第二話:良薬口に苦し
「教会による、魔法崇拝者封じ込めの成功からもうすぐ百年。各国で催される記念式典の準備を進める彼らは、大盛り上がりのようです!!」
バーテンダーが引っ張り出してきた二十一インチほどのモニタには、司祭や司教のコスプレをした連中にもみくちゃにされているレポーターが映されていた。
「……くっだらない」
エウレカの最奥に位置するテーブルに――そう、椅子ではなくテーブルに直接座ったアサコが吐き捨てた。テーブルの高さは低い。椅子の座面よりわずかに高い程度のため、座るには支障がない高さと言ってよいが、座っていいというものでもない。
バーテンダーは、黒髪をオールバックに撫でつけていることと、口ひげをはやしていることから老けて見えるが、まだ三十代だそうだ。教会が魔法崇拝者をこの島に封じ込めて世界を救ってから、若い世代は特に教会を絶対的な存在とする教育を受けている。それ故、教会所属の人間の振る舞いを諌める気はないのか、俺が巨大イモムシの粘着糸でべたつく身体を洗いもせずに再訪しても、傍若無人なアサコの所作を目にしても、眉ひとつ動かさなかった。
「戦争が終わったなんて思ってるのは、『外』の連中だけよ。島では、私たちが今も戦ってるのに」
アサコは、口中に蠢く苦虫が本当にいるとでもいうように、それを噛み潰すような口の動きで言った。
テレビレポーターの言う通り、五百年以上前、突如世界に出現したバケモノ――魔生との戦いは、その発生源があるこの島の周囲を強力な結界で覆う「封じ込め」が成功したことで百年前に終結した。
無限に魔生を生み出す謎の物体は、ウィザーディアンが掘り当てたという|原罪の魔球《the Sphere of Original Sin》と呼ばれる巨大な球体だ。奴らに言わせれば、球体の内部には魔女が息づいており、いつしかそれは魔球の外に出て、教会が支配する世界すなわち神の国を滅ぼすのだそうだ。
実際、ウィザーディアンと魔生の軍勢は世界を滅ぼしかけた。それを救ったのが、俺が属する教会の戦士たちと四人の征伐者だ。四人の征伐者はキリスト教で言うところの四人の熾天使のような伝説の存在として今も祀られているが、アサコが言うように、それはくだらないことだ。なぜなら俺たちは教会を名乗ってはいるが、実は宗教団体でも何でもないからだ。世界を統一するのに利用しているだけで、ウィザーディアンを異教徒呼ばわりするのも、過去の歴史に倣って人殺しを正当化するための手段として呼称を用いたに過ぎない。
「ナギ……その薬、やめられないの?」
粘着糸を取り払う作業を諦め、|見るも無残な状態《ずぶ濡れな上にねちょねちょ》となった法儀式済みの外套を脱ぎ捨て、ブーツの中に古紙を詰めては取り替えるという作業を終えた俺が、いつもの錠剤を飲下す姿を見て、アサコは顔をしかめた。
戦闘行為を行って力を使った場合、二十四時間以内にTNF――腫瘍抑制因子《Tumor Necrosis Factor》を増大させる作用を持つという錠剤を服用しておかないと、俺の脳にできた腫瘍が成長してしまうというのだから、飲まないわけにはいかない。「薬を止めるときは死ぬ時だ」とは、俺たちが訓練学校で繰り返し教えられてきた言葉だ。本来人間としてはあり得ない膂力を発揮し、異能の力を行使することができるのはこの腫瘍のおかげなのだが、悪性新生物が増大し、重要臓器や血液を侵すようになれば死んでしまう。
ただ、どんな薬にも副作用はある。
ポンッ! という小気味いい音は、バーテンダーが発泡葡萄酒の詮を抜いた音に反応して、ビクリと肩を震えたのは黒髪の青年――ナギだった。
「ナギく~ん?……あれはね、怖いものじゃないんだよぉ?」
怯えた表情で、身長百八十センチの身体を折り曲げてテーブルの下に隠れたナギに、私は精いっぱいの猫撫で声を出した。
「……ほんとう?」
テーブルに座った私の足の間を割って、とっくに成人した青年の頭が出て来た。そのまま上を向いたらゲンコツを落としてやる。
「TNFの副作用というやつは、どれも散々なものでしたが……今回のやつは強烈ですね」
「そうね……ところでグラス、フルート型にしてくれない?」
バーテンダーがやや青ざめた顔でクープ型のグラスを出してきたのを、やんわりとお断りした。数分でもとに戻るはずのナギが、女性のおっぱいから型をとったという逸話があるグラスを見たら、怒るからだった。私はあまり細かいことは気にしないのだけれど、彼は変なところにこだわる。
フルート型のグラスに、透明感のある黄金色の液体が注がれ、繊細な泡がたくさん発生していた。私はグラスを手に取って、「乾杯」と一応言ってから口を付けた。
「ねえ、それなに?」
テーブルの下から這い出した二十七歳の青年が、無邪気に平仮名で話しかけてくる光景は実に不気味だった。
「これはね、発泡葡萄酒という飲み物だよ。君が注文したんでしょ? 飲んでみる?」
私は自分が口を付けたグラスを差し出した。立ち上がったナギは少し屈んでそれを受け取り、素直に口に含んだ。同じことを、彼がTNFを服用する前にしていたら、まず先んじてスパークリングを飲み始めたことを咎められただろう。
「うえっ! からい! すっぱい! まずい!」
TNFの副作用によって幼児退行を起こしたナギは、一杯どころか一口いくらするのか考えただけでも冷や汗ものの液体を飲んで、「まずい」という三文字で感想を締めた。
「やれやれ……動画を撮っておいてやりたいよ」
グラスを私に返して、バーテンダーが絶妙のタイミングで差し出したお冷をガブ飲みしているナギを見て、私はため息をついた。
「いやはや、こうなると分かっていて、よくためらいなく服用できたもんだ」
バーテンダーが困惑顔で、褒めているのか貶しているのかわからない感想を漏らした。
「……ま、飲まなきゃ死んじゃうんだから、仕方ないといえば、仕方ないよね」
「技官殿は、彼とは既知のようですね?」
スパークリングを煽って再び嘆息した私のグラスにお替りを注ぎながら、バーテンダーが好奇心を隠さずに訊ねてきた。
「まあ、ね……」
私とナギは、教会の訓練学校で出会った。
私は、入学の段階で征伐者の適応はないと診断されていたから、あとは技官を目指すか、島で暮らす一般兵にでもならないと、魔生との戦いに関与できない存在だった。
しかし、一般兵が相手にするのは魔生の中でも矮小な存在だけだ。それは通常火器で十分に対処できるレベルの、要するに雑魚だ。私は、十五の夏に両親と友達を異教徒どもに殺されてから、絶対に奴らをこの世から消し去ると心に決めていた。それを成すには一般兵になって雑魚を相手にしていてはダメだ。そんな役は、死刑が確定したような重犯罪者がやっていればいいんだ。
そんな思いを秘めていた私は、死に物狂いで勉強した。魔生が封じ込められてから平和になった世界では、私の様な孤児は滅多にでないそうだ。しかしごくまれに不慮の事故や病死、異教徒のテロ活動による犠牲などで、親類を失った不幸な少年少女を教会は保護して、島で戦う戦力として教育する。もちろんそれを拒否する者だっていたのだけれど、教会は洗脳や脅迫という手段を用いてでも、魔生と戦う人員を確保していた。私の場合はそういう余計な手間をかけなくても、異教徒撲滅に向かって邁進できた。
卒業を間近に控えていた早春、結界技官と征伐者候補生の共同訓練の場で、私はナギと出会った。TNFの内服によって一時的に見せる幼児期のナギ少年は、好奇心旺盛なくせに臆病で、素直であるが故に騙されやすい、とてもかわいい性格だった。しかし、征伐者候補生として初めて私の前に立ったナギは、まるで性格の暗さを体現したかのような漆黒の髪に、同じく黒の瞳に炯炯とした光を宿していた。背筋は曲がり、制服のポケットに両手を突っ込んで地面を見つめたまま自己紹介もせず私の前に立った彼からは、無遠慮に殺気が発せられていた。
「……一応、学年は私の方が上なんだけど、先に自己紹介させてもらうわ。私はアサコっていうの。よろしく」
征伐者候補生といえば、訓練学校生の中で形成されたカーストの中では最上位に位置し、彼はその候補生の中でさらに一握りしかいない危険度S――腫瘍の移植によって発現した能力の強弱によって付けられるランクの最上位に分類される存在だった。腫瘍の移植には成功したものの、発現したものが戦闘には使えないような能力だった者や、弱すぎて一般兵と変わらない扱いを受ける者も少なからず――というか、それがほとんどであった中、ナギは訓練学校の教官をして「四大征伐者に勝るとも劣らない逸材」と言わしめていた。
そんなエリートとペアを組まされる以上、私だって結界技官としての成績は優秀の遥か上をいくものだった。それでも私は、憧れの征伐者となる道を約束された男を前にして燃え上がった嫉妬の炎をどうにか爆発させないようにコントロールしつつ、最低限の礼儀は尽くそうとした。
「俺がお前の名前を知ることで、訓練の質が上がるのか?」
征伐者となること以外、眼中にない――。これまでもそんな風に言う候補生は沢山いたが、ナギの場合は本気度合が段違いだった。征伐者専用に開発され、彼が内包する強大な念動力に対応できるよう専用化された対魔法戦機関砲が収納されたケースを片手に、私の方を見ようともせず訓練用転送装置へ向かった。なにかに疲れたように曲がった背中が「早くしろ」と語っているかのようだった。
「……転送用意」
私はいら立ちを隠すことなく、仏頂面でコンソールに向かっていた。訓練のために想定された状況は、島の北結界棟を破壊にかかった魔生を征伐する――希に複数発生する魔生に対処していたために征伐者の到着が遅れ、すでに棟に損傷が出始めているというものだった。制限時間五分以内に結界外に征伐者を転送し、万一棟が破壊された場合に備えて残る結界棟の出力を上げて、島を包む結界を維持する必要があるため、私以外に三人の結界技師が参加していた。それはどちらかと言うと、卒業間近の結界技師の訓練に、ランクSが付き合ってやるという形だった。
「……」
ナギは無言だった。マニュアル通りなら、結界技師の声掛けを復唱してもらわねばならない。当たり前だが、訓練はマニュアルに忠実に行わなければ減点だ。私は後ろで見ている教官を振り返ったが、笑顔など見せたことがない鬼教官が不気味に苦笑いしていた。
いいから、続けろ。教官がそう言いたげに、払うように手を振って続行を指示した。その態度にさらに怒りを燃やした私は、ついそれまで隠してきた地が出てしまっていた。
「XY座標てきとー。垂直的座標もてきとー! とりあえず攻撃対象の目の前に放り出してやるわ!!」
訓練で行われる模擬戦闘には、ランクSの候補生に限っては疑似魔生体が使用される。過去に征伐された魔生体を繋ぎ合わせて復活させたそれは、素体によっては生前のものより強力になるらしいが、どうせすぐに消し飛ばして終わりでしょうと思っていた。それは後ろの教官も同じだったようで、動き回るだけでなく、個体によっては鉄をも溶かす熱線を発したり、帯電したブレスを吐いたりするような魔生の目の前に転送するなどという愚行を行うと宣言しても、涼しい顔だった。
そしてそれは、カタパルトに乗ったまま微動だにしないナギも同様であった。
「GO!!」
ままよ。と赤いボタンに拳を叩きつけた――。
瞬時にナギの身体が分解され、分厚い結界を構成する粒子の隙間を通って、その向こうで再構築された。
解放した途端に暴走して犠牲者が出たことがあるらしく、征伐者が専用装備を結界の内側で使用することは禁止されている。それ故に、攻撃対象の眼前に転送することは通常ありえない。征伐者はまず、専用ケース――なぜか子供用の棺桶に似たそれから装備を解放する必要があるため、転送終了から戦闘可能になるまで数秒から数十秒のタイムラグが生じるのだ。転送終了直後に熱線を浴びて御陀仏なんて、笑い話にもならない。
訓練用のイミテーションは、そんな特殊かつ強力な攻撃方法は持ち合わせていない。ランクS――まさしく人外の力をもった未来の英雄ナギは、魔生の身体を継ぎ接ぎして造られた木偶のごときイミテーションの目の前に転送することで、少しでも意趣返しをしようとした私を嘲笑っていたのかもしれなかった。
ヴヴゥン……
大量の羽虫でも飛んでいるかのような、不快な羽音に似た音声が、演習場に設置されている集音機を通して、ヘッドフォンから私の鼓膜へと伝わった。
それは、全高十メートルほどのイミテーションの身体――四肢は何やら粘液に塗れた巨大な爬虫類様で、それが植え付けられた胴体の頭側半分が茶色い毛に覆われ、尾側半分はサイを思わせる灰色の外骨格を形成し、長く伸びた首の先には巨大なヒヒの顔が付いているという不気味極まりない外見をしていた――が、僅かにブレて見えるほどの速さと振れ幅で振動を始めた音だった。
訓練は、見た目以上に鈍重なイミテーションを相手に五分ほど模擬戦を行い、その間に東、南、西の結界技師が、破壊される予定の北棟の結界を補うプログラムを構築する手筈となっていた。私は、その五分の間に征伐者回収位置を安全圏に設定し、可能な限りのデータをバックアップしつつ、万一征伐者が敗北した場合に備えて、北棟ごと自爆するプログラムも構築することになっていた。イミテーションが有する戦闘能力については、事前に説明を受けてはいたが、正直聞き流していた。それでも、特殊な能力を有していることが事前に分かっていれば、いくらランクSとはいえ、いきなり正面に放り込んだりはしなかっただろう。
ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ……
イミテーションの振動はいよいよ激しいものになっていた。コンソールを忙しく操作しながらも、想定されていない攻撃に備えて前面の結界を強化しつつ、征伐者候補生――ナギへの通信回路を開いた。
「ナギ候補生! 未知の攻撃が予測されるわ! 武器の解放より回避を――」
優先しなさいと言おうとした時には、彼が手にしていたケースは解放され、彼の右手に握られた長軸が太くなったような十字架を模した形態の銃――ウィザードブレイカーが光を放っていた。
ヴゥオン!!
空気を震わせて、不可視の何かがナギへ迫っていた。演習場内のエネルギー場を表示する画面には、まるでもう一体イミテーションが現れたかのような、巨大なエネルギー体が出現していたことで、私はそれを認識できたが、当然ナギにはそれは見えていない。
「候補生!!」
不可視のイミテーションが、画面上でナギと重なった瞬間、ナギは横薙ぎに吹っ飛んでいった。演習場の地面を数回バウンドして横たわった彼の様子は、天上に取り付けられた全方位カメラからの映像でつぶさにわかった。その胸には幾筋もの裂け目が生じ、血が噴き出していた。
「ほっほー。すげぇな! 見えない影分身かよ!」
「教官! 候補生は明らかに負傷しています! 訓練の中止を求めます!」
感嘆の声を上げて、むしろ笑ってすらいた教官に向かって、私は椅子を蹴って立ち上がり、詰め寄っていた。
「……お前は、何を言っているんだ?」
「え?」
私より頭二つは背が高い教官は瞬時に笑顔を消し、細い目をさらに糸のように細くして言った。
「訓練内容は事前に伝えてあるはずだ。確かにナギ候補生はイミテーションによる未知の攻撃を受けた。ある程度の距離があれば、不可視でも実体を持っている以上、どうにか位置を掴んで攻撃するなり回避するなりの方法を考える時間はあったはずだったろうな」
「な! 私のミスだと言うんですか!? 事前に聞いていた情報では、イミテーションに分身能力があるなどという話は――」
「――甘ったれるなあっ!!!!」
私は猛然と抗議の声を上げたが、教官が発した怒号によって、それはかき消された。思わず首を竦めた私に、さらに彼の叱咤が浴びせられた。
「あの島で、未知の魔生と戦う任務を背負った征伐者は! まずお前らが転送する位置とタイミングによって生死が分かたれると言っても過言ではない!! お前たち結界技師は、卒業後技官となって島に赴任すれば、誰よりも先んじて魔生を目撃する存在となる! 征伐者出動前に、一般兵を犠牲にしてでも魔生のスペックを分析し、確実に殲滅せしめる戦術を瞬時に構築し! かつ征伐者をもってしても駆逐不可能である場合を常に想定しておかねばならんのだ! お前の下らん嫉妬や甘ったれたヒロイズムや常識など、あの島では一切必要ないものだ!! わかったら続けろ!! 目の前の敵は今何をしている!?」
「……ぐっ」
私は血が出るかと思うくらい唇を噛んで、コンソールに向き直った。ナギは、先に本体を倒してしまおうと考えたのか、不気味は見た目のイミテーションに向かって機関砲を乱射していた。しかし、それは何もないはずの空間に受け止められていた。どうやらそれは、高密度のエネルギー体で構成されており、ナギのサイコキネシスによって加速が付いた砲弾ですら、物理的にそれを通過することはできないようだった。
本体に対して分身の動きは非常に速く、次の瞬間にはナギと接触し、彼は再び地を跳ねた。吹っ飛ばされながらも、本体に向かって砲撃を行うナギだったが、またしても分身に間に入られて阻まれてしまっていた。
「ナギ候補生! 私が分身の位置をナビゲートします! 現在位置は候補生の正面です!」
「……空中にいくつか、結界の足場を作れ」
聞き逃してしまうほどに小さく、ナギの声がヘッドフォンから伝わってきた。
それと同時に、演習場に爆音が響き渡った。
それは、ナギがウィザードブレイカーを床に向けて放ったために起こった爆発音であった。それによって大量に巻き上げられた砂埃が降り注ぎ、不可視であった分身の姿を浮かび上がらせた。この時、分身はナギと本体の間に壁のように立ちふさがっていた。刹那の間、砂埃によって浮かび上がった分身の身体に向かって、ナギは突進した。
そして人間とは思えない跳躍力で、分身の頭上まで飛び上がった。右手のウィザードブレイカーではなく、左手をその頭部に向け、またしてもボソリと呟いた。
「重力破綻槌」
次の瞬間、分身の頭が床に沈んだ。そして周囲に直径五メートルほどのクレーターが穿たれた。まるで、見えない巨大な鉄槌が降ってきたかのように、砂埃を纏った身体はそこに打ち付けられてしまっていた。クレーターからはみ出た部分がジタバタと暴れ回り、砂埃が払われて再び分身は不可視となっていたが、その時にはもう、私が創った結界の足場に立ったナギは、本体の頭部に向かってウィザードブレイカーを発射していた――。
「……私がてきとーに転送しようとした時、なんで止めなかったの」
訓練後の反省会を前に、医務室での処置を終えたナギに、私は尋ねていた。
「想定では、すでに結界に損傷が及んでいた。結界を守るために最善な道は、まず奴の注意を棟及び結界から逸らすこと。一般兵の火器では火に油だ。投入可能な最大戦力を、面倒な演算や武器の解放までの時間を省いて、最速で転送しようとしたお前の判断は間違っていない。だから、俺も教官も、何も言わなかった。それだけだ」
「アサコ……誰に断わってそれを飲んでいる?」
幼児退行から復活したナギの殺気を感じた私は、昔話を中断した。
「バーテンの方が、開けてくれたのよ。 ナギ君?」
「……副作用なんだから仕方ないだろう。まさか、全部飲んでないだろうな?」
私とバーテンダーを交互に睨みながら、ナギがテーブルに置いてあった空のグラスを差し出した。
「ええ、あと一杯程度なら」
にこやかに氷水を張ったクーラーからボトルを取り出したバーテンダーが、ナギのグラスに黄金色の液体を注いでいった。最後の一杯になっても衰えを見せない見事な泡が立ち、それがグラスの半分程度までを満たしたところで、ボトルは空になった。
「……乾杯」
私は立ちあがって、ナギとグラスを合わせた。
「……」
なぜか、ナギは無言だった。