4 報道
榮礼十三年(万久紀三九九一年)九月二十日、二時。いつもに増して屋敷の中は騒々しかった。豪奢な調度に囲まれた広すぎる部屋は、いつも通り静まり返っていた。それだけに下の騒がしいのははっきり聞こえる。景は手元に置かれたスマートフォンから充電のコードを外し、布団を頭までかぶってうつ伏せになった。
血筋や家柄がある一部の人間は、薄っぺらい笑みを浮かべて近寄ってくる。それは、自分や家族が政財界で目立ちたくてたまらない与党寄りの恵まれた者。それ以外の多くは、冷ややかな、刺すような眼で景を見る。どちらにも当てはまらない者もいるにはいるが、そんな者を見つけられるほど、景に余裕は存在しない。隙を見せず、何事も淡々と上の上でこなしているように見せるだけで、彼は精いっぱいだった。
(どうとでもする----あの人は)
景の父は、この家の長子に生まれながら政治の道に足を踏み入れ、あろうことか首相になった。父はいつも思いのままに事を運ぶ。けれど、それが国民の支持を得ることはほとんどない。野党や一部の人間は声をあげるが、声をあげるだけで何も実現しないので、政権はもう二十年間同じ党から変わっていない。首相の在任期間は八年を超えた。父絡みで周りからあることないこと騒ぎ立てられるのも、父の思惑に振り回されるのも、景はもう慣れている。----首相夫妻の一人息子として生まれてしまった運命にすら思えるほどに。
ただ、諦めているわけではなかった。父に振り回されるとしても、できる準備はしておきたい。学校に行った時、どんな眼で見られても、いつも通りふるまえるように。
景が画面を叩こうとすると、先にスマートフォンが震えた。
『速報:王宮府専用機、墜落。両王陛下、御子妃殿下および全乗員安否不明』
「母さん……!」
最初に景が案じたのは、母だった。
この東和国は大昔から二人の王を頂いている。権力の象徴「日の御子」と、権威の象徴「月の宮」。権力、権威と言うものの、今日の王にそんなものは許されていない。そう呼ばれる所以たる公務は朝議会という形で形式的に残っているが、彼らに政治的影響力はほとんどなかった。今日の両王の役割と言えば、国内視察と宮中祭祀、そして国際親善。今、両王はまさに国際親善のため、西の海の大国アレンランド連合王国へ出発していた。
「墜落……」
見えた文字を口に出し、その瞬間背筋が震えた。何件も来るスマホの速報。ほぼすべての見出しに、『首相』や『政府』の文字がある。
景は、母のもとへ行こうか迷った。今は自分より母の方が恐ろしい思いをしている。母の姉は、御子妃だ。けれど母を目の前にして、自分にできることはない。母のところへ行くのは、思いとどまった。
昨日、大きなニュースが出たばかりだ。東の海の大国オルゴー共和国から、東和国政府宛に荷箱が届いたという。中身と、タイミングが問題だと報じられた。
中身は、遠隔操作可能の最新式砲弾。両王と御子妃が、当代初めて揃って外国親善訪問へ出発した日に届いた、というタイミング。両王と妃の訪問先が西の海の大国アレンランドだったのも関係していると見られている。
(両王陛下と妃殿下が向かったのが西の海の第二勢力アレンランドであることを考えたら、オルゴーが牽制してくる可能性はゼロじゃない。ゼロじゃないけど、こんなやり方をする必要はある? オルゴーは、四年前の東和政府の判断に賛成していた国のはずだ。東和に対してそこまでの敵意はないだろう。こんなたいそうなものを送りつけたら、国際社会で悪目立ちするだけじゃないのか……)
約百年前に島国であるこの国に西の海の国々から先進技術がもたらされ、東和の風景は一変したと記録に残る。その直後に起きた最初の世界戦争では、西の海の国々に従って戦勝国に名を連ねた。
しかし三十年後、二度目の世界戦争の時、この国はそれなりの発展を遂げていたとされる。東和は自国の繫栄を優先させた。当時の東和政府は両王を名目のみの旗印とし無謀な侵略を繰り返した。自国の民を疲弊させ他国の民を虐げた挙句、国内外から信を失う。そして不満を募らせた国民や外国人の捕虜が政府軍拠点を目指し決起した日、世界最大勢力国西の海のルーベルトが、政府軍拠点を攻撃。首相や全閣僚を含め、政府軍拠点にいた全員が死亡した。第二次世界戦争における死者は、東和だけで百万を超えたという。
東和はその後世界唯一の発電方法を開発し、戦災からの復興は無論、五十年で巨万の富を築き上げた。しかし四年前、百年に一度と言われるほどの震度を記録した大地震がこの地を襲う。世界唯一の石力発電を行う発電所は大破し、有毒物質が一つの町を滅ぼした。東和政府は被害を全土に広げないためとして陸を切り離す工事を行い発電所のあった町を島としたが、その行為はあらゆる面で国外から賛否を呼んだとされている。
被害拡大を防ぐためとはいえ、一つの町を政府が棄てた。両王の勅許を得ずに首相の独断で秘密裏に進められ、後戻りできぬようになってから両王への報告と正式発表がなされたという。それはそこに眠る死者の魂、遺族の思い出と意向を無視する形と言わざるを得ない。その点において、有識者や国民に広く意見を求めて熟慮を尽くすべきであったとする国々。否、それでは判断が遅すぎる。被害が東和全土、そして世界中に広がる前に行動を起こした東和政府の英断は讃えるべきだという国々。前者にはルーベルトやアレンランドをはじめとする西の海の国々があり、後者にはオルゴーなど東の海の国々が目立っていた。東和政府の行動を賛否する各国の数多の発言は、そのまま世界情勢を顕在化したものであったと見られている。
景はスマートフォンの電源を切り、ベッドから立ち上がった。窓際のデスクの前で足を止め、机の上に立ててある何冊ものファイルの背表紙を指でなぞる。
(両王陛下が出発して三時間で到着したオルゴーの荷箱。国内ほぼすべてのテレビ局がほとんど同じ内容のニュースを繰り返し、海外の主要メディアも大きく報じた。SNSはもちろん大荒れ。……そして、荷箱のニュースから半日で専用機墜落のニュース……)
『水上』と書いた背表紙の上で、しばらく指をとどめる。首相がこの町を陸から離すと公表した時と、とても似ている。景はやがてゆっくりと首を振り、硬い笑みを浮かべた。
報道の内容がどこまで真実かはわからない。しかし、これほど大きな情報ばかりが一つの流れをもって報道された。大きな情報ばかりが立て続けで、状況の細やかな説明が少なすぎる。そのため、漠然と不安が生じる。この空気は水上の工事の公表の時のみでなく、景の家にはよく生まれている。景の家でニュースや情報の位置にあるのは、父の感情というべきなのだが。
「雑だなぁ……」
呟いて、景は椅子に掛ける。『水上』の隣のファイルを取り出した。