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ばっと振り返れば、私が寝かされていた枕元に小さな座布団が敷かれていた。その上で短い手足をうにょうにょと動かしているのは、まだ生後半年を過ぎたあたりだろうか、お座りも満足にできなさそうな赤ちゃんだった。
白い着物を着せられているその子は、私と目が合うとまん丸の目を細めてけらけらと笑い出した。薄茶の巻き毛と合わさると、まるで天使のようないでたちだ。
かわいい。
ものすっごくかわいいけど、ちょっと待って。
「まあ、昨夜の契りでわが主がお咎めにならなかったということは、御子様ごと嫁御寮を引き受けるということなのでしょう。我ら常世のものも時代に合わせていかねばというところで――」
「待って!」
獣のくせに時代について訳知り顔で語るハチロウに、私は待ったをかけた。
「待って、待って、この子だれ?」
「はあ?」
滔々としゃべっていたハチロウが首をかしげる。
「誰って、嫁御寮がお連れになったご自身のお子様では?」
「待って、違う! 私、産んだ覚えない! どこの子!?」
「なんですって!?」
私が首を横に振って全否定すると、今度はハチロウが慌てだした。
「お待ちください、嫁御寮。お気づきかどうかわかりませんが、この屋敷は常世と現世のはざまにある月夜神の神域でございます。ここに入ることができるのは、わが主が招き入れたヒトと我ら眷属だけのはず……」
「し、知らないわよそんなの!」
「昨夜ご一緒にお連れになったのではないのですか?」
「知らないってば! どこの迷子よこの子!」
「そんな――!」
ハチロウは絶句して、私とあばあば笑う赤ちゃんを交互に見比べた。赤ちゃんは短い手を私に伸ばしてのけぞっている。
これは、頭から固い床に落ちる。ゼロ歳児担当の勘がそう告げた。とっさに手を伸ばして赤ちゃんの頭を押さえると、私の表情が面白かったのかまた赤ちゃんはけらけらと声を上げて笑い出した。
「このようなことがあるなんて……偶然であれなんであれ、招かれざるヒトの子がこの屋敷にいることが主に知られては一大事ですぞ、嫁御寮」
「そんなの知らないわよ。私だって人柱にされて頭から食われたと思ったらこんなとこにいて、で、こんな知らない赤ちゃんもいて……!」
「わが主がヒトを頭から食うなど野蛮なことはありませぬ。先ほどから黙って聞き流していればご自身を人柱にされたいけにえと仰せか! わが主がそこまでヒトに恐れられていたのは誇らしいが、古来からの嫁入りの儀式がいつの間にやら人柱の儀式になっていたとはあまりに遺憾!」
「だってそう伝わってるんだもの!」
「これを機に認識を改めていただきたい! しかしこの赤子、本当に嫁御寮がお連れになった御子様では――」
「ないってば! 私、つい昨日まで東宮の照宮殿下の婚約者だったのよ。男の人とそんなことするわけないじゃない!」
「なんと……! 嫁御寮、では」
「その嫁御寮ってのなんなのよ。私、薫子って名前だから!」
「では薫子殿!」
お互いに半ばパニックになりながら私とハチロウは怒鳴りあった。その間も赤ちゃんは何がおかしいのか、ご機嫌に笑っている。
「一度こちらに招き入れてしまったヒトは、わが主の力がなくては現世に返すこともできませぬ」
「じゃ、どうするのよこの子」
「次に主がここにおいでになるのはひと月先の満月の夜でございます。ただ、満月の夜は主の力が暴走しやすく、理性に乏しくなるため、わずかな神力であってもその身に取り込もうとされることも……」
言葉を濁すハチロウは、獣のくせに顔色を曇らせた。
「どういうこと?」
「わが主はその強すぎる力を理性で抑えるために、ヒトの強い神力を取り込むことを必要とされます。例えば薫子殿のようにお強い力を秘めていらっしゃれば、わが主に神力を取り込まれても命に係わることはございません。それゆえ、太古の昔よりわが主は百年に一度、能力の高いヒトの女を嫁御寮として召し上げるのです」
「それって、体を食われるわけじゃなくて神力を吸い取られるってこと? だから人柱が帰ってこなかったの?」
「常世と現世のはざまに招き入れられたヒトの女子の寿命は約百年。安寧の生活を約束する代わり、わが主へ神力をご提供いただく。それが嫁御寮のお勤めにございます」
私はうなずくことも忘れてハチロウの顔に見入った。
華鳥風月の魔神の設定に、こんな裏話が潜んでいたなんて。そんなことゲームの運営側が設定していたのかもわからないけれど。
人柱として捧げられた薫子は、魔神である月夜神の妻になるってことで、食われて死ぬわけじゃない。それが分かっただけでもまずは御の字だ。
「ただそれほど神力が強くない赤子の場合はいけません。満月の夜にこちらにおいでになる主は時として激しく荒ぶっておられることもあり、その場合、神力が弱いヒトですとその命ごと主に取り込まれてしまうのです」
「何それ! じゃあどうやって帰すのよ?」
「それは……満月の夜に主がおいでになった際、薫子殿の神力で主を落ち着かせていただいて、そのあとということになるでしょうか……しかし、招かれざるヒトの子がいると気付かれては、主がお怒りになってまた力を制御できなくなる可能性も……」
「詰んでるじゃない!」
こんなかわいい子がここにいたら食われてしまうかもしれないということか。どうやって入ってきたのかもわからない。きっと母親も探しているだろうに。
私はたまらず赤ちゃんの体を抱きしめた。
抱きかかえると職場の様子が脳裏に浮かんだが、ちょっとした違和感でそれも消えた。このくらいの子であればいつもほんのりとミルクのにおいがするものなのに、それがない。
しかしそんな違和感はすぐさま頭の片隅に追いやられた。
赤ちゃんが一瞬虚空に視線を漂わせた直後、じわりとした温かさが赤ちゃんを抱えていた腕に広がったのだ。
「あーーー!」
「な! 何事ですか薫子殿!?」
「漏らした! おむつ! おむつ持ってきて!」
「なんとー!!」
おむつと叫んだけどきっとこの世界に紙おむつなんてない。うわあ、布おむつか。処理の仕方覚えてたっけ。いやそれどころじゃない。着物の裾から液体が滴り始めている。
「なんでもいい! とにかく布―!!」
部屋の中で私とハチロウが泡を食って騒ぎ始めると、腕の中の赤ちゃんはまたおかしそうに声を上げて笑ったのだった。




