2 東和国
榮礼十三(万久紀三九九一)年、九月十八日。時刻は、二十三時前。内侍の詰め所の奥にある仮眠用の寝台に、雅雪は腰かけていた。手の中の写真で笑う彼らをじっと見つめる。雅雪が、スマートフォンで撮った初めての写真。十一年前、彼らが全員揃った唯一の写真。日を受けたイチョウに負けないくらい、若者らしく輝く瞳がそこにある。
「これをお撮りした時は、今日のような日がくることなど、想像もしませんでした。しかし、これもまた、あなた方の選んだ道……だったのですよね……」
中央の子どもの隣、胎の大きな娘に言った。
この東和国は立憲二府二王制を布く。『新東和法典』なる憲法のもと、議会で議員により国の方針が議論され、決定する。議会は朝議会と呼ばれ、二人の王の臨席が憲法に定められていた。両王は、決議事項実行の最終判断を下す。日の御子が実行の可否を断じ、月の宮が日の御子の判断を承認する。以上のことから、議会権力の行使を決定する日の御子を「権力の象徴」、日の御子の判断すなわち議会の権力を承認する月の宮を「権威の象徴」と憲法は語る。また、国政は政府がまとめ、王宮府は王族と王宮のことをまとめている国家体制から独立した組織と認識されていることが多い。
両王の役目はそれぞれ異なるものとされており、ゆえに朝議会臨席と年に数度の限られた公務以外、両王がともに公務を行うことはない。地方訪問や賓客との面会はそれぞれの王が必要に応じて別々に務め、大概妃が同行する。以上が、公に知られている東和国の仕組みと言えよう。
しかし、この国には、長い年月公に秘されてきたことがある。国のはじまりと、存続の理由。それを守りつなぐために、王宮府が、政府とは別に府を構えるのだ。
大昔、岩吹媛という岩をつかさどる若い神のもとに、若い人の兄妹が現れた。兄妹は、その年連日降り続いた大雨で家と畑を失ったという。兄妹はたまたまその神のもとに現れただけであったが、岩吹媛はたいそう彼らを哀れに思った。彼らにはまだ同じような仲間がたくさんいて、皆行き場をなくして亡くなっていく。ゆえに岩吹媛は自分の力を彼らに貸すことを決めた。兄妹に自分の持つ岩の一つを譲り、自分の暮らす岩屋に彼らの住む分を分けてやった。神が譲った岩はあらゆることに使うことができ、神は彼らにその岩の使い道を丁寧に教えた。そして兄妹とその仲間は再び生きる場所を得、栄えた。それが、この東和国のはじまりである。
その後も人々は神が譲った岩を使い続けた。神が人に譲った岩は、本当にたくさんのことができた。細かく砕けば病や傷を治す薬にもなり、一度溶かしてから固めたものを積み重ねれば、大きな地震に耐えうる家を建てられた。道具にもたくさん用いられている。使っても減ることのない万能の岩。やがて人々はそれを万石と呼ぶようになり、ここ数十年は、コア・ストーンと呼ばれている。
初め、人は神が人のために与えたものだと思い、人に許されたものと解釈して万石を使っていた。しかしある時、無限にあるその石が、神の身体の一部であることを知る。だが、もうこの国に万石は欠かせなかった。それゆえ人が使うことを許された神の力として、万石は崇拝の対象となった。神も人がもう石を手放して生きていけない状況だとわかっていたため、人が自身の一部を使い続けることを許した。
そうして長い長い年月が過ぎ、ある時から神の呼吸が乱れはじめた。人が神の教えた領域を越え、万石を使い始めたその時から。
最初に神から岩を譲り受けた兄妹はすでに亡くなっていたが、人々によって神の呼吸が乱れはじめた状況を知り、結末を見届ける決心をした。神がはじめに自分たちに譲った岩----統石----に、精霊として宿りながら。
後に人々は精霊として宿る彼らを、「神」の字音をとり、カミと呼んだ。カミは生身の身体をすでになくしていたので何か行動を起こすことはできず、見届けるしかできなかった。そのため、ある人の子と共に見届けることにしたのである。それは兄妹のうち、妹の子であった青年とその妻だった。
兄妹は、若者たちに神の威光と力を守りつなぐ存在となるよう誓わせた。あらゆることを起こしうる神の力は、空に輝く陽の光。神の力を守ることを誓った妹の子は王として国を治め、やがて人々から日の御子と呼ばれるようになった。そして、神がそこに在るだけで放たれている光。神が力を以て起こしたことでさらに高められる威光。それは陽によって変わることなく照らされる月。神の威光を守ることを誓った妻は、月の宮と呼ばれる王になった。そして二人の子からまた次の王が二人立てられて、それを彼らの子孫は継いできた。
王は新たに立つたびに神を守ることをカミに誓った。それが、王と統石の間で結ばれる契。契がどのようなものであるかは、ごく限られた者しか知ることを許されない。しかし、長い歴史の中で両王の立場がどう変わっても、王と統石の契が今でも結ばれ続けているのは確かとされる。
人々による乱用を防ぐため、統石や万石の存在はゆっくりと時間をかけて公から秘されるようになった。万石はまったく別の資源としてコア・ストーンと呼ばれるようになり、もう万石という呼び方が公のものだったころを知る者は世間にいない。いつか迎える【時】のため、役目を与えられたわずかな者が、それを密かに継いできた。そうして、今日に至るのである。
「【時】……。何が起こるかはわからない。けれど、神が人の世を去り、神の世へ還る時。いつか迎えるとされていた【時】が、あなた方のお子たちの代に訪れると知ったその日から、あなた方はできる限りを尽くしてこられた。今からのことは、その最後と言えるのでしょう」
写真の娘に雅雪は語る。スマートフォンを握る手に力が入った。
「しかし寂しゅうございます。みな、私を置いて逝かれてしまう」
写真の中の、一人ひとりの顔を見た。
「私にも、一郎さんにも子はいません。王宮府の職掌の中で世襲とされる役目を継ぐ子がいないのは、【時】が近い、何よりの証拠なのでしょう……」
目の周りが熱くなるのを感じ、上着の中に携帯をしまう。時計に目をやり、一つ息をし立ち上がった。
「時間ですね」
詰め所を出て扉を閉める。鍵をかけ、扉の前で礼をした。