第二十二話 獣人兵ラトの誤解(嫉妬半分、心配半分) scene1
魔族軍の詰所は、いつもと変わらぬざわめきに満ちていた。
武器の金属音、魔力炉の低い唸り、気の抜けた雑談――戦争の合間にある、ありふれた日常。
ラトはその片隅で、黙々と武具の手入れをしていた。
獣人特有の鋭い爪で刃の欠けを確かめ、布で丁寧に血の跡を拭い取る。
考えているのは、いつかまた呼ばれるであろう「兄貴」の背中のことだけだ。
そのときだった。
魔族兵A
「なあ、聞いたか? 魔王様、人間の勇者と一緒にいるらしいぜ」
ラトの手が、ぴたりと止まる。
魔族兵B
「しかも仲良さそうだとか……」
「……は?」
思わず漏れた声は、本人が驚くほど低く、掠れていた。
ラトの耳が、ぴくりと動く。獣人のそれは、嘘も冗談も聞き逃さない。
魔族兵A
「なんでもよ、“二人で暮らしてる”って話だ」
その一言が、頭の中で何度も反響する。
――暮らしてる。
――二人で。
――人間と。
ラトは何も言わない。
言葉が出ないというより、感情が追いついていなかった。
数秒。
いや、本人の感覚では永遠のように長い沈黙。
詰所の喧騒が、急に遠くなる。
ラト
「…………」
そして、ゆっくりと顔を上げる。
ラト
「――兄貴が、人間に、取られた?」
その声は、冗談でも怒声でもなかった。
理解しようとした末に、致命的に間違った結論へ辿り着いた者の、静かな絶望だった。
頭の中で、何かが音を立てて崩れる。
魔王アザル。
強くて、静かで、誰よりも孤独で――それでもラトにとっては、唯一無二の「兄貴」。
その兄貴が、人間と。
勇者と。
しかも、一緒に暮らしている?
ラトの尻尾が、無意識に強く床を打つ。
(……そんなの)
そんなの――許せるわけがない、のか。
それとも、ただ、怖いだけなのか。
答えは出ない。
だが一つだけ、確かなことがあった。
この瞬間、ラトの心の中で
「心配」と「嫉妬」が、最悪の形で融合した。
そしてそれは、後戻りできない誤解として、彼を動かし始める。
――致命的な誤変換は、すでに完了していた。




