16 春和の契(上)
誰もいなくなった斎場の奥で、那汰は胡坐をかいていた。彼を見ることのできる人の子は、減っている。この国で祭部と呼ばれている、那汰のようなもののことに携わる者たちですら、彼の姿は見えていない。膝の上に肘を立て掌に頬を押し付けて、那汰は先ほどのことを考えていた。
先ほどここに来た少年は、聡い子だった。自分の置かれた状況を理解し、必要なことを見極める。あれ以上話を続けていたら、あの子どもは今知るべきではないところまでおそらく理解しただろう。怯むことなく冷静で、最善を探る力がある。
(あの眼は、母に似ているな)
那汰は、少年の母がここへ来た日の眼を思い出した。
(だが、あれよりは静かな眼だ。育てた母が、そのようにものを見るよう育てたのだろう……)
今から十一年近く前、彼らは子どもらのため、それぞれの立場で決断を下した。
当時、彼らの理想は実現できまいと思ったが、あるいは成せるかもしれない。
(春和はもとの名から音をとったか……。だが、その名こそあの子どもの真名なのだ……)
”因果”や”宿命”には収めたくない。
春和は知らずに、純粋に、『光』という名に願いを込めた。おそらく、
”瀬津”になった少年に、”津山景”だった時と変わることなく、彼らしく在ってほしいと。
彼を今春和のそばに置く。それは那汰の賭けだ。正しかったかと問われると、わからない。しかし、司部の言うとおりにするわけにはいかなかった。
「場は整えた。あとは、『時』がきたとき、あの子らが何を選ぶかだ」
十一年前ここへ来た少年の母に言いながら、那汰はあの日から彼女が守り抜いてきた春和を思った。
あれは、三日前の夜だ。少女は白い装束を身にまとい、張り詰めた面持ちでここへ来た。
三つの間の最奥の間に敷かれた布団の傍に正座して、少し先に祀られた統石を見据えていた。逸らすことなく統石だけを見つめる少女の心音は、空気を通し那汰に伝わる。
「眠れぬな」
隣に座った那汰が声をかけると、気配に気づかなかったのか、少女は小さく飛び上がった。統石から那汰に視線を移す。
「はい」
応えた少女は、正座のままわずかに後ずさった。
那汰が苦笑を漏らすと、少女ははっとしたように居住まいを正し会釈する。
「話をしよう」
那汰の言葉に、少女はもう一度会釈した。
「私と契を結ぶのは、和重が最後と思うていた」
何も言わず、少女は那汰を見つめている。那汰はかすかに笑んでみせた。
「そなた、ここに来る前にどこかへ行っていたであろう?」
少女は表情を変えなかったが、彼女のまとう空気は大きく揺れる。
「日の宮城の斎場に、次の日の御子を送り届けました」
那汰は頷き、笑みにいたずらな色を滲ませた。
「それだけか?」
そこでようやく表情にまで戸惑いを浮かべた少女に、那汰は、
「まぁいい」
と首を振った。
「だがな、無茶はするな。そなた、のちのことは考えたのか?」
那汰が問うと、少女はまっすぐに那汰を見た。張り詰めてはいるが、まとう空気に先ほどのような揺らぎはない。
「未熟ながら」
少女は短く答えた。
その眼差しに那汰は静かに息を吐く。
「そなたと私の契も、無理をして結ぶことはない」
返答はわかっていたが口にした。
「私は、両王陛下と御子妃さまが望んだ世の行く末を見届けたい。宮陛下がつけてくださった名の通り生きてゆきたいのです」
那汰はしばらく少女を見ていたが、やがて遠くに視線を向ける。
「私と契を結ばなくても、おまえの望む生き方はできるのではないか?」
「それでも」
少女の瞳は揺るがない。
「それでも、私は父陛下と同じ立場で見届けたい」
那汰は少女の瞳をみて、遠い昔を思い起こした。
「私は父陛下と同じ立場で見届けたい」
父親も、契を結びにきた時同じことを言い、加えてこうも口にした。
「たとえ現実を変えることはできずとも娘や日の御子の子たちに、新しい世を渡せるように。私たちは、あなた方と契を結ぶ最後の王です」
那汰は表情を少し緩めて少女に問うた。
「私と契を結ぶと、それまでと何が変わるか知っているか?」
少女は首を横に振った。父があえて娘に伝えなかったことは、想像に難くない。
「私と契を結ぶと、昔のことや先のことが見えるようになる。その場へ行くこともあるな。『時』にかかわることについて、そなたが望む形であるか否かにかかわりなく、見聞きするのだ」
少女は首を傾げた。那汰は微笑み、彼女を見送った。
契を結びにきた人の子が、神の世の理に在る空間で耐え得るか。また、人の世の自分の生きるべき場所に自力で戻って来られるか。
それは、人からカミと呼ばれる精霊として神の最期を見届けると決めた那汰たちが見極めなければならないことだ。契を結ぶ前に送った場所で人の子が迷い、カミが戻るのに力を貸してやらねばならなければ、その人の子は【呑まれる子】。『時』がきたとき、役目を果たせる確証がない。ゆえに、どんなに望んでも、そのような人の子に契を結ばせることは赦されないのだ。
少女ーーーー春和は、最後に助けがあったとはいえ、自身の力でここへ戻った。
(王家の血を引いていなかった春和の母は、春和を産んであちらへ逝った。契を結ぶ子を産むとき、おそらく【呑まれる】のに近い状態になったのだ。その子だからと案じていたが……)
もし春和に契が難しければと、十一年前、少年の母は別の道も口にしていた。
「おまえは、どこまでわかっていたのだ?」
那汰は胡座をかいたまま、再び少年の母に問いかけた。
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