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『暁宵照輝録』  作者:
一 即位
17/28

15 司の契

 貞香(ていこう)元(万久紀(ばんきゅうき)三九九一)年九月二十五日十八時十分。瀬津(せつ)は月の宮城の最上階、月の統石(はじめいし)を祀る斎場にいた。


 斎場のある最上階に行くには、一つ下の階から石造りの段を上るしかなく、斎場につながる廊下のような場所に天井はない。ゆえに最上階といいながら、屋上に小さな社殿があるという方が合っているのかもしれない。

 

 斎場の中は三つの間に区切られており、瀬津は真ん中の間で待つように言われた。はじめのみ春和(はるか)も斎場に入ったが、瀬津を案内すると最奥の間の統石に一礼し、すぐに斎場を後にした。



 一人残された瀬津は案内された部屋で静かに座っていた。

 瀬津の前には、国中の食産物が一口分ずつ並べられた膳がある。奥の間、瀬津のいる間に比較的近い位置に一段高くなった座が設けられ、そちらにも同じような膳があった。



 しばらくすると柔らかい風のようなものが起こる。瀬津が正面を見ると、奥の座にひとりの青年が現れた。自分より少し年長だと瀬津は思う。


(これが、カミ……岩の神からその力を与えられた最初の人の子……)


青年は瀬津の心を察した様子で苦笑する。

「私が不思議か?」


 瀬津の育った津山家----首相公邸----にも神床はある。しかし父は自力で首相にのし上がり、そのままあらゆる方面を意のままに動かしてきたため、基本は神を崇めている類の人ではなかった。都合の良い時は神に感謝し、不都合であれば神をののしる。そんな父の語る神はかえって胡散臭く、信じる気にもなれなかった。


 目の前にいるのがカミと呼ばれる精霊と言われて、その真偽は判断できない。信じられるかどうかもわからない。しかし目の前にいる青年に安らぎを感じるのは事実だった。


 瀬津はしばらく黙っていたが、やがて目の前の青年に答えた。


「はい。失礼ながら、神や精霊という方々を見たことはありませんので」


青年はなるほど、と苦笑し、続けて問う。


「私と(ちぎり)を結ぶために来たのか?」


「はい」


青年は、瀬津の答えに表情を曇らせる。

「これが春和の望んだ形か」


瀬津は青年に首を振る。

「私がここに来たいと宮陛下(みやへいか)にお願いしたのです」


「なにゆえだ?」


 青年はなぜか面白いものを見るような目で瀬津を見ている。瀬津は構わず淡々と答えた。

「理由は二つあります。一つは先ほど申し上げた通りです。私は神や精霊を見たことがなかったので、宮陛下にお仕えするからには自分の目で見て、その存在を確かめなければならないと思ったからです」


「自分の目で見て、納得できなかったらどうするのだ? そなたは今納得できたのか?」

青年はますます面白そうな表情(かお)になった。


「私は目で見ることで納得し、そこでやっと信じることができるような人間です」


青年は表情を変えずに軽く唸る。

「してもう一つの所以とは?」


「宮陛下は私に同じ場所から同じものを見てほしいと言われました。まったく同じ場所に立つというのは難しいですが、できる限り宮陛下に近い場所に立つには、契は一つの手段として必要だと考えました」


青年は再び唸った。

「近い場所に立つための手段か。面白い。しかし、それならば申し訳ないな」


「なぜですか? 私はあなたと契を結んではならないのでしょうか?」

 瀬津は真剣な表情で青年を見つめた。


 青年は遠くを見つめながら語る。

「契という言葉こそ同じだが、王と司が結ぶそれは異なるものだ。----方法も、意味も。王の契は、神と人をつなぐもの。司の契は、人を人に留めておくもの。だから私とそなたが契を結んだからといって、そなたが春和のいる場所に近づけるというわけではない。……どうしてもと言うならば結べないではないが、私は、今そなたが私と契を結ぶことを勧めない」


 瀬津は何も言わなかったが、目がその理由を問うていた。青年は静かに瀬津を見て口を開く。

「もしそなたがカミと契りを結ぶとしても、それは今ではない」


瀬津の目がさらに先を促す。しかし青年は瀬津の求めには応じず、

「腹が空いてもこの膳のものは食すでないぞ」

と笑った。


 また、ふわっと風が起こる。

 瞬きをしただろうか。

 瀬津はずっと前を見ていたが、気がつくと青年の姿はどこにもなかった。



 

 膳に目を落とすと、箸置きに添えられた三つ折りの懐紙に気づく。

 開くと、一字。


(ひかり)


司名(つかさな)……)

司になる者が統石に宿るカミと契を結ぶために、王から与えられる名。



 本人が認める通り、月の宮はまだまだ知らなければならないことがたくさんあるだろう。知らないがゆえにこののち苦難することも多いはずだ。

 彼女は幼いなりに覚悟を持って位に在るように見受けられるが、知らなければならないことを知った時、自身の在り方について思い悩むこともあるかもしれない。十という歳から考えても、何かがきっかけで彼女の中にあるものが変わっていく可能性は十分ある。


 けれど、自分はこの王の覚悟を見届けると決めたのだ。


 司になると決めた日の月の宮の声が頭で響いた。


(私のあるべき場所を、照らしていただけますか?)


 瀬津は懐紙を握りしめて額につける。

(あなたの光となれるよう、精いっぱい励んでまいります)


声にならない息が、静かに漏れた。


休みの日は、あっという間に時間が経つ……

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