26 四年目の秋
貞香四(万久紀三九九四)年九月二日。
東和国王のひとり、日の御子は八歳の誕生日を迎えた。もうひとりの王、月の宮はあとふた月で十四歳になる。非公開の宮中祭祀は別として、未成年の両王に公務はそう多くない。十五歳から徐々に増やされる予定ではあるが、今は新年の一般参賀が公的に人前に出る唯一の機会だ。
国民が両王の姿を目にする手段はもう一つ。両王それぞれの誕生日に公開される映像である。音声のない、両王が一緒に過ごしている動画と近況を伝える文書が王宮府から出されるのだ。そこから、各メディアが原稿や記事を書き広まってゆく。毎回、映像に関するワードはネット社会のトレンド上位に必ず入った。
今回の動画は、夏のある日に撮影したもの。日の御子が宮城の庭で見つけた蝉の抜け殻をテラスでひたすら一列に並べている。日の御子はずっと話しながら並べ続け、そばでは月の宮が持っていた本から目を離し、日の御子と抜け殻の列を見ながら楽しそうに何か言っている。
『おふたりともかわいらしい』
『抜け殻がおそらく画面の外にもたくさん…………。御子陛下、シュールすぎる!』
『宮陛下の目がお優しい….』
『ふたりともすでにビジュよき』
今回も、微笑ましいこの映像に国民はさまざまな想像を膨らませ、両王の名前はもちろん、『セミの抜け殻』までトレンド入りした。
そんな、国民から絶大な人気を集める両王が、この撮影時何を話していたのか。間違いなく、国民の想像の中に正解はない。だからこそ、音声は非公開にされ、ごく限られた側近によって撮影されたものを使っているのだ。国民が目にしているこの映像は、実に四度の撮り直しを経て公開された。
「ねぇ、はる。抜け殻たちが面白くないって言ってる」
蝉の抜け殻を楽しそうな笑顔で並べながら、日の御子----和真は言った。月の宮----春和は穏やかな表情で和真を見守っていたが、小さく吹き出し、口元に軽く手を添えた。
「だって、かずに無理やり木から剥がされたんだもん」
春和の言葉に、和真は手を動かしたまま抗議した。
「ひどいよ、はる。じじたちがどうしてもっていうからセミの抜け殻並べにしたのに。ぼくは抜け殻並べじゃなくて、新技公開したかったのに」
言い終えたかと思うと、和真はしゃがんだ姿勢からつま先で地面を蹴った。
ほんの少ししか力をかけていないように見えたのに、和真は大人の身長より高いところまで行って、宙でくるっと一回転して降りてくる。降りたあとも、足は地面につけず、少しだけ浮いて待っていた。
「かず」
春和が諫めると、和真は着地し唇を尖らせる。それからビデオカメラを持っている瀬津の方を見た。
「今の、かっこよかったよね?!」
ため息をつく春和を見てから瀬津は苦笑し、ビデオを切る。
「かっこよかったですが、御子陛下。今の御子陛下のせいで、また動画は撮り直しです。これで三度目。御子陛下のせいで、お疲れな宮陛下のお休みになる時間が短くなってしまいました」
瀬津が困り果てたとばかりに言うと、和真は背中をびくっとさせてぎこちなく春和に視線を戻す。
「約束は?」
静かな眼で春和が訊く。
「ほかの人が困ることはしない」
和真はぼそぼそと言ってから
「ごめんね、はる」
と口にして、自分の飛び上がった風で散らばった蝉の抜け殻をもう一度風を起こして並べなおした。
こういうことをされるから、報道陣を入れての撮影は絶対にできない。和真のこういうところを知っているごく限られた人間のみが撮影し、音声も非公開にしているのだ。そして唇の動きを読まれても差し支えないような場面を公開している。----撮影し公開する準備をする者にとっては、とても面倒な作業なのだ。
和真の秘密を知っているのは、春和と瀬津、教育係である侍師団、侍医団、そして内侍の職員だけである。大人たちは、王として振る舞わなければならない和真に細々と注意しているが、和真にはそう堪えていないので相当手を焼いている。しかし、年代が近いからか、春和と瀬津の言うことには効き目があった。特に、春和には弱い。それを大人や瀬津はありがたく利用させてもらっている。一方で、本来は遊びたい盛りの年頃だから、両王はよく頑張っていると大人たちは思っていた。
蝉の抜け殻を並べなおす日の御子と目を瞑って待つ月の宮を瀬津は見つめる。
日の御子ができることは、”宙に浮くこと”ではない。それは、最近できるようになった、まさに”新技”。どんなことができるかという説明は非常に難しいが、一言でまとめるなら、”空気を味方につけている”。------それが現時点での瀬津の見立てだ。
ものを浮かす、まだ見えていない人物が遠くからやって来るのがわかる、人並外れた運動神経…………。目立つところはそういうところだ。何がとは決して言わないが、日の御子は”手伝ってくれる”からできるのだと言っている。
(またできることが増えた…………。増えたというより、少しずつ規模が大きくなっている)
王は統石に宿るカミと契を結び、いつか来る『時』に備えて人ではない力を授けられる。
それは司部の家で育った瀬津も幼いころから聞かされてきたが、代々の史部が残した『照輝』にもどんな力を授けられるのかは記されていない。
月の宮には、日の御子のような力は見受けられない。本人が人前で出さないようにしているだけというのも考えられなくはないが、普段の言動から判断してそのような力がある可能性は低い。だが、瀬津が司として統石に宿るカミと対面している以上、月の宮は確実にカミとの契を結んでいる。……一方、日の御子にはいまだ司が現れない。
瀬津が城に上がった当初から感じていた可能性は、少なからぬ現実味をもってきた。
----王の契は、神と人をつなぐもの。司の契は、人を人に留めておくもの。----
あの日、統石に宿るカミから言われた言葉を思い出す。
(岩吹媛が----神が人の世を去る【時】が来るのだとしたら。統石を天に返す時が来るのだとしたら……。もし本当にそうならば…………神の力を返しに行く宮陛下を、人の世に留めることはできるだろうか)
「せつー!!」
三百ほどの抜け殻を風で動かし整列させなおした和真が瀬津を呼ぶ。春和ももう目を開けていた。
「ただいま」
瀬津はビデオをオンにした。
これでやっと、今回の撮影が終わったのである。
和真の誕生日の映像が夜のニュースで取り上げられている頃、当の和真はいつものように春和や瀬津と夕食を終え、侍衛の運転する車で自身の宮城に戻っていった。
和真を見送り終えた春和は、振り返って瀬津を見る。瀬津は心得たように頷く。
「宮陛下。このあとはご一緒に本日の朝議会の録画を見るというのが当初の予定でしたが、竹富さんがお話ししたいとのです」
春和が朝議会に臨席できるようになるのは、十五になる来年だ。その日にわけもわからず座っているだけにならないように、春和は瀬津に朝議会の録画を頼んだ。即位して半年経った頃から、夕食後、瀬津とともに録画を見、わからないことや思ったことを瀬津に尋ねている。春和が勉強になるのはもちろんのこと、春和がこうして尋ねると、答える瀬津も春和がわかるようにかつ正しく伝えなければならないので、情勢をより正確に整理できた。
竹富さん----雅雪は、高齢のため今年から週三日、日中のみ出仕している。その雅雪がこのような時刻にやってきた理由は、春和と瀬津の中でいくつかに絞られた。
「わかった。書斎でいい?」
春和が尋ねると、瀬津は
「はい」
と穏やかに応え、それから丁寧に会釈した。
これまでも人に聞かれたくない話は書斎でしてきた。春和たちが書斎に入ると、雅雪はもうそこに待っている。机の上には、白い布に包まれたものがあった。刹那、わずかに春和の息が漏れる。春和と瀬津の姿を見て、雅雪はゆっくりと礼をした。
「じじ、お待たせ」
雅雪は首を横に振り、春和と瀬津が定位置に着くまで待った。春和と瀬津が腰を下ろすと雅雪も座る。
「それは?」
春和の問いに、雅雪は胸に手をあて恭しく礼をした。
「『暁宵照輝録 榮礼紀』第一巻をお持ちいたしました」
春和は目を閉じ、ひとつ呼吸をしてから瞼を開き、静かに机の上の包みを見つめた。
寒さに慣れたい。




