scene3 ゆるやかな幸福
春が来て、畑に種が蒔かれた。
勇者は鍬を持ち、土の感触を確かめながら、村人と肩を並べて畝を作る。
かつて剣を振るっていた腕は、今では土を返す動きに馴染んでいた。
「深さは、これくらいでいいかな」
誰にともなくそう呟くと、隣の老人が頷く。
特別な言葉は交わされない。
夏になると、村は少し賑やかになる。
祭りの準備で広場に屋台が並び、夜には灯りがともる。
魔王は料理を任され、気づけば火加減を覚えていた。
「焦がさないように、弱めで……うむ」
真剣な顔で鍋を見つめるその姿に、子どもたちが笑う。
かつて世界を震わせた威圧は、もうどこにもない。
秋は収穫の季節だ。
畑の作物は分け合われ、村の倉に積まれる。
勇者は籠を運びながら、土の匂いに混じる甘い実りの香りを、自然なものとして受け入れていた。
「こんなに採れたんだ」
その声に、誰かが「いい年だ」と応じる。
勝敗を数える声は、もう聞こえない。
冬が来ると、世界は静かになる。
雪に覆われた村で、人々は囲炉裏を囲み、湯気の立つ椀を手に取る。
魔王は火の番をし、勇者はその向かいに座る。
外は白く、音も少ない。
だが、不安はない。
どの季節にも、剣は登場しなかった。
号令も、宣戦布告も、終戦の鐘も鳴らない。
ただ日々が、淡々と積み重なっていく。
魔王は料理が上手くなり、
勇者は土の匂いに慣れ、
世界は少しだけ、争いを忘れていった。
誰も戦わない世界。
誰も無理をしない暮らし。
ただ、
昨日と同じ今日が、
明日へ続いていく。
かつて世界を揺るがすはずだった二人は、
今日も畑と夕餉の話をしている。
それが、この世界にとって
何よりの奇跡だった。
この物語に、
大きな勝利も、劇的な終焉もない。
だがもし、
戦わなかったことを選べたなら、
それこそが、最も勇敢な結末だったのだろう。
※歴史書補遺より
後世の歴史家たちは、この時代を
「記録に最も困った平和」と評した。
戦役の年表は空白となり、
英雄譚は噂話に置き換えられ、
確かな事実として残ったのは、
ただ――
その後、世界が静かに続いていた
という一点だけである。




