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『暁宵照輝録』  作者: 山ノ内 りょう
三 貞香四年
32/32

30 会いにきた子ども(下)

 一郎(いちろう)は胡座をかいたまま、目の前に立つ瀬津(せつ)の呼吸をぼんやり見ていた。

 一見音のない水面。だがそれは蓋にすぎない。蓋の下に押さえ込まれた瀬津の呼吸は烈しく荒れている。そんな状態でありながら、周りの空気についた呼吸の跡を感じ獲ろうとしていた。


(何がしたいかくらいはわかるが、根本的なやり方がちがう。それでは当分掴めんな)


 感情や言葉から呼吸を知る。呼吸からその場空気やそこに残る感情を知る。和真(かずま)が普段そばでしていることを自身で分析して真似ようとしているのだろう。----周りをよく見ているからできていることだ。だが、最初の入り方からそもそもちがう。


「御子陛下ならもうおられんぞ」

 一郎がそう口にしても、瀬津はまだ呼吸の跡を探ろうとする。


「おまえ、おれの呼吸を掴もうなんて思ってんのか?」

一郎は、汚らしく笑った。それでも、瀬津は呼吸を探り続ける。一郎の言葉を聞いても瀬津の呼吸に変わりはない。一郎は邪魔くさそうに『照輝(しょうき)』を抱え、瀬津の方を向いて寝転がった。


「で、何の用だ?」


瀬津はようやく呼吸を探ろうとするのをやめる。


「ぼくはだれの子?」


 瀬津がここに立った瞬間に吐き出した息で、瀬津がすべてに気づいてやってきたのだということを一郎は認識していた。だが----。


「なんだって?!!」

これでもかというほど醜く嗤う。


「おまえの顔は母さんにそっくりだろう!? その綺麗な顔のお陰で、来年宮陛下の(つかさ)就任が公表されれば、おまえは国中からちやほやされる! カミとの(ちぎり)なんぞなくたって、桔梗(ききょう)の顔と津山(つやま)の名前でおまえは宮陛下の婿に決まるのだ!! 苦労して御子陛下(あいつ)のあとをつけてきて何事かと思ってみたら、なんだ、そんなことか!!」


言い終えるとまた、先ほどのように嗤い続けた。


 一郎が嗤い続けていると、やっと瀬津がもと来た道を戻りはじめる。一郎はその背が小さくなるのを見送りながら必死に嗤った。瀬津の呼吸を感じなくてもすむように。




 やがて険しい岩場の先に、背の高い瀬津の背中が細い線のようにしか見えなくなる。----声が出ていた。


「瀬津!!!」


瀬津が止まった。


一郎は、再び声を出しかけはっとする。----静かに歯を噛み締めた。


“追いかけるんじゃない!! 手繰るんだ!!”


また、瀬津は歩きだす。



「くそ……」


 ひとときでも、呼吸の辿り方を教えようとした自分に驚く。何もかもを打ち明けてしまっていっそ楽になりたいという思いがよぎったのかもしれない。だが、こんな数秒で十三年の思いを水の泡にしたとあっては話にならない。堪えられて、ほんとうによかった。


 ゆくゆくは、瀬津にもこの力が必要なのかもしれないが、持たずに生きてゆけるならそれに越したことはない。----一郎は、再び胡座をかいて『照輝』を広げた。


 

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