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(もしかして、レオンス様の警護に? 私が逆恨みをして、レオンス様に危害を加えるかもしれないから、警戒して……)
たしかにレオンスの仕打ちはひどいものだったが、仮にも王族なのだから、彼に何かするつもりはない。
それなのに近衛騎士が警護しなければならないほど、危険だと思われたのだろうか。
「私はもうレオンス様には近寄りません。ですから……」
「レオンス殿下?」
思い切ってそう言ったのに、近衛騎士は先ほどの態度から一転して、困惑したようにリゼットを見つめる。
「あなたはどうして、レオンス殿下の名前を?」
「……私に関わりのある王族の方は、レオンス様だけですから」
そう答えると、彼は納得したように頷いた。
「ああ、私が近衛騎士だからですね。私はレオンス殿下とは、関わりがありません」
「え?」
その答えに今度はリゼットが困惑して、自分よりもかなり背の高い近衛騎士を見上げる。彼はその困惑が本物だと悟ったのか、態度を和らげた。
「図書室に本を読みに来たと言っていましたが、いつも入り口から入ろうとせずに、様子を伺っただけで帰っていた理由は?」
「それは……」
毎日のように図書室の中を覗いて、帰っていく。
たしかに怪しい行動をしたと、今さらながら気が付いた。
「先に図書室にいる方がいて、私がいると迷惑そうでしたので……。でも、どうしても本が読みたくて、もし誰もいなかったら本を借りようと思って、通っていました」
リゼットも正直に理由を述べると、近衛騎士は納得したように頷いた。
「そうでしたか。それは申し訳ないことをしました。私はゼフィール王太子殿下の護衛騎の、アーチボルドと申します。王太子殿下の命により、その図書室にいた方の護衛をしていました」
「王太子殿下の……」
ゼフィールはレオンスの異母兄で、この国の王太子である。
彼の母は数年前に病で亡くなっているが、この国の正妃だったので、彼はレオンスと違って王家の別宅ではなく王城で暮らしている。
そんな王太子の護衛騎士が護衛をしているのだから、図書室にいる銀髪の青年はとても身分の高い人なのだろう。
だから毎日のように図書室を訪れては、中を少し覗いただけで去っていくリゼットを、護衛していたアーチボルドも不審に思ったのだ。
「そうだったのですね。紛らわしいことをしてしまい、申し訳ございません。もうこの図書室には近寄りません」
学園寮の図書室の何倍もある蔵書には心を惹かれるが、王太子殿下の護衛騎士に守られるような人を不快にさせるわけにはいかない。
そう謝罪して立ち去ろうとしたけれど、アーチボルドは慌てた様子でリゼットを止めた。
「いえ、エクトル様に事情を話して、図書室を使えるようにします。ここは学園の図書室で、あなたは学園の生徒です。図書室を使う資格がありますから」
アーチボルドはそう言って中に入り、銀髪の青年に話しかけている。
リゼットはどうしたらいいのかわからずに、その場に立ち尽くしていた。
図書室に入れるのは嬉しいが、王太子殿下の護衛騎士に守られるような人と一緒にいるのは、恐れ多い。
しかも彼は、自分を嫌っているように見えた。
(どうしよう……)
でも、このまま立ち去るわけにもいかない。
動揺しながらも待っていると、アーチボルドはすぐに戻ってきた。
「お待たせしました。図書室には、自由にお入りください」
やがて戻ってきたアーチボルドが、最初とはまったく違う優しい声でそう言ってくれた。
「ありがとうございます。ですが……」
「他に何か、問題でもありましたか?」
「私がいると、ご迷惑のように見えましたので」
正直にそう伝えると、アーチボルドは心配ないと言ってくれた。
「エクトル様は、あまり人と関わるのがお好きではないのです。そのせいで、そう見えたのかもしれないですが、大丈夫ですから」
使っても良いと言ってくれたのだから、遠慮せずに使わせてもらった方がいい。
リゼットも、そう思い直した。
「わかりました。それでは、図書室を使わせていただきます」
「突然、問い詰めたりして、申し訳ありませんでした」
「いえ。わざわざ私のために許可を取ってくださり、ありがとうございます」
アーチボルドに見守られて図書室に入る。
少し緊張したが、銀髪の男性はこちらに視線を向けることなく、静かに本を読んでいた。
それに安堵して、とうとう図書室に足を踏み入れる。
(すごい……)
想像以上の数に、リゼットはすぐに夢中になった。
ずっと勉強することができなかった反動なのか、今は知識を得るのが楽しくて仕方がない。閉館ギリギリまで本を読み、何冊か借りて、寮に戻った。
それからリゼットは、放課後になると学園の図書室に通った。
図書室の奥には司書がいて、穏やかで優しそうな、リゼットの母くらいの女性だった。彼女とも顔なじみになると、おすすめの本を教えてくれた。
アーチボルドにエクトルと呼ばれていた銀髪の青年はいつも同じ席に座っていて、リゼットが図書室に入ってきても顔を上げることはない。
彼は護衛のアーチボルドが迎えに来るまで、ひとりで静かに本を読んだり、物思いに耽っていたりする。どうやら王太子のゼフィールの客人として、王城に滞在しているらしい。
第二王子であるレオンスさえ、用事がなければ立ち入れない場所である。憶測でしかないが、彼はユーア帝国でも、それなりに身分の高い人なのだろう。
リゼットは、そんな彼をたびたび見つめていたが、見惚れているわけではない。
もちろん怖いくらい綺麗な顔だと思うが、それよりも気になることがあった。
整いすぎて人形めいた印象を与える彼だが、あまりにも顔色が青白いような気がする。
(体調が悪いのかしら……)
けれどアーチボルドから人嫌いだと聞いていたので、自分から話しかけるようなことはしなかった。
この日も本を読むことに集中していたリゼットは、ふと誰かが目の前を歩いていく気配を感じて顔を上げた。
迎えに来たらしいアーチボルドが、いつもの席で本を読む彼に近付いていく。
「お迎えに上がりました」
「……ああ」
彼はひとことだけそう言うと、本を片付けようと立ち上がった。
「……っ」
少しだけ顔を顰めた彼を、騎士は慌てて支えようとした。けれど彼はそれを断ると、ひとりで立ち上がって本を片付ける。
図書室から出ていく彼らを、リゼットは思わず視線で追う。
(もしかして……)
おそらく、眩暈がしたのだろう。
父もよく立ち上がろうとしては、先ほどの彼のように顔を顰めていた。
その顔を顰めた様子が、父とそっくりだったのだ。
ユーア帝国出身だと思われる彼は肌が白いので、周囲の人たちはあまり気が付かないのかもしれない。けれどあの青白さは、過労で亡くなってしまった父にそっくりだった。
父の死は、安らかなものではなかった。
痩せ細った青白い顔は、苦悶の表情を浮かべたままであった。
それはリゼットの心に、癒えない傷として今も残っている。
父の病と死は不幸の始まりであり、最大の悲しみだった。
もう誰にも、あんな思いをしてほしくない。