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『暁宵照輝録』  作者:
二 貞香元年
26/28

24 幼王の葛藤

 貞香(ていこう)元(万久紀(ばんきゅうき)三九九一)年十月四日、午前八時。瀬津(せつ)(つき)(みや)の居室前に立っていた。前夜、宮本人から朝食前のこの時刻に部屋を訪ねるよう言われたためである。


「失礼いたします、宮陛下(みやへいか)

 瀬津がノックをして声をかけると、

「どうぞ」

と中から声が返ってきた。


 ドアを開けると、真ん中にあるテーブルを挟んで、ふたつの椅子が並んでいた。瀬津の部屋と同様にドアから入って右側にはもうひと間部屋が続いており、そこを生活空間としているのが窺える。こちらの部屋は全体として上品なしつらえで、来客用の部屋といったところだろう。テーブルのそばの椅子にかけていた月の宮は、瀬津が足を止めたのを認め立ち上がった。


「朝早くからありがとう。おはようございます」


 月の宮はお辞儀をし、瀬津に歩み寄る。月の宮を見下ろすことにならぬよう瀬津が屈もうとすると、月の宮は瀬津の手を引っ張ってテーブルの方へ向かわせた。自分が座っていた椅子ではない方の椅子を引き、にっこりと笑む。


「ようこそ。わたしのないしょの部屋へ」


瀬津は口元を緩める。胸に右手を当て、柔らかく一礼してから口を開いた。


「おはようございます、宮陛下。本日は、このような素敵な場所へお招きいただき、ありがとうございます」


言い終えた瀬津がゆっくりと顔を上げると、月の宮は瞬いて、口のあたりに手を当て数歩後ずさる。瀬津が穏やかに見守っていると、月の宮は下を向き、すすめた椅子の背もたれを無言でぽんぽんとたたいた。瀬津が会釈し椅子に触れると、月の宮は自分の椅子に急いで座った。



「わたしがないしょ話をしたくなったら、相手の方にここに来ていただくの」

 月の宮の言葉ははっきりしていたが、ぎこちなかった。自分で言いはじめたものの、今のやりとりについて照れている。瀬津がそれを感じながら先ほどと変わらぬ調子で

「はい」

と応えると、月の宮は肩の力をほっとぬいた。


「それはほんとうのことだけど、ないしょ話がしたくて来てほしいとお願いしたのは、瀬津さんだけよ。…………かずは勝手に来てくれたことがあったけど」

 月の宮は、ほんの少し遠くを眺めた。


「大人はだめなの。おばあさまも、じじも、みんなも。わたしたちのために、たぶん、ぜんぶは話さない」

瀬津に目を戻し、月の宮はかすかに笑んだ。


 大人は幼い両王(りょうおう)を思い、言うことを選ぶ。嘘はつかないが、言葉を濁す。----宮城でしばらく生活し、月の宮と大人たちの会話を聞いて瀬津はそう感じていた。


 親が突然いなくなり、国際会議で様々な思惑が交錯する大人たちの前に晒され、何とか即位にこぎつけた今も前途多難は言うまでもない。首相や政府、王宮府、国際機関の発表とそれに伴う様々な報道で、両王は瞬く間に世界中から注目された。


----擁護も、中傷も。


もともと王の子女だから人目に触れる機会はしばしばあった。しかし今の一連の出来事について、両王にかかわる記事の爆発的な広がり方は、ネット社会特有で、異様としか言いようがない。それゆえ、大人たちが両王に伝えることを選ぶのは当然と言える。


(けれど、宮陛下は知りたい、と……)

月の宮の言葉から、瀬津はそう推察する。


しばらく黙っていた瀬津に、月の宮はこう口にした。

「昨日のじじの話、瀬津さんはどう思った?」

昨日の話とは----先代両王の玉葬(ぎょくそう)への参列依頼と、新両王と首相の定例夕食会再開の依頼。


(”思った?”か……)


 昨夜竹富(たけとみ)内侍(ないじ)もふれていた、出会った日の彼女の言葉を思い出す。

(”私と御子陛下(みこへいか)が見るものを、同じ場所からまっすぐ見ていてほしいのです”)


(より近い場所で感じたことを答えるためには……)

月の宮が昨夜の話をどうとらえているかが重要だ。


「宮陛下、陛下のお尋ねにきちんととお答えするために、先にお尋ねさせてください」


「なに?」


「陛下は竹富さんのお話を聞いて、どうお感じになったのでしょうか?」



 月の宮の表情が少し曇った。

「わたしがどう感じているかで、瀬津さんはわたしに言うことを変えるの?」


瀬津は、王の不安げな表情を気遣うように笑んだ。

「そうですね、変わることもあるかもしれません。ですがそれは、自分の考えを変えるということではなく、陛下が私に訊きたいと思っていらっしゃることに、正確にお答えするという意味です」


 月の宮は頷き口を開く。

「わからなかった」


「わからなかった?」

瀬津は穏やかに訊き返す。


月の宮は頷いてから、時折下を向き、考えながら言葉を継いだ。

「おばあさまやみんながわたしとかずのためにすごく考えてくれている。……考えてくれた結果、”玉葬と会食の話をわたしたちに話すべき”ということになったのだと思う。…………話すということは、”出てほしい”ということだと思ったから、玉葬も会食も”わかった”と伝えたの。…………でも、わからない。ほんとうはどう答えるべきだったのか」


(“どう答えるべきだったかわからない”)

頭の中で月の宮の言葉を考えながら、瀬津は頷き先を促す。


「じじはわたしを思って肝心なことを濁していた。わたしが知りたいって言ったら、じじは困る。----わたしは、父さまたちが命懸けで守ってこられたものを守りたい一心で即位を願った。(ちぎり)でカミに瀬津さんを示してもらって、瀬津さんにいてほしいとお願いした。わたしはもう、一生分のわがままをしたの。……だから、これ以上みんなを困らせたくはない」


(”一生分”か……)

 それに近いようなことを初めて出会った日にも彼女は言ったが、“一生分”と口にする小さな肩を見ていると鋭く刺さった。月の宮は、もう下を向いたままになっている。瀬津はたまに月の宮がするように、口の前に人差し指をおいた。


「陛下。ここはないしょの話をするお部屋ですので、私はここでお聞きしたことを決して誰にも言いません。ですので、ないしょで教えてください。陛下はあの時、何をお知りになりたかったですか?」


月の宮は顔を上げ、唇を何度か動かしてから声を発した。

「玉葬に出てほしいと言われたほんとうの理由。それから………」

そのあとは黙ってしまう。長い間黙ったあとで、月の宮は瀬津を見据えた。瞼には雫が揺れる。


「父さまと()御子(みこ)ご夫妻が、ほんとうはどうなられたのか」


 瀬津はすぐには言葉を発せず一度頷く。


「父さまたちの乗っていた飛行機が海の中で見つかったって聞いたのに、見せられる飛行機の写真はないって言われて、特殊なカメラで調べても乗っている人や個人の持ち物らしきものは見つからなかったって言われた。…………だれの身体も、持ち物すらも見つかってないのに、今葬儀をしていることが信じられない。……父さまたちは、どうなられたの?」


必死に抑えているものの、月の宮の声は揺れ、瞼から雫が伝う。それを認めて彼女はぐっと歯を噛み締め、下を向く。また、声をしぼり出した。


「事実がまずわからない。でもそれ以上に、心の中でそんなことを思っているのに、あの時“わかった”って言ったこと、時間が経てば経つほどわからなくなって不安になるの。わたしは、“わかった”と言ってよかったのか」


一度言葉を切って、ぽつりとこぼす。


「…………かずもいるから、わたしがしっかりしないといけないのに」



(こんな葛藤を、この先何度も繰り返すだろうな……)

 王としての覚悟はできていても、在るべき姿は自分で探していくしかない。先代と月の宮では、歳も置かれた立場も異なる。崩れ落ちないように必死に堪える口元を見て、瀬津は思った。


「陛下」

 瀬津が先ほどまでと変わらぬ調子で声をかけても、月の宮は顔を上げない。そのまま、瀬津は続けた。


「陛下は今、知りたいことをわかっていらっしゃいます。不安なことも、何がわからないのかも、わかっていらっしゃいます。そして、私に教えてくださいました。----陛下は、ご自身で思われている以上に、たくさんのことをわかっていらっしゃいます。言葉にできるのが何よりの証拠です」


 月の宮は顔を上げたが、口を動かしかけて、噤む。瀬津は、先ほどよりも柔らかく声を発した。


「陛下。世界は……自分のいる場所は、見えたものをどう信じるかで色がまったくちがいます」


再び顔を上げた月の宮の目が、少しだけ動いた。


「起こったこと、見たこと、聞いたこと。それらから見えたことをどう信じるか。……竹富さんの昨日の話をどう信じるか、わからないことを見つけて感じたことをどう信じるか。……ぬり絵と一緒です。描かれているものは決まっていても、色をつける人によって絵の雰囲気は大きく変わります。きれいな絵にも、黒い絵にもなる。同じ絵…………同じ出来事でも、色をつけたら、自分だけの唯一の絵になるんです」


月の宮は何かを思い出すような表情をしたが、瀬津の言葉を待っていた。


「御子陛下も、御子陛下の色を探されています。宮陛下も宮陛下に見えた絵を大事になさって、じっくりとつける色をお探しください。時間がかかってもいいんです。時間が経てば、色が変わっていくこともあります。私もおそばでじっくりと自分の絵の色を探しますから、道具は一緒に使いましょう。道具が足りないと思われた時はお声がけください。できる限り、調達してまいります」


瀬津は笑み、わざとほんの少しだけ胸を張った。


「どうしてそこまでしてくれるの?」

 瀬津は問う月の宮の前に行って、両膝をつく。


「陛下が私を、大切なないしょ話の相手に選んでくださったからです」


本当は、少しちがう。月の宮が願ってくれたようになりたい。

(一生分の望みをかけて私を望んでくださった、陛下の“光”となりたいからです)

そんなことはとても言えない。


月の宮は礼を言い、自分の手で頬をぬぐった。


「今の状況からもう少し動きやすくなられるまで、存分に私をお使いください。陛下の目にも耳にも手足にも、私はなれます」


「ありがとう」


 瀬津は首を横に振る。それから初めの月の宮の問いに応えた。


「竹富さんの昨日のお話、私も疑問に思っていることがいくつもあり調べております。さまざまな意図の情報があふれ、私の中では、まだ正しい絵の輪郭すら見えていない状況かと。ですので、色を探すのはもう少しあとになります。陛下がたくさんのことにお気づきになったのも先ほどお聞かせいただきましたが、陛下も正しい輪郭線が見えるまでもう少しだけお待ちいただければと思います。ご報告できることがあれば、必ず陛下にご報告します。お待ちくださいますか?」


「待ってる」

月の宮は、まっすぐに瀬津を見ていた。




「行きましょうか」

 瀬津が笑んで立ち上がる。朝食はもうできているはずだ。そのうち日の御子もこの宮城にやって来る。彼女が自分の手を取らないのはわかっていたが、瀬津は月の宮に手を差し伸べた。


「ありがと」

月の宮が瀬津の掌の上に手を載せて、そっと握る。少々驚いた表情の瀬津を見上げて彼女は言った。


「今だけ。ないしょ話の部屋だから」



 部屋の扉を開け侍衛(じえい)のいる廊下に出るとき、月の宮は静かに手を離す。


(御子陛下がたまになさっているので今日はぬり絵とだけ申しましたが、宮陛下が一生懸命に描いていらっしゃる線が、私はすきです)


自分の意思と無関係に起こる出来事の多くは、色を選ぶことしかできない。

しかし自分の在り方は、どこにいても自分で描ける。


 そばを歩く月の宮を見ながら、瀬津は心で呟いた。


あったかい日はうれしいですね。

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