1-1
「扶桑皇国東宮、照宮は本日未の刻をもって清華侯爵家息女、薫子との婚約を破棄するものとする」
扶桑皇国における最高学府、昇日大学院の大ホールで高らかに宣言したのは、烏の濡羽色をした美しく長い黒髪を持つ青年だった。
――東宮、照宮殿下。眉目秀麗、文武両道、身分の分け隔てなく朗らかに接する若き皇太子である。末は賢帝になるだろうと評判の好男子であり、私の婚約者だった。
しかしそれは覆されたらしい。
いつも穏やかな微笑みを湛えた優しい貴公子である彼が、眉を吊り上げ怒りの表情を浮かべている。その冷たい視線が見下ろす先で、私は小動物のように小さく震えることしかできなかった。
大学院修了記念の宴にふさわしい、きりりとした三つ揃えを着こなした青年はたった今まで修了生代表として答辞を述べていたはずだ。五年に及ぶ大学院の生活を懐かしみ、教師陣への感謝と未来への抱負と続くはずだった言葉はいつの間にか私、薫子への断罪の言葉にすり替わっていたのだ。
「類まれな神力を持つにも関わらず己の研鑽を怠ったばかりか、優秀な巫女候補である古松川家の蘭殿を卑怯な手段で蹴落とそうとしたと聞いている。申し開きがあるなら述べるがいい。ただし、それら全てに反証があると心得よ」
「で、殿下……、お待ちください。すべて濡れ衣でございます……!」
「では問おう。先日、蘭殿が受ける巫女試験において、しきたりとは異なる装束を用意させたのは誰だ? また新年の祝賀の折、蘭殿から挨拶がないといって神殿への回廊を封鎖したのは?」
「そのようなこと、身に覚えが……」
ある。
ごくりと私の喉が鳴る。
ありすぎる。というか、誰だ殿下に密告したやつは。
私は心の中で盛大に舌打ちをしながら、所在なさげに照宮殿下の隣に立つ女に目をやった。
修了式のために新調したのか、鮮やかな緋色の袴に可憐な花模様の振り袖が良く似合う女だ。その女――古松川蘭は目尻に浮かんだ涙に指先を這わせながら、照宮殿下の胸に縋り付いた。
「殿下! わたしのことはよいのです、殿下! このような祝いの場で薫子様をお責めにならないでください。きっと薫子様にも何かわけがおありだったのです。それを察することができなかったのはわたしのせいで……!」
「何を言うのだ、蘭殿。そなたが悪いことなど何もない。勉学のため実家を出て一人で帝都に暮らすそなたが古い宮廷のしきたりを知らぬなど、幼子でも理解できる。それなのにそれをあげつらって悪しざまに罵り、学びを邪魔する薫子にどのような道理があろうか」
「お待ちくださいませ殿下! 私の話を――!」
「言い訳など無用! いくら神力が強かろうとお前のような性根の腐った女、第一巫女になったとて妃に迎えることはできない! 我が妃にふさわしいのは、蘭殿のように清らかな巫女だ!」
照宮の宣言にホール内はわっと沸き立った。蘭は真っ赤になって頬を押さえ、照宮殿下はしなだれかかる蘭の腰に手を回す。しっかと見つめ合う二人の周囲では、一人の教師と五人のご学友男性たちがお互いに顔を見合わせ頷いていた。
照宮殿下の従兄弟で西宮公爵令息の秀幸様、経済学担当教員の本庄先生、立花男爵家の明三様など、つい今朝がたまでにこやかに接してくださっていた面々だ。皆一様に冷めた目つきでこちらを見、そして壇上の二人に向かって祝福の拍手をしている。
その光景に私は後頭部を殴られたような衝撃を受けると同時に、ふとひどい既視感に襲われた。
浮かんできたのは、この光景をはるか上空から俯瞰で眺めているイメージだ。
あれ、と思う。
なぜ私はこのシーンを知っているんだろう。しかもこのホールは吹き抜けの高い天井がある建物だけれど、学生である私達が入れるのは一階のホール部分だけ。明かり採りの天窓など、用務員のおじ様たちしか上がることが許されない。
なのに、私にはこの光景を上から眺めている記憶がある。
大学院の修了式で、大ホールで、照宮殿下と古松川蘭、そして六人の男性たちを前に項垂れている紫色の着物の女。その女が私だ。当事者である私が、なぜ私を外から眺めている記憶があるのだろう。
当事者?
いや、当事者ではない。私は紫色の着物なんて着ない。私が修了式に着ようと思ってショップで購入したのは緋色の袴と花柄の振り袖だったはず――。
私は自分の頬に手を当てた。確かに触れるその感触はこれが現実のものだということを伝えてくれたが、そのリアルな質感が逆に私の脳を叩き起こした。
「……華鳥風雪!?」
素っ頓狂ともいえるほど大きな声がホール内に響く。怒鳴り声にも似ていたからか、檀上の二人はぎょっとしたように目を見開いた。もちろんほかの男たちも。
私は彼らの顔を一人一人凝視し、そして息を飲んだ。
こんなことってあるんだろうか。
そこに並んでいた顔は、ここ数か月の間、親の顔より良く拝み、三度の飯より重視した乙女ゲーの攻略対象達の顔だったのだ。
「華鳥風雪の祈り~扶桑皇国小夜曲~」
それは文明開化後の日本をイメージした和風異世界が舞台の恋愛ファンタジーゲームだ。
由緒はあるが田舎の小さな神社の跡取り娘が国一番の巫女になるため、帝都にある大学院に入学して修行するというストーリーで、様々なステータスを上げていき、学友となった男子生徒や教員と恋愛をするいわゆる乙女ゲームである。
攻略対象は東宮、公爵令息、担任教師など様々なジャンルが取り揃えられ、学びによって得られたステータスによって恋愛の成否が左右される。
難易度も好みに応じて調整でき、しかも攻略対象達の立ち絵は超人気の神絵師の描きおろし、キャラクターボイスも若手の人気声優さんたちで固められた華鳥風雪の祈りは、巷の乙女ゲーマー女子に一大旋風を巻き起こした。
発売以来人気が持続し、ユーザーの熱い声に応えてダウンロードコンテンツが配信されたのはつい昨日のこと。新たな攻略対象に「神様」を加え、国一番の巫女であるヒロインは天上界で極上の恋愛を、なんて先行情報も大いに盛り上がった。
そして私、社畜限界ゼロ歳児担当保育士の清瀬薫はこのゲームの熱烈なファンである。仕事から帰ってダウンロードコンテンツのアップデートを終え、さあやるぞとゲームを起動させたばかりだった――はずだ。
それなのに。




