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偽りの得失と喰らう銃弾  作者: 勧められた男
一章 終わる偽りの日
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四呪 能力至上主義

 世の中の人間は、三種類に分ける事ができる。。

 まずは、一番数が多い――というか殆どの人間がそうなのだが――能力者である。能力者はその名の通り能力(スキル)という力を持ち、使う事が出来る。能力は一人一つであり、様々な能力がある。

 例えば、――レハム・オクヴェルの言葉を借りると――空を飛んだり、遠く離れた場所に瞬間移動する一般的な能力や光を操る事が出来る主人公のような能力などがある。

 だが、能力も人と同じ様にそれぞれに違いがある。それは一般的な能力にも言えることである。

 瞬間移動といっても、自分の視界に入る場所だけ、もあれば、何メートルまでしか出来ないと言ったのもあるので一概に同じと言えないのである。


 そんなの一個一個覚えたらきりがないので(というか覚えられない)大体は名前を付ける。発火能力なら《パイロキネシス》や念動能力なら《テレキネシス》などの名前を付けて分類する。

 だが、これは大雑把に分類するとこうなるだけで詳しく分類すると有り得ない程の数になる。


 その詳しく分類する方法とは、実は大雑把と同じで名前を付ける事である。しかし、大雑把と違うのは自分の能力に沿った名前であると言うことだ。

 例えば、火の玉を出す能力の場合、簡単に分類すると発火能力――《パイロキネシス》だが、もし能力に沿った名前にすると《ファイアボール》が妥当だろう。

 ……まあ、別に《フレイムボール》でも《フレアボール》でも妥当である。

 そして、先程も言ったように能力は全く同じ人間がいないように全く同じ能力は無い。(世界中を隅々まで探せばもしかしたら、いるかもしれない)

 世界中の人間がそれぞれ能力名を付けたら恐ろしい程の数になるだろう。

 実際、俺のクラスメイトも普通の能力名だったり、個性的な能力名だったりとかなり違う。

 ――少し話が逸れたかもしれないがこれが一つ目の種類である能力者である。


 二つ目の種類が無能力者である。

 能力を持つ人間がいるなら能力を持たない人間もいるだろう。

 だが、無能力者というのは名ばかりであり実際には『存在さえ危うい』のである。


 実は、先程は説明しなかったのだが能力(スキル)は、誰もが二十歳までには発現するのである。中には生まれながら持っている者もいる。

 なら何故、無能力者という種類があるか疑問に持つだろう。誰もが二十歳までに発現する――裏を返せば、二十歳までに何時発現するか分からないのである。


 昔――と言っても三年前にはある事件が起こった。 二十歳になる直前で能力を発現させた男がいたらしく、その男は今まで無能力者だからと虐められており、その鬱憤を晴らすかのように世界を破壊しようとした事件があった。詳しくは知らないが、思ったより被害は無かったようである。

 この男のように能力が発現しないから無能力者と虐められるケースは残念な事に多いのである。最終的にはしっかりと能力は発現するのでその後復習されるケースも多い。

 これが二つ目の種類?である無能力者である。



 そして、最後の三つ目が俺も属している『得失者』である。といっても人数は世界中でもほとんどいないと思う。現に俺は自分以外の得失者に会った事は無い。

 得失者とはその名の通り“能力を得て失った者”の略称である。要は能力を発現させたけど何らかの事情により能力を失った者の事を指す。

 例えば、透視の能力の場合、視力を失ってしまうと視たくても視えないし、手を使う能力の場合は手を失ってしまえば使えなくなってしまう。これは例えであり、他にも心的外傷――トラウマにより失ってしまうことがある。

 しかし、得失者になったからそのまま得失者のままという訳ではなく得失者でも能力を取り戻すことは可能である。

 方法は能力を失った原因を取り除けばいい。

 先程の例えを使うと視力を失ったなら視力を取り戻す、手を失ったなら復元させればいい。

 回りくどいので普通に言うが、そういう事が出来る能力者に治してもらえばいいのである。そうすれば大抵はそれで能力は戻る。


 それでも得失者がいるのは、色々と理由がある。

 それは個人の色々な事情が関係している。


 これが三つ目の種類である得失者である。



 今の説明を聞けば能力者の方が良いと思うのは当然だろう。それもより良い能力の方が良いだろう。

 だから、世の中は“能力至上主義”と言っても過言ではない。

 有能な能力ほど上に位置し無能な能力ほど下に位置する。無能力者・得失者なんて相手にもされない。そんな世の中である。

 今では、能力は自分の人生を左右する物になっている。 例えば、俺が在学しているこの古賀村(こがむら)高校でも有能な能力を持つ者は皆から尊敬され、無能な能力を持つ者は虐げられる――カースト制度の様な制度がある。これは、学校側が決めたことではなく生徒内での一種の社会的概念であり、生徒達はこれを常識としている。別にこの学校がだけなのではなく、何処の学校でも、しいて言えば幼稚園・保育園でさえ常識として存在する。

 それ程“能力至上主義”が世の中に根付いているのである。

 つまり、どんなに成績が悪くても、どんなに素行が悪くても、どんなに問題児でも能力が有能であれば勝ち組なのだ。――逆に、どんなに成績が良くても、どんなに真面目でも、どんなに性格が良くても能力が無能なら負け組なのである。

 それは何があっても変わらない。時代が何年進もうと十年前に起きた《WOC》ほどの事件でも変わらない。


 定められた運命のように

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