編纂者の手記
この国のはじまりは二つある。かつて陸続きだった東方の大陸から、狩りをしながら移動してきた人々が定住したというのが一つ。気候も穏やかで、誰も足を踏み入れていなかったその場所は、生き残るに十分な獲物があった。彼らは生きるために獲物を求めて移住を繰り返したが、その必要がなくなるほどにこの土地は豊かであったとされている。それが、この土地に人が住み始めたはじまりだという。
そしてもう一つが、今から約四千年前のことらしい。飢饉で苦しんでいた人々に、一柱の神が力を貸した。その力を借り受けた兄妹の子孫によって始まったのが、この土地に興った一つの国のはじまりだそうだ。これを紀元とした暦が、現在用いられる中で世界最古とされている万久紀である。
最初に人が住んでからそう時を経ず、この土地は天動によりつながりを断たれ島国となった。それゆえ長きにわたって外から移る人間はなく、一つの系統を継ぐ人間で一つの国が造られている。すなわち神が力を貸したのは、最初にこの土地に移り住んだ人々の子孫ということになるのだそうだ。
一つめのはじまりを伝える文献史料はほとんどない。代わりに、土の下に残された彼らのものが多くを伝える。それは研究者によって、今日まで盛んに研究が続けられていることだ。
一方もう一つのはじまりは、二つの史書に詳細に記録されている。一つは、この東和国の天上と地上の神について記された『東和神話』。もう一つは、この国に立つ二人の王の言動やその時代の出来事が編年体で記されている『暁宵照輝録』ーー通称『照輝』。編纂開始は、どちらも三千年ほど前。両書とも、国の一致団結のため編まれたものだ。「日の御子」、「月の宮」と呼ばれている二人の王を中心とする政の旗印として。今日、『東和神話』はこの国最古の文書として、歴史、文化において唯一無二の意義を持つ存在となった。そして、今もなお変わらぬ形で一代----一元号----ごとに『照輝』は編まれ続けている。
今ここで生きている私たちにとって、二つのはじまりはどちらもが偽りではないと同時に、どちらとも、どこまでが真なのかを知る術はない。
先日、『暁照宵輝録ーー貞香紀ーー』の巻第一が公刊された。今の子どもたちは、水上のコア・ストーンをアーカイブ映像でしか見たことがない。しかし、この大地に生を受けた者たちは、決して忘れてはいけないものだと断言する。今日の世界を私たちにお渡しくださった先の日の御子、月の宮両大陛下と両ご一家、ともに歩まれてきた諸氏に、心からの敬意と感謝を表したい。
私の役目は、故竹富雅雪氏から託していただいた貞香年間の『照輝』の編纂である。今日に世をつなぐためご尽力いただいたすべての方へ思いを馳せ、一心に務めにいそしんでいるところだ。編纂作業は、すらすらとは進まない。第一巻から、表現が難しかった事柄、文字に表すことをためらわれた事柄、文字……形に残せなかった事柄が多くある。両大陛下や竹富氏、関わられた諸氏の意に添えているかはわからない。しかしながら私は、貞香年間のはじまりを記す『照輝』貞香紀の巻第一を、あの形で出すのがよいと思い、送り出した。
いざ終えてみると、一巻目にもかかわらずすでに寂しく思っている。齢を考えると、私は何巻目まで携わらせていただけるかわからないが、その寂しさは巻を経るごとに増すことだろう。今回、公刊本ゆえに書けなかったことも多くある。あれだけでは、今日に私たちの生きる場所をつないでこられた方々のほんとうの姿を伝えきることは決してできない。だから私は、まだしっかりと力が残っているうちに、ここに、あの頃を生きた方々から見聞きしたことを残そうと決めた。
だれかの目に触れるかもしれないし、だれの目にも触れないかもしれない。ただ、『照輝』編纂を竹富氏から直々に託していただいた私が忘れてはいけないということだけは、言い切れる。『照輝』を編むにあたり見聞きしたすべてを、『照輝』に残されなかったあの方々の生きざまを、私がなかったことにしてはいけない。だからこれは、私のために書いている。
本来、両大陛下や先人たちを敬称もつけず名で表すなど不敬だが、見聞きしたままを残したため、何卒御寛恕いただきたい。
最後に、編纂委員の諸氏はじめ多くの方の支えによって無事一巻目を刊行できたこと、そして『暁照宵輝録ーー貞香紀ーー』の公刊を両王陛下のみならず、両大陛下にもそろってご覧いただけたことを、天の神に感謝申し上げる。
奏智四(万久紀四〇五三)年十月六日
村田 拓海






