3ー2
「前代未聞ですぞ!」
月夜神を呼んできてほしいと言った私に、ハチロウは目を白黒させて叫んだ。
曰く、代々の嫁御寮とやらは楚々として粛々と、神であり夫である月夜神が満月の夜に訪れるのを黙って待っていたという。
夫不在の一カ月を好き放題過ごせて、たまにやってくる夫に神力を提供するだけならいわゆる三食昼寝付きの永久就職先としては悪くない。私は暇を持て余しているけれど、趣味でもあれば最高の環境だろう。どうせ夫が来たところで神力を吸われるだけなのだから、会うのなんて必要最低限でいい。
でも今はそういう訳にもいかなかった。
着物で分かりにくかったけれど、みこの身体が大きくなっている。時間の流れが違うとはいえ、既にこちらで過ごして四ヶ月を過ぎているみこが成長をしてしまったということは、向こうの世界ではどのくらいの時間が経ったのだろう。
とにもかくにも、満月の夜では屋敷の主である月夜神の理性が乏しい。そんな状態で会ってもまともに願いを言える雰囲気にもならない。言おうと思って待っていても、いざ会えばがぶりと噛みつかれ血と一緒に神力を吸われてしまうのだ。
じゃあ満月ではないときで理性が残っている時に会わなきゃ話にならないじゃないか。
そんなようなことを言い続けごねまくり、渋るハチロウを説き伏せた。ものすごくやりたくなさそうに耳を伏せながら、ハチロウは月夜神への伝言を持って姿を消したのだった。
★
どんな返答が来るだろう。神の決まりごとに逆らうなとでも言われるだろうか。
自分で言い出したことに戦々恐々としながら待つことほんの半刻ほど。意外なほどあっさりとハチロウは戻ってきた。
しかも「諾」というお返事付きだ。
今宵訪問するとのことで、大急ぎで湯あみをして着物を着換えた私は、拝殿の真ん中で正座をして待っていた。
夜の神様だから、自分の力で作った神域であってもヒトの前に顕現するには夜でないと力が不足するらしい。
神様の決まり事はよくわからないけれど、とにかく夜いつも通りに待っていればよいのだろう。
ただ誤算だったのは、みこが眠ってしまったことだった。月夜神の訪問が夜ということは分かっていたけれど、いつも夜になると早々に寝てしまうみこを起こしておけなかったのだ。
こうなっては仕方ない。すぴすぴと寝息を立てて眠るみこはとりあえず隣の部屋に寝かせて置き、頃合いを見てハチロウに連れてきてもらうことにした。
で、待つこと一刻とちょっと。
いつもの満月ならそろそろという頃合いである。しかしどうもやってくる気配がない。
急なことだったし神様も忙しかったりするのかな。そう暢気に構えて待つことさらに一刻。
もういい加減夜も更け、時間的には深夜になっているはずだ。座布団を敷いているとはいえ正座をし続け、そろそろ足も痛くなってきた私はそうっと足を崩した。
いつもの訪問であれば拝殿の正面にある障子戸ががらりと開けられて、そこから小山のような黒い影が入ってくるはずである。でも白い障子戸にそれらしい影は映らず、表からは風の音一つ聞こえやしない。
「……遅いな」
私は誰に言うでもなくぽつりと零した。
いや、急用だと言って呼び出したのはこっちだから、待たされても文句言える筋合いではない。けど、隣の部屋にいるはずのみこの様子が気になる。
早く帰してあげたい。早く親に合わせてあげたい。保育園で預かっていた子ども達の、親御さんが帰ってきた時の様子を思い出し、それにみこを重ねる。
ここで過ごした数か月、親を恋しがる素振りが見られなかったのは妙だと思ったけれど、でも生みの親に会えたらみこだって喜ぶはずだ。親御さんだってどれだけ心配しているだろう。
キャッキャと笑うみこの愛らしい顔が瞼に浮かぶ。あの子を手放すと思うとちょっとだけ胸が痛い。いきなり異世界転生して、悪役令嬢になって婚約破棄されてって怒涛の展開をくらったけど、あの子の存在に癒されていたのは事実だった。
この神域に来てからずっと一緒に暮らしていたんだから仕方ないんだけど、でもやっぱり寂しい。
私が痛む胸を大きなため息で誤魔化していると、不意に障子の外でみしりという屋鳴りがした。
その瞬間体がびくりと跳ねる。崩していた足を正座に戻し、ささっと襟や髪が乱れていないか手を当ててしまう。そして障子戸の方に目をやるが、そこにはいつものような影が映っていない。
気のせいか、と思ったけれど違った。
すぐにその障子戸がするすると音もなく開けられたのだ。
そしてそこから見える景色に、私は何故今日に限って影が映らなかったのかを悟った。
――今日は新月だったのだ。
月のない夜は庭を白く照らす明かりもなく、暗く、ひっそりとしていた。いつもならまぶしいくらいの月あかりが差しているから、ここから見える景色の違いに息を飲む。
暗い拝殿で目が慣れていてよかった。でなければ、外の景色の暗さに飲み込まれそうな恐怖を味わったかもしれない。
でも、あれ?
月夜神様は?
私は暗がりにさらに目を凝らした。戸が開けられたということはいらしているはず。いつもならずるずると身体を引き摺るように拝殿へ上がり、そして私の近くまで来てがぶりと噛みつくはずなのに。
開け放たれた戸口からは一向にそれらしき影が現れない。しかし耳を澄ませると、かすかに荒い息遣いのような、そんな音が聞こえるではないか。おかしい、と直感的に感じた。
私は頭を下げることを取りやめ、そうっと立ち上がった。ゆっくり足音を立てないようにすり足で戸口まで近づくと、先ほど聞こえていた息遣いがはっきりと耳に入ってくる。
「……あ、あの……?」
私は障子戸に手をかけ、外側を覗き込んだ。暗いし、一人だしで怖い気持ちはあったけれど、どことなく苦し気な呼吸音に聞こえて放っておけなかったのだ。
息遣いは足元からだった。はっとして目を下ろすと、そこには黒づくめの着物を着た、黒髪の男が膝をついてあえいでいるではないか。いつも現れる小山のように大きな姿ではなく、頭を伏せているせいか随分と小さく見える。背中に当たる部分だろうか、大きく上下しているがとても苦しそうに時々呻き声がした。
私は咄嗟にしゃがみこみ、男の身体を揺さぶった。
「し、失礼いたします! つ、月夜神様、ですか……? どうなさいました」
「あ……ああ。すまぬ……、ちと……ね……か……」
低く絞り出すような声には聞き覚えがあった。確かに月に一度やってきて私の首に歯を立ててくる「夫」と同一だ。
どういうことだ。いつもの夜も理性を保とうと余裕がない様子が見られることがあったけれど、こんなに苦し気になったのはみたことがない。
月夜神はまた大きく肩を下げ、一声苦しそうなうめき声を上げた。ここまでどうやって来たのかは分からないけれど、その声を最後に月夜神はぐったりと倒れ込んでしまったのだった。




