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『暁宵照輝録』  作者:
一 即位
12/28

10 迎え

 榮礼(えいれい)十三(万久紀(ばんきゅうき)三九九一)年九月二十三日、十時をまわったころ。


 どたばたと大股の足音が聞こえてきた。帰宅した父が階段を上がってきたのだろう。(ひかり)は広げてあるファイルを閉じて、椅子の座面ごと扉の方を向いた。


「景! 入るぞ!」

父の声が部屋の間近で聞こえたかと思うと、勢いよく扉が開く。

「はい、父さ」

景が言い終える前に、父は景の両肩を掴み激しく揺すった。

「景、すぐに支度しろ!」


 父の声は喜び勇んでいた。景の肩から手を離し、傍らの窓を開ける。雨のにおいが部屋の中に入ってきた。父は窓の外に身を乗り出したかと思うと、雨空に向かって大声で叫ぶ。


「天の神よ! 感謝申し上げる!」

その横顔は、心から喜んでいるように見える。こんな父は見たことがないし、今このように振る舞える理由がわからなかった。訝しみながら、景は尋ねる。

「どうしてこちらに?」


 両王(りょうおう)御子妃(みこきさき)が不慮の事故で亡くなり、二人の幼い新王即位が極秘の国際会議を経て一昨日決定したばかり。昨晩から今朝にかけて、二人の新王は斎場で統石(はじめいし)(ちぎり)を結んだことだろう。肚の底で何を考えているかはさておき、これから国民へ両王崩御と御子妃の薨去、新王即位を伝えなければならない首相が、息子の部屋に来る暇などないはずである。


 父は、何とも言葉で表しがたい満足げなその顔を景に向けた。

「いいか、景。月の統石がお前を映した。……お前は、新しい(つき)(みや)(つかさ)に選ばれたんだ!」

 景は、言葉を失った。


 今日から月の宮と呼ばれる宵待(よいまち)(みや)が無事成年を迎えれば、父はいつか、何らかの形で自分を宮の婿する。それは、景にもわかっていた。


 司は、選ばれた王の特別な側近。王の命次第で職掌は大きく変わる。王宮の内外を問わず王に同行するのは、王族の警護をする()(えい)を除くと、王宮府の職員トップである(しゅ)()、そして、司だけである。

 司に性別の規定はないが、女性の場合は司から妃になる者も少なくないので、女王の婿候補が司になるというのも表向きはあり得る話だ。


 しかし、それはあくまで表向き。この国の秘密を知らぬ者たちに向けた話でしかない。


 秘密を知らぬ者たちの間では、王と歳の近い有能な人物が政府や王宮府の有識者によって司に選ばれているのだと言われている。


 だが実際の司は、統石に宿る精霊が契を結んだ王のために、時機を見て選ぶ人間だ。精霊は、統石に選んだ者を映してそれを伝える。景は、そう聞かされた。


 そして、この国の秘密を守る者の一人としてこれらを教えられてきた景にはわかる。自分は、後者に選ばれるはずがない。信じるか否かは別としても、聞かされてきたことの限りでは、それは決して覆らない。それなのに、父は統石が自分を映したと言った。


津山(つやま)の……統石に選ばれた人間を捜す司部(つかさべ)の家の血を引くぼくがどうして……)


「夕方には、宮城から迎えが来るから支度しておくように」

 呆然とする景をよそに、言いたいことを言い終えると、父は満足げに景の部屋を出て行った。



 父が出て行くと、景はしんとした部屋で天井を見た。ぽつ、ぽつと、感情が浮かんで滲む。


 凛と振る舞ってはいるが、姉妃と両王の死で、間違いなく滅入っている母のそばを離れる不安。

 今の自分が、即位したばかりの十歳の彼女を支えられるかという不安。


 一方で、漠然としかわからなかった進む道がはっきり示されたことへの安堵。

 不謹慎だが、新たな両王がどんな子どもかという興味が少し。


 あとは、父のやり方の粗さ。しかしこれは、いつも思っていることである。


(……かり、……ひかり……)

 専用機墜落報道があった朝の母の声がよみがえる。どうして自分の名を呼んだのか、真意はまだわからない。


「母さん……」

目を閉じ、一つ呼吸(いき)をしてから机の上を片付けた。


 景は自分が必要な資料を用意しただけで、あとのものはすべて周囲が整えた。自分で用意した資料も、十五時を過ぎたころには荷物として搬出された。


 ベッドに腰かけて部屋を見渡す。

(すかすかだ。意外と頑張ってたんだ……)

机の前と横から資料の棚が消えると、部屋が広く感じられた。ここを埋め尽くすだけの資料を自力で集めたのだと思うと、自分でも少し驚いた。



「坊ちゃま、奥さまがお呼びです」

 部屋の外から声がした。

「今行きます」


景は応えて腰かけていたベッドに触れ、立ち上がってから机に触れた。

「……今までありがとう」

部屋を出て、音もなく扉を閉めた。



 母の部屋の前に立つのは、あの報道後の朝以来だった。呼ばれたのがダイニングや広間でなかったことにまず驚いたが、ひとまずノックしようとする。けれど、景は軽く握った拳を止めた。目を閉じて首を横に振る。

「母さん」

発すると、扉が開いた。


「いらっしゃい」

 母は、穏やかに笑んだ。景をソファに座らせ、自分は絨毯に膝をついた。


「人に見られたくなくてね、お部屋まで来ていただいたの」

 景の頬に手を当てながら母は言った。景は自分を見上げる母に身を委ね、彼女を見ていた。

「あなたはよくわかっていますから、私から多くは言いません。ただいつも言っていることだけは、お忘れにならないで」


(正しいことがわからなくても、だれに見られても恥ずかしくない生き方をなさい)

景は、母がよく口にする言葉を思い出す。


「司に選ばれたのだから、津山景として……津山一郎(いちろう)と、桔梗(ききょう)の子として生きることはもうないでしょう。あなたには王宮府から公で用いられる官名(かんめい)が与えられ、月の宮陛下が司名(つかさな)をお贈りくださる。けれど、津山景として生きてきた十五年は、司になっても人々の記憶や記録に残っています。消えることはない。あなたは一般の人と比べて、今までも公の目に触れる機会が多い境遇だったから、今後も今までとはちがった意味でつらい思いをするかもしれない。……でもね、自分の信じるものを、お信じなさい」


母は言いながら、景のもう片方の頬にも手を添える。

「景……私とお父さまのところへ来てくれて、ありがとう。……あなたは大丈夫よ」


頬から肩へ手を伝わせて、母は景を抱き寄せる。

「もう。一生会えないってわけじゃないのに。ちゃんと宮陛下(みやへいか)にお許しをもらって、顔を見せに帰ってくるよ。離れていてもぼくはいつも母さんを思っているから、母さんこそ無理しないでね」


母の腕の力を感じながら、景は言った。



 十六時。景のいる首相公邸に月の宮城からの迎えがきた。静かな雨が降り続く中、家の者全員が見送りに出ている。景は世話になった一人ひとりと言葉を交わし、母の前にたどり着く。


「身体に気をつけて」

「母さんも。行ってきます」


「行ってきます」

 母の隣にいた父は、景の言葉に

「あぁ」

とだけ応えた。離れて控える王宮の侍衛(じえい)に会釈して、景は迎えの車の方に歩みはじめる。


 雨のにおいが、いつもに増して濃い気がする。

 振り返りたいとは思わなかった。


 車を目前にしたところで、景は背後からの気配に気づく。同時に肘を掴まれ、勢いで傘を落とし、無理やりに振り返らされた。


「……はい」

 景が驚きを殺してやっとのことで返事すると、父は広げた傘で王宮の侍衛と景を遮る。きつく身体を抱きしめ、呆然と立ち尽くすしかできない景に囁いた。


「今日から、お前の名は瀬津(せつ)だ」


呼吸も忘れた景を離し、言い終えると父は去ってゆく。

 ゆっくりとした大股で戻る父を最後までは見届けず、景は車に乗り込んだ。


今さら、親知らず君が生えてきたみたい。

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