6 宵待の宮
榮礼十三(万久紀三九九一)年九月二十日、深夜三時。月の宮城の内侍詰め所の空気は、重苦しく沈んでいた。非番の職員も含め内侍配属十八名の職員全員が召集された。その中で、中年の男がひとり、粛々と今後について彼らに告げる。
「ご苦労様です。皆さんがすでに承知の事態を踏まえ、我々王宮府職員は万一のために準備をしなければなりません」
月の宮内侍長の言を、誰もが悲痛な表情で受け容れる。内侍長の傍らでその様子を見守りながら、雅雪は彼らを受け止めた。
内侍長の言う万一の準備とは、無論代替わりの準備である。両王の搭乗した専用機が墜落したという状況の今、秘密裏かつ早急に進めなければならない。
今行われている国際会議で王制の存続が承認されるのは難しいが、公表された情報が専用機墜落のみの現段階では、即位の準備を進めるほかないのである。職員たちはすでに昨日所属部署に召集され、今後予想される事態とそれを回避するための計画について説明を受けた。王宮府全職員が足並みをそろえるのは困難を極める。しかし、これが結果的に両王の勅命である以上、なさぬわけにはいかなかった。
「政府守務省によりますと、玉体奉迎の可否を問わず、発見されたご搭乗の専用機の状態から、御霊はすでに宮城へお還りになっていると考えられるということです。機体発見時刻が先ほど、九月二十日午前一時十二分でしたので、両王陛下の崩御、日の御子妃殿下の薨去は、榮礼十三年九月二十日午前一時十二分となります」
内侍長の言葉に、何人かの嗚咽が漏れる。雅雪は、目を閉じてただ生まれる音を聞いていた。
「続いて祭部……政府祭務省の報告です。神々へのお代替わりの報告が済み、お代替わりを公にできる日取りは九月二十五日。殯を経て玉葬……御葬儀が十一月八日の日取りとなる、とのことです」
皆、了承の意で会釈する。息遣いやわずかな衣擦れがはっきりと聞こえる中、次に内侍長は個々の職務の段取りを説明し始めた。
内侍長の説明が半分の職員の職務に至ったころ、雅雪のポケットで振動があった。スマートフォンに着信が入ったのである。この会議の中席を外すことは憚られたので、雅雪はそっと電源を切ろうとした。画面のボタンに触れようとして発信元が目に入る。
----“執務室”
ひととき、雅雪は呼吸を忘れたが、なるべく静かにスマートフォンの電源を切った。
四時前。ひと通り内侍長の指示が終わり、皆それぞれの役目のためにひとまずは詰め所を離れた。再びスマートフォンの電源を入れると、先ほどと同じ発信元からの着信履歴は十三件になっていた。
「これは……」
思わず、声が漏れる。
月の宮の執務室に入れる者は、月の宮と月の宮に許された者。政府も王宮府も混乱を極める今の状況で、あの部屋に入ることができるとすれば、それは春和しかいない。緊急事態で対外警備に集中している侍衛の目をかいくぐり執務室に入ることは、今なら、春和にもできるだろう。
「こんな深夜に報道して無理やり全職員を集めましたのは、お二人にお伝えするまでにいろいろと準備を整えるためでしたのに……。おやすみになってなかったのですね」
着信の回数からして、専用機墜落のニュースを知ったのだろう。
(このような手段に出られるとは……)
夜中にこうして春和が電話をかけてくるなど、雅雪は少しも想像していなかった。執務室へつながる廊下の絨毯を踏みしめる音が、はっきりと聞こえる。
(我々大人が思う以上に、動く意思はしっかりとお持ちなのかもしれない)
とはいうものの、不安は不安だ。どんな話を春和がしようとしているのか。自分がどんなことから伝えればよいか。あれこれ考えていると、あっという間に執務室の扉の前へついてしまった。
扉の前で、ゆっくりと横に首を振る。
(あれこれ考えても仕方ない。中にいらっしゃる方がお尋ねになったことに、誠実にお答えするしかありません)
自分に言って、雅雪は声を発した。
「失礼いたします。竹富でございます。お呼びでしょうか?」
張りつめた空白ののち、中から声が返ってきた。
「どうぞ」
そのようなことはあるはずもないのに、月の宮の声に聞こえた。月の宮に呼ばれて入る時と同じように扉を開けて、雅雪ははっと思い出す。自分を呼んだのは、彼でないと。
月の宮の執務机の脇に彼女は立っていた。普段壁際に寄せてある二つの椅子が、執務机の前まで運ばれ、向かい合わせに置かれている。
「ありがとう、じじ」
雅雪はただ首を振った。
彼女は父王がいつも座る椅子には座らず、指先で机に触れながら口を開いた。
「教えてほしいの」
一度机を触れた指先に視線を落とし、また雅雪を見る。
「私がこれから、どうするべきか」
彼女は今、春和であって春和でない。雅雪は思った。彼女は、自身が行動を起こす場として、この場所を選んだ。春和の部屋にも客人を迎える場所はある。無論電話機もある。それでも、この国の王の執務室を場に選んだのは、王の嗣子としての行動だと、彼女自身が意味づけているということだろう。しかし父王と彼女を一番長くそばで見てきた自分をここへ呼んだのは、おそらく和重の娘、春和としての判断だ。雅雪は“じじ”と呼んだ春和を見ながらも、王位を継ぐ王女に応えた。
「承りました」
雅雪がすすめられた椅子に掛けると、王女も向かいの椅子に座った。
「間違っていたら、教えてね」
「はい」
「この国はもう何十年も、コア・ストーンの力に頼りきってる。コア・ストーン……大昔は、万石と言ったのよね。万石は千年以上昔から、いろんなものに使われてきた。建物に使えば地震に強く、薬に混ぜれば大体の傷は治る。布や絵に色を付けるのにも使われる。火を焚くときにくべれば、長い時間しっかり燃える。ほかにもいろんなことに使われてきたけれど、今から百年くらい前に、万石を燃やして発電する石力発電が開発された。このころよね、万石がコア・ストーンと呼ばれるようになったのは」
一度言葉を切り、もう一度父王の執務机に目を遣って、王女は続けた。
「石力発電でこの国は大きく変わった。エネルギー生産がとても簡単になって、いろんな分野でこの発電が活用された。その分それぞれの分野で技術や専門性が磨かれて、急速にこの国は発展した。もともと島国で資源の限られていたこの国にとって、こんなにありがたい資源はなかったから。人々は長年、この資源に頼り続けた。……水上のことがあったあとも……」
王女は、かすかに笑んでみせる。
「水上のことがあったのに使い続けたんだもの。ほかの国が怒るのは当然よ。もともと発電が始まったそのころから、秘密を知る人たちは声を上げていたのだから。だから、今の状況が起こったの」
もう寂しげな笑みは失われ、王女の瞳は別のものを湛えていた。
「じじ」
普段の儚ささえ感じられる愛らしさからは想像もつかない、怯みのない凛とした声。侍師が教えてきた以上の、十歳とは思えない現状把握。それは雅雪の----否、王宮府職員の想像を大きく超えていた。空調の入っていない空間で、自分を呼ぶ王女の声は、雅雪には実際以上に大きく聞こえた。
「ここまで、間違っていない?」
「……はい」
毅然とした王女の振る舞いは、雅雪の心に何とも判じられない一抹の不安を過らせる。彼女はそんな雅雪を見て一度目を閉じ、一つ大きく息をしたあと、変わらぬ様子で口にした。
「私は、両王陛下と御子妃殿下の御遺志を継ぎたい。そのために、どうするのが正しいのか教えてほしい」
ようやく本題に辿り着いたとき、雅雪は言葉を失っていた。普段の様子からは想像できない王女の毅然とした姿へのよろこび。おそらく本人が気づいていない、自身の置かれている今の状況……。複雑な思いが交錯していた。愛おしい幼い王女に、いったいどこまで真実を伝えるべきなのか。
侍従が返事に困っているのをしばらく見つめて、王女は少し考えてから言葉を継いだ。
「おばあさま----大宮妃殿下にお会いして相談させていただきたいのだけれど。お会いになってくださるかしら?」
雅雪は、応えられなかった。口を開かない侍従に、王女は表情を変えず続けた。
「大妃殿下が難しいなら……ルイス閣下? エドワード陛下? ゴドルフ閣下?」
雅雪の表情は、わずかに動いた。
王女は、一番頼るべきが誰であるかをわかっていた。そしてその人物に会うのが難しい状況であるのも踏まえた上で、この一件で鍵を握る国々の元君の名前を次々挙げた。
王女----春和は、雅雪がつい先ほど認識した以上に状況を理解しており、しかしながら、肝要なところが見えていない。置かれた状況に不安や焦りがあるのだろうが、だからこそ、今動くべきではないということが。雅雪は、それを春和に伝えねばならなかった。
「春和さま、皆さまは今大事な会議の最中でございます。そして、すでにおわかりかと存じますが、その会議でお立場の状況も変わります。このような夜中に会議をしている意味も、おそれながらございます。大妃殿下や文和さまをはじめ、この件にかかわらねばならない者は、必要な時に必要な形でかかわるよう定められております。まだ、春和さまはその場に呼ばれておりません。つまり、まだその時ではないのです」
雅雪の言葉に、春和はきっぱりと首を振った。
「じじ……私はもう、守られる立場じゃいけないの。これからの立場がどうなろうと、今の私は宵待の宮よ」
雅雪もまた首を振った。
「さようです。まだ宮陛下ではありません」
静かに諫める雅雪を見て、春和は少し間をおいた。それから、先ほどより少し柔らかく口にする。
「でも、もう宮陛下は……両王陛下はいらっしゃらない。そうである以上、国民を両王陛下に代わって守るのは、跡を継ぐ者の務めでしょう?」
春和がそのつもりで話すというのは、呼ばれた場所から雅雪にもわかっていた。しかしはっきりそう言葉にされてしまうと、胸が締めつけられてしまう。その自身の気持ちと向き合いながら、なるべく冷静に雅雪は言った。
「さようです。だからこそ、簡単に動かれてはいけないのです。宮殿下……貴方は今、替えの利かない唯一の御身。国民を守る唯一の御身のお務めには、御身のことで国民に余計な心配をかけないということも含まれています。今の状況で、まだお小さい春和さまのことを皆が心配しているのは言うまでもありません。だからこそ、春和さまが今のお気持ちで急いで動いて、余計に国民の心配を増やしてしまうというのは、望ましくありません。それは、宮殿下としてのお務めを果たせていないことになります」
雅雪の言葉を聞き終えて、春和はしばらく下を向いた。けれど、ほっとしたように笑ってみせる。
「ありがとう、じじ。ちゃんと言ってくれて。……私、呼ばれるまで待っているわ」
雅雪は、恭しく礼をとった。
ちょうどその時。執務室の扉を誰かが叩いた。雅雪は春和に会釈し立ち上がり、扉の側まで足を運んだ。春和に雅雪の表情までは見えなかったが、次の瞬間、雅雪の背が凍りついたように固まったのを春和は目にする。
「……じじ?」
春和が呼んでも、雅雪は振り返らなかった。
「じじ」
もう一度春和は呼んだ。雅雪はゆっくりと向き直る。
「宮殿下」
春和の瞳がわずかに開く。
「東和城へお出ましください」
春和は一度瞼を閉じ、息を吸って、吐いた。
「わかりました」
春和は静かに立ち上がり、雅雪の側まで歩みを進めた。雅雪は壁際に移り会釈する。ドアノブに手をかけようとして、春和はその手を一度下した。
「じじ」
呼んで、頭を下げる彼を見上げた。
「一緒に来て」
勤勉な春和が、規則を知らないはずがなかった。
「しかし……」
心得たように春和は続ける。
「もちろん、内侍に宮城外への同行を頼んでいるのではなくて。私は……規則でその在り方を定められていない、私の知らないことまでちゃんと知っている、史部の……竹富の当主に、一緒に来てほしいと願っています」
清んだ瞳は、静かに光る。この瞳と同じ光を、雅雪はずっと見てきた。
「承りました」
春和は満足げに笑んだ。
「あと少しだけ、じじの手を焼く王女でいさせて」
榮礼十三(万久紀三〇九一)年九月二十日午前五時三十三分。王宮府の管理する宮域の中で一般の者にも開放された公宮域の沿道とすべての門に多くの報道陣が詰めかけている。常時に比べ大幅に増員された侍衛たちが警護する中、西方の仙美門が開き、窓をすべて覆った車が、二度、五台ずつ入って行った。