空に祈る鎮魂歌と共に
震災の話題に触れています、お気を付けを。
あの日と違って、空は綺麗に晴れ渡っていた。あの日、雪が舞い散る寒空、どれだけの人が暖を取りたかった事だろうか。寒くないはずなのに、私は上着を抱え込む様に俯いた。しかし、後ろから、暖かな腕に抱き締められた。
「海から距離があったんで、我が家には、被害はほとんど無かった。地震の影響で食器が少し割れたぐらいだって言ってた。海沿いに住んでいた、親戚がうちに身を寄せてたり、備蓄していた野菜やお米を提供したりしたみたい」
「連絡は着いたの?」
「一月後だったかな。携帯も繋がらないし、その後に、悠兄から電話もらった。咲子さんの実家が流されて、咲子さんの実家の家族も身を寄せていたみたい。ほら、うちって、母屋だけじゃなくて、悠兄たちが住んでいる離れがあるでしょ。仮設住宅が出来るまで居たらしい」
あの日は、きっと大変だっただろう。取り乱した咲子さんを必死で悠兄が宥めたって言ってた。咲子さんの実家は海から近い。敬兄の職場も海の近くだった。
あの日は、情報があてにならない。電気も水道も使えない。うちには、井戸があったので、水の心配はなかった。近所の人が水を求めてくるほどだった。ガスも都市ガスではなくプロパンガスだったので、普通に使えた。少しなら、農業用だったが、発電機もあったので、最低限の電気は使う事が出来たし、ストーブは石油ストーブだったので、問題なかった。灯油の買い置きもあったらしい。
それでも、すべて復帰するまでにかなりの時間を要した。私がTVの情報でしか知らない裏で被災地はとんでもない事になっていたのだ。
その間、私はヤキモキしながら、家族からの連絡を待つ事しか出来なかった。絵美の結婚式の招待状は、三月の始めに届いていた。きっと結婚式は延期になるだろうと私自身、思っていたのだ。
それでも、何かしたくて、歌を作った。歌えなくても良い。絵美や故郷のために、何かしたかったのだ。事務所にお願いして、募金活動もやらせてもらった。
それは、毎年この日に、今でも続けられている。流石に、私が出ると騒ぎになるので、出なくて良いって言われたけれど。
「絵美の結婚式が七月って言ってたっけ」
「うん、色々と批判もあったみたいだけど、強行したみたい。みんなに、少しでも笑顔になってほしいって思ったからなんだろうね」
「麻衣もそれで、あの曲を作った」
「そうだね、少しでもみんなに元気になってもらいたい。そう思って、歌った。この歌が広い空の向こうに響き渡りますように」
「麻衣、いつもその言葉使うけれど、意味があるの?」
「広島と宮城を結んでいるからなのかな。『広い』は『広島』だし、『響き』は『宮城』を指しているからね』
それが、不思議そうだった。広島は分かるとして、何故、宮城がそれなのか。広島の様にその地域の言葉が入っているわけではないのだ。不思議に思っても当然だろう。
「うちの母校、今では『響』って言うの。私の頃から名前が変わったけれどね』
「なるほど、だから、『広い空に響き渡る』なんだね」
「うん、この空はどこまでも繋がっている。『borderless』なんでしょう?」
「そうだね、俺たちは歌う事しか出来ない。だから、歌い続ける」
「歌おう、私たちの声で」
今日歌う曲と言ったらこれしかないだろう。その後、私たちは作業場に移って、あの日のあの時間に合わせて、『borderless』と『Mother port』をライブ配信したのだった。
これからも、歌い続ける事を願って。
2025/03/11 活動報告掲載




