幸せな日々
「おめでとう!リリアン。とっても綺麗よ」
クリスティーナは花嫁の控え室で、ウェディングドレス姿の妹を満面の笑みで祝福する。
「ありがとう、お姉様」
幸せのオーラをまとったリリアンは、姉の自分から見ても輝くように美しいと、クリスティーナはうっとり見とれた。
「リリアン、おめでとう!」
「王太子様、ありがとうございます」
リリアンはフィルに深々と頭を下げる。
「でも本当にいいの?相手がアンドレアで。引き返すなら今だよ」
「まあ、王太子様ったら」
フィルの言葉に、リリアンは可憐な笑みを見せる。
「君みたいに純粋で可愛らしい女の子、アンドレアにはもったいないよ」
「いいえ、アンドレア様はわたくしの、世界でたった一人のかけがえのない人ですわ」
「ありがとう、リリアン。俺も心から君を愛しているよ」
急に聞こえてきた声に、皆は驚いて振り返る。
「アンドレア様!」
ドアを開けて入って来たアンドレアは、リリアンに近づくと優しく微笑んだ。
「リリアン、とっても綺麗だよ」
「アンドレア様も、とても素敵です」
「ありがとう、俺の可愛いリリー」
アンドレアが頬にキスすると、リリアンは顔を赤らめてうつむく。
「アンドレア様、その、王太子様もいらっしゃるので…」
「ん?見せつけてやればいいんだよ。あんな失礼なやつにはね」
「そ、そんな」
リリアンは困惑したように、フィルとクリスティーナに視線を向ける。
フィルはヤレヤレと肩をすくめた。
「まあ、これだけアンドレアがメロメロなら心配いらないだろうけどね。それにしても、もったいない」
「おい、フィル。まだ言うのか?」
アンドレアがジロリとフィルに鋭い目を向けると、リリアンが焦って口を開いた。
「王太子様、わたくしの方がアンドレア様をお慕いしているのです。誰よりもアンドレア様を愛しておりますわ」
ひえっ、とクリスティーナは顔を赤くしておののく。
(リリアンったら…。聞いてるこっちの方が恥ずかしいわ)
「リリアン、ありがとう。でも俺の方がもっと君を愛しているよ」
そう言うとアンドレアは、今度はリリアンの唇にキスを落とした。
「じ、じゃあね、リリアン。あとでね。フィル、行きましょ」
これ以上は耐えられないと、クリスティーナはフィルの腕を掴み、強引に引っ張って部屋を出た。
(ふう…。式はこれからだって言うのに、もう暑くてのぼせそう)
片手をヒラヒラさせて顔を扇いでいると、隣でフィルがクスッと笑う。
「どうしたの?クリスティーナ。顔が真っ赤だけど?」
「いえ、別に」
「ラブラブな二人に見せつけられて、うらやましくなったの?」
「ちちち、違います!」
「そんなにムキになって否定しなくても。言ってくれればいつだって俺も君にキスするのに」
「けっこうです!」
背を向けて歩き出そうとすると、不意にフィルが腕を伸ばし、クリスティーナを後ろから抱きしめた。
「今日のドレス姿、すごく綺麗だ。俺も世界で一番君を愛しているよ。ティーナ」
耳元でささやかれる声に、クリスティーナは思わず息を呑む。
結婚してから、フィルは甘い言葉をささやく時は、決まって優しく「ティーナ」と呼び、その度にクリスティーナの心はキュンと締めつけられていた。
今も、まるでスイッチが入ったように胸を切なくさせていると、後ろから首筋にチュッと口づけられ、クリスティーナは耳まで真っ赤になる。
「可愛いな。続きは夜にね、ティーナ」
もはや言葉を失い、ウルウルと涙目になるクリスティーナを見て、フィルはまたクスッと笑った。
*****
大聖堂で始まったアンドレアとリリアンの結婚式。
二人の幸せそうな姿を見つめながら、クリスティーナは感慨深くこれまでのことを思い出していた。
今から7年前。
ここコルティア国の王宮の近衛連隊長だった父を助けたくて、男装して近衛隊に入隊したクリスティーナ=アンジェは、同じ日に入隊したフィルと出逢う。
共に戦い、勝利を収めて帰ってくると、今度は王太子を護衛する為に花嫁候補と偽って王宮入りした。
昼と夜とでは別人のようになる、掴みどころのないミステリアスな王太子。
不思議に思いながらも、クリスティーナは王宮に侵入してきた敵と戦い、王太子を守る。
離宮への移動の途中で近衛隊のフィルと共に敵の捕虜となるが、再び力を合わせて無事に制圧した。
そして驚きの事実を知る。
フィルこそが真の王太子、フィリックス=アーサーだったのだ。
これまで王太子のフリをしていた人物は、フィルの母の兄の息子、つまりフィルの従兄弟にあたるアンドレア。
争いを終わらせようと密かに他国に働きかける為、フィルは王太子の身代わりをアンドレアに頼んで奔走していたというのだ。
ようやく謎が解けたクリスティーナだったが、偽りの花嫁候補として王太子を護衛する役目も終わり、屋敷に帰るべきかと迷っていた。
そんな時、妹のリリアンが野党に誘拐されたと知り、急いで駆けつける。
ピンチのクリスティーナを救ったのは、またしてもフィル。
どんな時も自分を助けて守ってくれるフィルに、クリスティーナもようやく本当の自分の気持ちに気づく。
「クリスティーナ。剣が上手くてかっこよくて、俺が命を預けられる最高の相棒。可愛くて綺麗で、俺の心を掴んで離さない最高の女性。そして人の心に寄り添う優しい心の持ち主。君は最高の未来の王妃だよ」
フィルのプロポーズを受け入れ、クリスティーナは晴れて皇太子妃となったのだった。
結婚から6年経った今も変わらず、優しく頼もしく自分を守ってくれるフィル。
そしてフィルとの大切な子ども達。
アレックス=ルーク
フローリア=ローズ
マックス=ディーン
クリスティーナは愛する家族と共に幸せな日々を送りながら、国民の暮らしが豊かになるようにと、日々フィルをサポートしていた。
かつて諸外国を渡り歩いていたアンドレアは、国王から直々に、その知識と経験を活かし、より良い政策を打ち出す手助けをするようにと仰せつかり、王宮に滞在することになった。
ある日アンドレアは、クリスティーナに会いに王宮にやって来たリリアンと出逢う。
いや、リリアンが来たと知ると、いそいそと顔を出したのが本当のところだろう。
リリアンに一目惚れしたアンドレアは、押して押して押しまくり、ついにリリアンを口説き落としたのだった。
*****
「おかあさま。リリーおねえさま、ほんとうにきれいね」
隣に座る娘のフローリアがうっとりしたように呟き、クリスティーナも笑みを漏らす。
肩まであるふわふわのブロンズの髪をハーフアップで束ね、リボンで飾った今日のフローリアは、夢見る乙女のような愛らしさだった。
「そうね。フローリアもいつかあんなふうに、ウェディングドレスを着て結婚するのよ」
「ほんとう?」
フローリアは目を輝かせてクリスティーナを見上げる。
その可愛らしさに、ふふっと微笑んだ時、フィルのガーン…と打ちのめされたような顔が視界に入った。
「ク、クリスティーナ。フローリアはまだ3才だぞ?」
「そうよ?なのにもう、花嫁の父みたいに寂しがってるの?フィルったら」
「それはそうだろう?こんなに可愛い娘を嫁にやるなんて、想像しただけで耐えられん」
ブルブルと頭を振るフィルに呆れて、クリスティーナはフローリアと顔を見合わせる。
「楽しみね、フローリアのウェディングドレス姿」
「ええ。おかあさまもね」
「え?お母様もウェディングドレスを着られるのかしら?」
「もちろん。おかあさまはとってもきれいだもの」
「まあ!ありがとう、フローリア」
ク、クリスティーナ、一体何を言って…と、またしてもフィルは絶句している。
そんなフィルに思わず笑ってから、クリスティーナは視線を上げてリリアンの幸せそうな笑顔を見つめた。
(早いなあ。あんなに小さかったリリアンがもう二十歳で、しかもお嫁に行くなんて。でも私も結婚したのは18の時だから、そんなに早くもないのか。それにお嫁に行くって言っても、私からすればお嫁に来てくれるって感じね。リリアンはアンドレアと一緒にこれから王宮に住む訳だから。わあ、楽しみ!)
誓いのキスを長々と交わす二人にドギマギしながら、クリスティーナはフローリアと長男のアレックスに声をかける。
「二人とも準備はいい?このお花のカゴを持ってね」
「はい、お母様」
利発なアレックスは、コクンと頷いてカゴを受け取ると、フローリアの手を引いてバージンロードに歩み出た。
「愛する二人に永遠に神のご加護があらんことを」
司教の言葉のあと、パイプオルガンが鳴り響き、アンドレアとリリアンが腕を組んでバージンロードを歩き出す。
その先頭で、アレックスとフローリアがカゴから花を掬い、バージンロードにまいていく。
「まあ、なんて可愛らしいのかしら。アレックス王子もフローリア王女も、こんなに大きくなられたのね」
衣装を着て凛々しく歩くアレックスと、にこにこと愛嬌を振りまくフローリアに、列席者の間にも笑みが広がる。
「マックス王子も、本当に可愛らしいこと」
まだ1才のマックスは、クリスティーナの腕に抱かれ、パチパチと小さな手を叩いて拍手していた。
「この国にとって、フィリックス様とクリスティーナ様ご夫妻が希望の光ですわ」
「本当に。この先も我々を明るく照らし続けてくださるでしょう」
「輝く未来の国王と王妃。まあ、なんて私達は幸せな国民ですこと」
「アンドレア様とリリアン様のお子様も、楽しみですわね」
列席者は笑顔で頷きながら、バージンロードを歩く新郎新婦、そして小さなプリンスとプリンセスに惜しみない拍手を送っていた。
*****
「三人とも、今日はぐっすりだな」
「ええ、ほんと。楽しい一日だったものね」
ベッドで眠るあどけない子ども達の頭をなでてから、フィルとクリスティーナはソファに向かった。
「アンジェ様、ハーブティーをご用意いたしましたわ」
「ありがとう、ロザリー。今夜はもう休んでね」
「ええ、それでは失礼いたします。おやすみなさいませ、フィリックス殿下、アンジェ様」
「おやすみ、ロザリー」
侍女のロザリーが退室するのを、二人で微笑んで見送る。
偽りの花嫁候補として王宮入りした当初にミドルネームを名乗っていたことから、今でもロザリーとアンドレアはクリスティーナのことをアンジェと呼ぶ。
親しみを込めてそう呼ばれるのが、クリスティーナも嬉しかった。
「今日はとっても素敵な日だったわね」
ハーブティーを飲みながら、クリスティーナは思い出したようにうっとりと宙を見つめる。
「リリアンは綺麗だし、アンドレアもかっこよくて。それにアレックスもフローリアも、とても上手に大役をこなしていたし」
「ああ、そうだな」
すると、急にフィルが真顔になってうつむく。
「どうしたの?フィル。あ、また思い出しちゃった?フローリアがいつかお嫁に行くこと」
「それもそうだけど…」
「けど?」
顔を覗き込むと、いきなりフィルはクリスティーナを抱きしめた。
「ちょ、どうしたのよ?フィル」
「クリスティーナ。もう一度ウェディングドレスを着るとか、どういうこと?誰かと再婚するなんて、俺、耐えられなくて」
…は?とクリスティーナは思わず素っ頓狂な声を上げる。
「何を言ってるの?フィル」
「だって、フローリアと一緒に嬉しそうに笑ってて。クリスティーナが他の男のところに行くなんて、想像しただけでも、俺…」
ヤレヤレと、クリスティーナはため息をつく。
「フィル。一国の王太子ともあろう人が、そんなささいなことで一喜一憂してどうするの?もっとどっしり構えてなきゃ」
「ささいなことなんかじゃない!クリスティーナは俺の全てなんだ。俺が今幸せなのも、可愛い子ども達に恵まれたのも、全部クリスティーナのおかげだ。俺にとってクリスティーナは、己の命よりも大切な存在なんだ」
フィル…とクリスティーナは言葉に詰まる。
大きな腕でギュッと抱きしめられ、切なそうなフィルの声に、クリスティーナの心はじんわりと温かくなった。
「フィル、心配しないで。私はどこへも行かないわ。私にとってもあなたはかけがえのない人だもの。いつも優しくて頼もしくて、私を心から愛してくれる。三人の子ども達と私を、いつもそばで守ってくれる。私の幸せも、私の命も、全てフィルがいてくれるおかげなの」
「クリスティーナ…」
フィルは潤んだ瞳でクリスティーナを見つめると、もう一度優しく抱き寄せた。
「ありがとう。心から君を愛してるよ、ティーナ」
甘いささやきに、クリスティーナの胸がキュンと切なく痛む。
「私もあなたが大好きよ、フィル」
フィルはクリスティーナに微笑むと、ゆっくりと目を閉じて顔を寄せる。
クリスティーナも、フィルの愛を受け止めるように、そっと目を閉じた。
バルコニーから春の夜風がフワリと流れてきて、二人の髪をかすかに揺らす。
まるでキスを交わす二人を祝福するかのように…
フィルとクリスティーナは、胸いっぱいの幸せを感じながら、いつまでも抱きしめ合っていた。




