っていた男は、犯罪を犯しているらしい。そして、もしかしたら君に使われていた機械が、別の場所で同じ事を繰り返す恐れもある。」
「…。」
「でも、そんなことどうだっていい。」
「え!?」
「君さえ幸せになれば、今の俺にはどうだっていい。」
「い…いや、でも。」
「だから、君の父親に確認しに行こう。」
「…。」
「あなたは、私のお父さんですか?って。」
「…。」
「それでも、君にしたことが事実なのだとしたら、君を苦しめるのが父親なのだとしても、俺は許さない。」
「…。」
「君の名前は、アンだよね。」
「…そう。」
「アン。俺はとても頭が悪いんだ。目の前に居る女の子が、苦しむ顔を見ていられない。とても格好つけている言い方だし、恥ずかしい言い回しだけど、君を救わないと今日は気持ちよく眠れそうにない。」
「…そう。でも、親切だと感じる。」
「そう言ってもらえれば、もう怖いものはないかな。」
「……もし、あなたの言う事がすべて真実だったらどうしよう…。」
「好きなように生きたらいいよ。でも、君のマナは俺が抑えている状態なんだ。他に方法が見つかるまでは、一緒に居てもらわないといけない。」
「…とても迷惑でしょう。」
「そんなの、アンを助けようと思った時にわかっていたことだ。とにかく、スープが冷める前にご飯を食べないか?俺もお腹が減ってきた。」
「…うん。あたしも。それに、こんなにおしゃべりしたのは初めて…。」
はにかんだアンは歳相応に可愛く、とりあえずホッとしたのだった。




