12 選択
月の宮は、ミルクの入った紅茶を少し口にし、もう一度言った。
「あなたは、私の司になることを、よしとしてくださっていますか?」
景は、何を答えるべきか迷う。
(司に選ばれた側に、何か選択する権利なんてあるの……?)
「畏れながら宮陛下、私に与えられた選択肢とはどのようなものでしょうか?」
景が訊くと月の宮は少しの間考えて、答えた。
「私……月の宮の司になるか、ならないかです。……あなたはすでにこの国の秘密をご存知と聞きましたので、そのつもりで話すことこと、お許しください。今回の一連のことがあって、日の御子陛下と私は、即位することとなりました。そして私は、昨夜から今朝にかけて統石と契を結び、統石に宿る精霊……カミからあなたを示されました」
月の宮は一度言葉を切ったが、景が
「はい」
と相槌を打っただけだったので、まっすぐに景を見て彼女は続けた。
「本来、この時点であなたは月の宮の第一の司、『月の光司』という立場になります。申し訳ないですが、選ばれた方になるかならないかの選択肢はありません。でも今回、カミは私の思う形であなたにいてもらったらよいと言われました。だから私は先ほどの内侍……竹富さんに、司に選ばれた方に会ってみたいけれど、司になるかどうかは、選ばれた方に選んでほしいと言いました。……そう、司を捜す方……司部の方に伝えてほしいと」
月の宮は、寂しげな笑みを浮かべた。
「でも、あなたが到着する前に、あなたの荷物が先に来ました。だから、あなたの気持ちをお聞きしたいんです。今の立場の私へは言いにくいこともあると思いますが、あなたが言えると思う範囲で、思っていらっしゃることをお話しくださいませんでしょうか?」
寂しげだが、悲哀ではない。
(宮陛下の言い方からして、今の状況は少なからず、父さんが押しきったってことだろうな。幼いけれど、この子は王で在ろうとしている。親を亡くしたばかりの女の子が、こうも落ち着いて振る舞えるだろうか)
過去メディアに公開された映像に、こんな表情の彼女はいない。
景は一礼し、口を開いた。
「宮陛下のお心遣いに感謝申し上げます。そのようにお話しいただくとは思っておらず、宮陛下のお言葉にきちんとお答えできるかわかりませんが、きちんとお答えするために私からも一つよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「宮陛下は先ほど、私がすでにこの国の秘密を知っているとご存知だとおっしゃいました。では陛下は、私の身元をどこまでご存知でいらっしゃいますか?」
月の宮は首を振る。
「私は、あなたが秘密を知っている方だから私の伝えたいことをそのまま言っても大丈夫だと、竹富さんから聞いただけです。司になった方が王宮府から与えられる官名は、多くの場合、その方の今までのお名前のままです。苗字はなくなり、官名だけで民籍が新たに作られます。あなたがどなたか、調べようと思えば調べられないことはないと思いますが、司部の方から竹富さんへそれ以上のお話しがなかったということですので、私はそんなことしたくないなと思っています」
月の宮の言葉を聞きながら景は頭の中を整理する。
(司部と王をつないでいるということは、おそらくあの内侍が今の史部。史部も世襲のはずだけれど、王の代替わりによる史部の代替わりは二代続けてなかったと見るべきかな。あと、陛下は首相が……津山の家系が代々司部であることを知っているのか……?)
景はどこから話すべきかを考えた。
ふと、視線をテーブルの桔梗に向ける。
「ありがとうございます、宮陛下。では、今の私にお答えできる範囲のことをお答えします。司に選ばれたと聞いたとき、正直に申し上げれば少し困りました。私が王宮府から与えられた官名は、誕生時につけられた名ではありません。私のもとの名は、津山景と申します」
「……首相の?」
月の宮に頷いてから景は続けた。
「私は首相の息子です。陛下もよくご存知と存じますが、王宮府の祭部が政府祭務省として政府にも籍を置くことを除くと、王宮府の職を政府関係者が務めることは望ましくありません。私自身が政府の職を務めているわけではないですが、政府の長たる首相の子というのはあまりよくないと思います」
景は一度言葉を切る。今ある事実の中で、一番外側にある事柄を話すにとどめた。
月の宮は景の話を頷きながら聞いたあと、少しの間考えていたが、やがて口を開く。
「その通りだと思います。でもあなたのお荷物が来てしまったということは、ご子息に司になってほしいというのがきっと首相のご意思ですよね。司部の方に伝えてほしいと言った私の言葉より、首相の持っているお力の方がつよかった」
月の宮は下を向き、それから景をまっすぐ見つめる。
「ごめんなさい」
そう、深く頭を下げた。
(確信はできないけれど、陛下はおそらく、司部が首相だとまだ知らない)
月の宮を見て景が話の運び方を考えていると、月の宮が顔を上げた。
「あなたのおっしゃる通り、首相のお子が月の宮の司だと国民に知られた時はとても大変だと思います。それに……お母さまもあなたまでそばからいなくなったら、お心が張り裂けてしまわれる」
月の宮はテーブルの桔梗に視線を遣った。視線を景に戻すと、穏やかに笑む。
「お花は竹富さんが準備してくださったんです。あなたのお母さまのお話は、御子妃さまから何度かお聞きしたことがあります。もう一度、竹富さんや大宮妃さまにもお知恵を借りて、あなたが司にならなくてもすむ方法を考えてみましょう」
穏やかな笑みは、防御網にも感じられる。それは、景自身がそうやって生きてきたからかもしれない。しかし、彼女はどうあれ、景の心はもう決まっていた。
「宮陛下、身に余るご配慮をありがとうございます。うれしゅうございます。ただ、まだ続きがあるのです。お話ししてもよろしいでしょうか?」
月の宮は瞬いた。幼い愛らしさがほんの少し戻る。景は幼い宮に笑む。
「司のお話をいただいて確かに少し困りました。でもそれ以上に、お話をいただいたからには頑張らせていただきたいと思ったのです。育った環境上、この国の秘密は教えられてきました。しかし統石も神も精霊も見たことがないので、聞かされたすべてに実感がありませんでした。けれどその実感の持てなかった理に、宮陛下とお会いする道筋を与えられた。……うまくご説明できないのですが、心の中で、何かに納得したんだと思います。父の想定していなかったことが起こったのなら、折角だから、それに乗ってみたい、と」
「…………想定していなかったこと」
月の宮が口の中で呟いた。それから、次の言葉を発するまで時間がかかる。
「…………お願いが……あります」
絞り出すような声だった。
「私の司に、なってください」
「はい。よろしくお願いいたします」
景はしっかりと月の宮の目を見て言った。
月の宮もまっすぐに景を見る。
「司に就くということは、一定の立場が保証される代わりに自由を断たれます。終身王に仕え、王と命運を共にしてしまうのだから。私のような幼い王や愚かな王の司になると、司という身位が一層その人物を苦しめる。……だから、こんなお願いをするつもりはありませんでした」
景は、月の宮を見て何も言わずに続きを待つ。
「でもこの部屋に入って、あなたのきれいな瞳を見て望んでしまった。……あなたに、そばにいてほしいと」
月の宮は下を向く。
「先日、ゴドルフ閣下に、これ以上何も望まないと申し上げたばかりなのに」
ひとりごとのように呟いたあと、また月の宮は景を見た。
「私はあなたが『折角だから乗ってみたい』と言ってくださったのをよいことに、あなたに自分で選んでほしいと言いながら、こんな頼みをしています。私から頼まれたら断りにくいとわかっているのに……」
国際会議でのやり取りはわからないが、おそらく五歳の王子で即位の是非は判断できない。けれど二人の即位が世界から認められた。その決定に至った理由はいくつもあるだろうが、十歳でしかない王女の、子どもなりの誠実さもプラスに働いたのだと景は思う。
「わがままを言ってほんとうに申し訳ないのですが、私たちが必要なことを学び、正しくものを見ることができるように、そばにいてそのきれいな瞳で私たちと同じものを一緒に見てくださいませんでしょうか?」
景は、答えるのにしばらくかかった。張り詰めた月の宮の空気が伝わってくる。なるべく音をさせないように、ひとつ呼吸をした。
「宮陛下。私の目は、陛下の思っていらっしゃるほどきれいではありません。きれいとは言えないものの見方も時にはします。それによって、陛下が心を痛められることもあるかもしれません。それでも、よろしいでしょうか?」
月の宮の視線は揺るがない。
「まっすぐ見ているあなたがいいの」
月の宮は立ち上がる。おもむろに部屋を歩きはじめた。
「『夜の月は、太陽の光を受けて輝く。夜に輝く月の光は、静かだ。自身で光っているのでもない。けれど夜に月が光るということは、太陽がそこに在るということを証している。月の光は静かだが、その静かな光こそ強く、静かなことにこそ、大きな意味があるのだ』……先の宮陛下がよくおっしゃっていたんです」
景はまだ月の宮の意図が見えなかった。彼女の行く先を目で追っていたが、彼女は立ち止まり、景の方に身体を向けた。
「私は父陛下がおっしゃったような月の光でありたいと思います。この国の行く末を静かに、しかし揺らぐことなくまっすぐに見つめたい。……私たちはあまりに無知で未熟です。首相をはじめとする周りの言動の是非を判断する力すらありません。だから、私と御子陛下が見るものを、同じ場所からまっすぐ見ていてほしいのです」
景は、深く礼をする。その景の両手を、小さな手が真ん中で握った。
「私のあるべき場所を、照らしていただけますか?」
この言葉が何を意味するのか。
月の宮はおそらく自分が想像しているほどの意味を、この言葉に含んでいない。
(今、宮陛下の言葉に、ぼくは応えて良いのだろうか……?)
景は、自身の心と、まだ人となりを掴めていない瀬津に尋ねた。
純粋に言葉通りに言う月の宮に今快諾することは、のちのち彼女を裏切ることにはならないか。
景は、テーブルの桔梗に目を遣った。
(正しいことがわからなくても、だれに見られても恥ずかしくない生き方をなさい)
母の声がよみがえる。
(恥ずかしくないと思える生き方……)
景は、その場に膝をつく。
「畏れながら宮陛下、謹んで陛下の司を拝命いたします」
長い沈黙ののち、うれしそうな声がする。
「幾久しく、よろしくお願いいたします。光司殿」
(あなたの子、景はもうおりません。私はあなたからもらった名で、月の宮陛下のそばで生きてゆきます)
月の宮の手の熱を感じながら、瀬津は心の中で父に誓った。
宮陛下と司殿にひたすらお話しいただきました。
お疲れさまでした。




