村井part.2
階段を降りて一階に辿り着くとそこには既に人だかりができていた。どうやら生徒玄関の出口の前で教師たちが見張りをしているらしく、実際にブルーシートの中身を確認した生徒はこの場にはいないみたいだ、ということが野次馬仲間たちの会話から読み取れた。
教師たちは見張ってはいるものの、生徒を追い返すほどの余裕はないらしく、それがさらに場を混乱させる原因となっていた。集まる人が増える一方で、教室へと帰る生徒はほとんどいなさそうだった。
前田の方をちらりと見ると、相変わらず特に表情の変化がない顔が見えた。何も考えていないのか、それとも感情を押し殺しているだけなのか、私には判断がつかなかった。
私と前田は人波に飲まれぬよう生徒玄関前を抜けた。生徒玄関のすぐ隣には保健室があって、扉のガラスから中を覗いてみるとそこには二人の女子生徒がいた。二人とも知らない生徒だった。一人は丸椅子に座り俯き、もう一人はベッドに腰掛けタオルに顔を押し当てていた。養護教諭はいないようだった。
情報を集めるために保健室に入ろうとすると、引っ張っている前田の腕に少し力が入った気がした。少し戸惑って、彼を見上げると彼は私の目をじっと見つめてきた。先程の無表情とは似てもつかない力強さだった。何だか事件に際して盛り上がりたいだけの野次馬精神を非難されている気がして、ただ頷くことしかできなかった。しかし、そうすると彼の腕から力が抜け、引っ張れるようになった。どうやら入室を許されたみたいだ。
引き戸をおそるおそる開けたが、それでもガラガラと音が出て、二人がこちらを向いた。タオルの子は目だけを出していた。瞳は潤み、赤くなっていた。ひどく泣いていたようだ。
何とか保健室には入ったものの、空気が重くて一言も発することができなかった。情報を集めに来たというのに、状況に飲まれてしまい、何もできない。私は非力な私を痛感する。前田の手を掴むことはできたのに、真実は掴めないというのか。
入口に立ち尽くしていると、前田が私の手を振り切って丸椅子の子の元へ歩いていった。ただぶらつくだけではない何らかの目的が見えた。彼は彼女の隣へ行くと丸椅子をもう一つ引き寄せ、自分も座り込んだ。そして顔を近づけて小声で何かを話し始めた。動作の滑らかさからして、二人は知り合いなのだろう。それもある程度親しい仲の。
目の前には私の知らない彼がいて、知らない関係がある。私の知らない世界がある。その世界には飛び込んでいくことができない。無理に飛び込んだらその先には関係の死が待っている。人間関係の狭い学生にとってそれは肉体の死に近いものがある。決して許されない、絶対的な領域。
私は体を持て余してしまっている気がして、扉の横の壁に背中を預けた。貼ってあった「ほけんだより」がくしゃっと音を立てた。タオルの子は再び泣き出したようで、すすり声に呼応して顔が揺れていた。
いつの間にか前田は話を終えて私の隣にいた。私がぼうっとしていたので、肩をぽんっと叩いて、「帰るぞ」とだけ言った。私は抗うことなく頷いた。
保健室を出ると、教頭が生徒玄関にいる生徒を追い払おうとしていた。先程までとは違い、生徒がこの場にいてはまずい理由があるらしい。生徒たちもその鬼気迫った様子に気圧されてぞろぞろと教室へ戻っていった。私と前田はその最後尾について教室へと向かった。
階段を上る途中、遠くの方から救急車の音が聞こえ始めた。その音は徐々に大きく鮮明になり、最も現実味を帯びた瞬間に止まった。
私は不安になり前田を見つめ、尋ねようとした。一体何があったの? と。しかし、口が動くよりも早く彼の手が動き、人差し指を立て私の唇にあてた。「今は何も聞くんじゃない」とでも言うように。どきりとして彼の顔を見ると、先程同様の力強さの陰に、どこかやりきれないような寂しさが浮かんでいた。その表情の下には、どんな思いが秘められているのだろう。彼の世界に何があったのだろう。私は彼のことを知りたいと思った。
ブルーシートの下の真実もさることながら、彼の表情の下にある、彼の真実を知りたい。そう思った。後で色々聞いてみよう。今回の事件のことと一緒に。今回の野次馬精神はいつもとは違う。これが恋なのかもしれない。そんな予感がした。




