25 十一月八日
貞香元(万久紀三九九一)年十一月八日。
今日は金曜日だが学校はない。人命と報道に携わる人、彼らの就労を支える業種の人しか、今日は就労していない。あとは、王宮府と政府の関係者。保乃の父も、淡々と支度を整え出仕した。今日この国の多くの人は、自分や母と同じように、ほぼ一日テレビやインターネットの画面を見て過ごすだろう。関心のない人でも、今日が何の日かという回答は全員揃うはずだ。----今日は、先の両王の玉葬である。
午前八時五十分からテレビ中継ははじまった。保乃は、朝食の片づけを終えた母とともに静かにそれを見つめた。
父が侍衛として王宮に出仕していなければ、今の自分の状況はない。幼いころ、新年一般参賀の日に母に東和城へ連れられて行かれたあの日、父の姿を見ていなければ。
多くの人が集まり、東和城のバルコニーに先の両王と王族が並んで手を振っていたあの時、その下で整列している侍衛の中に父がいた。立っているだけの父が、子どもながらにかっこいいと思った。そういう言葉を当時知っていたかはわからないが、今では、父の”誇り”を美しいと感じたのだと思っている。
あの日から、父がそんなふうに護る人に興味を持った。父がどうしてそう在るのかに興味を持った。だから動機の純不純はさておいて、同世代に比べると王室や政治に関心を持っている方だと思う。興味を持って見ていたら、わからないことは増えていくし、きれいでないものも目に入る。そして幸か不幸か、王宮や政府に近そうな人が数人自分の通う学校におり、自分の生きる世界の端ににいる。しかも一人は、端ではなく真ん中に近い。それでも、父のあの日の姿がまだ忘れられず、父は今もあの日のように務めを果たしているのだろうと思えるのは、自分の世界の真ん中に近いところにいるその人が、あの日の父にも通ずる美しさを見せてくれているからだろう。保乃は勝手に、そう思っている。
テレビでは玉葬開始前の会場の様子、特に臨席する各国代表者を映し、一通り映し終えるとこの数か月の経過を説明した。そしてこれから行われる玉葬の式次第を伝え終えたところで、定刻となった。
式次第の説明によれば、玉葬は陵に棺を埋葬する儀式であるが、神話的な側面もある。『東和神話』には、飢える幼い兄妹に神が自らの力の一部を授けたことで国が興り栄えたとある。それゆえ今でも日と月のそれぞれの宮城には神の力の象徴、そして王位の証として統石があり、王が崩御するたびに統石を一度土に埋めて神に力を返すのだという。統石を土に埋めるのは、棺を納めるその時で、棺の上に統石を置き、ひと掬いの土を被せる。統石は祭詞が奏上されると土の中から取り出され、陵のそばの斎場にある神床に祀られる。陵では棺のみに再び土がかけられ埋葬され、埋葬が完了すると新たな王は祭員から統石を授かる。
そもそもこの神話に則った儀式が四千年続いているとするのも無理があるが、いつから本当にこの儀式を行っているのか。この統石をいつ作ったのか。やっていることを説明されたところで、その儀式自体は陵のそばに建てられた石造りの斎場内で行われるため見ることもない。せいぜい、陵から斎場に運ばれるときくらいしか統石は見られないだろう。その謎だらけの儀式のために、今日幼い新王たちはここへ呼ばれた。
先の両王が国民から支持を得ていたことは知っている。この儀式が王の葬儀にとって大切な部分なのだろうということもわかる。しかし、この非常事態で即位を余儀なくされた幼い子どもに、今人前に出ろという大人がとても残酷だと保乃は思った。年上の月の宮ですら、やっと十一。日の御子はまだ五つである。
(父さんは、どう思ってるんだろう……)
一侍衛でしかない父がどう思おうと状況は何も変わらないだろうが、考えてしまう。
九時ちょうど、喪服姿の幼い両王は最前列の席についた。着席前、月の宮はゆっくりと後ろに向かってお辞儀をし、それを見ていた日の御子が不思議そうな表情のあとぺこっと頭を下げていた。それを見ただけで、保乃の隣にいた母は嗚咽を漏らす。両王が着席すると、先の両王の棺が運んで来られ、次第が進められた。
一分間の黙祷後、神々への玉葬執行の報告、御祓い、複数の祭詞の奏上があり、首相と首侍による弔辞が読まれた。そのあと新たな両王と王族、各界の要人が拝礼し埋葬にうつる。
埋葬に際しては装束をまとった祭員が八名出てきて、左右の陵の大きな岩を一つずつ丁重に移動させた。その直後に映された月の宮の小さな背中が、わずかだがぴくんと動く。傍らでは日の御子月の宮に顔を向けていた。
先の日の御子の棺がまず右の陵に納められ、続いて小さな木箱を持った祭員が中に下っていった。その祭員がしばらく経って木箱を持って出てくると、今度はそばの斎場に木箱を持って入っていく。祭員が何も持たずに出てくると、陵にはたくさんの土が被せられ、大きな岩が元の位置に置かれた。先の月の宮の棺も同じように納められ、木箱もまた同じようにされた。
続いて新たな両王が祭員に先導されて斎場に入ったが、十五分以上出てこなかった。その間テレビ放送はただひたすら陵と斎場を画面に収め、一分間に一回ほど両王が斎場に入っていることを説明していた。
ようやく両王がそれぞれの斎場から出てきたとき、テレビの画面には二つの斎場が収まっていたので両王の表情まではわからない。だが、二、三歩歩いたところで、月の宮がふらついたかのように見えた。しかし何もなかったかのように彼女は再びゆっくりとした歩調で歩きはじめる。
(えらい子だな…………)
思いながら、保乃はもう一つの斎場の方に目を向ける。
こちらでも同じように日の御子がゆっくりと歩いているはずであったが、いるはずの場所に日の御子はいなかった。その瞬間、画面に映る光景全体が静かにざわめき、そばで同じものを見ていた母が声を漏らした。
「あぁ…………!」
日の御子は、固く静かに再び歩きはじめた月の宮の前にいた。画面の中では小さくてはっきりとは見えないが、短く、日の御子の口が動いたようだ。それから、日の御子は月の宮に抱きついてしがみつくようにしゃがみこんだ。
月の宮はしばらく立ったままいたが、屈んで日の御子の髪をなでる。そっと身体を離してから何かを言って立ち上がり、日の御子を先に行かせて元の席に戻っていった。
その後は粛々と次第が進み、両王は着席時と同じように一礼して会場をあとにした。それに続いて喪主である先々代の月の宮妃が会場を出る。そこで終了の案内があり、会場内の参列者がぽつぽつと席を立ち始めたところで中継は終わった。
「言葉がないね……」
目を抑えながら母が言った。保乃は黙って頷く。
母と自分にとって今日の玉葬で一番印象に残った場面は言うまでもない。ほかの人々も多くの人がそうだろう。そしておそらくその場面はすでに一部の人に切り取られ、炎上をはじめているにちがいない。これから先も事あるごとに一生取り挙げられるかもしれないくらいだ。
どうしてこの場に幼い二人を出してきたのか、おとなの考えることはわからない。けれど、今保乃が幼い二人に感じたものは、日ごろ別の人物に感じるものにとても似ている。
(あのひとは、何を思ってこれを見てたんだろうな……)
今日からまたしばらく静かには過ごせないだろう隣の席のクラスメイトを思いながら、保乃は静かにテレビを切った。
九月もがんばる。




