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学園に入学してから、もう一年が経過しようとしていた。
きちんと食事をしたお陰で体力もついて、学園での勉強も捗るようになった。
黒髪にも艶が戻り、もう肌もかさついていない。
けれど一度クラスで浮いてしまったリゼットが、クラスメイトに受け入れられることはなかった。
そのことに関しては、もう気にしてはいなかった。
もし仲間に入れてもらったとしても、五年も他の貴族令嬢と関わっていなかったので、今さら何を話せばいいかわからなかった。
町には仲良くなった人たちが多いし、彼女たちと節約レシピや、どの店の商品が一番質が良く、安いのかを話していた方がよほど楽しい。
公爵家の屋敷の奥で、息をひそめて暮らしていたときよりも、リゼットはしあわせだった。
けれど、気になることがひとつあった。
学園に入学してから、婚約者のレオンスとの交流が途絶えてしまったのだ。
以前は交流を深めるために、定期的にお茶会をしていた。
形式的とはいえ、ドレスや装飾品などの贈り物も届いていたはずだ。
それがすべて、なくなってしまった。
不安になったが、リゼットからレオンスに連絡を取る手段はない。
叔父に言っても連絡などしてくれないだろうし、学園内で会うこともできない。
この学園では学年ごとに校舎が分かれていて、用事のない者は他の学園の校舎に足を踏み入れることはできなかった。
もちろん、レオンスから声を掛けられたら可能である。
だから学園に入れば、レオンスに呼ばれて交流ができると思っていた。
けれど一度も呼ばれることはなく、王族である彼に関しては、手紙を出すことさえ禁止されていた。
ずっとそのことが、気懸かりだった。
(でも、寮にいる他の人たちが話していたわ。学園に入学している間は、婚約者とはそう頻繁に会えないものだと。卒業して、夜会に参加できるようになってから、本格的な交際が始まるって……)
そう言っているのを聞いて、大丈夫だと思い込もうとした。
だがレオンスは、自分を軽視されることを何よりも嫌っていた。
それをよく知っている叔父は、リゼットが学園寮に入ったことを伝えなかったのだ。調べればわかることではあるが、レオンスもそこまでリゼットに興味はなかったのだろう。
だからレオンスから贈り物が届いても、お茶会の誘いがあっても返事をしないことに怒り、異母姉の失態を詫びる形で対面していたマリーゼと、交流を深めていたのだ。
そして季節は廻り、二度目の春が来る。
明日になれば、新入生の入学式がある。
異母妹のマリーゼも、学園に入学する予定であった。
だが王都内に屋敷があるマリーゼは、屋敷から毎日馬車で通うようだ。学年も違うので、顔を合わせることはほとんどないと思われる。
学園内にあるホールでは、入学式が行われていることだろう。
それが終わったあとは、広い中庭を通って帰宅する。
その中庭には、たくさんの在校生が花を持って新入生を待っている。
リゼットも、その中に交じって新入生を迎えた。
入学式を終えた新入生には、縁のある在校生が花を渡して入学を祝うという習慣がある。
一年前、そんな習慣があることさえ知らなかったリゼットは、誰からも花を貰わずにこの中庭をひとりで歩いた。
周囲の人間がなぜ笑っているのかわからずに戸惑っていたが、おそらく花ひとつ貰えないリゼットのことを嘲笑っていたのだろう。
知らなくてよかったと、今になって思う。
ホールでの入学式を終え、それぞれ教室に向かう新入生を眺めながら、リゼットはそんなことを考えていた。
一年ぶりに見るマリーゼは、相変わらず可愛らしく装い、周囲を友人たちに囲まれていた。
きっと叔父がマリーゼのためにふさわしい家柄の令嬢を招き、お茶会など頻繁に開催して仲良くなったのだろう。そんなマリーゼに、花を持ったたくさんの人たちが集まる。
「もう、そんなに持てないわよ」
くすくすと笑いながら楽しそうに、マリーゼは言う。
たくさんの人に愛されているマリーゼは、今も亡き父の愛を求めているのだろうか。
ふと、周囲の生徒たちが頭を下げていることに気が付く。
高貴な身分の人がいたのだろうか。
そんなことを思って視線を向けたリゼットは、それが自分の婚約者であるレオンスだと気が付いて、驚いた。
彼は大きな花束を持っていて、マリーゼに近寄っていく。
「……レオンスさま」
目の前に立った彼に、マリーゼは控えめな笑顔を向ける。
いつも勝ち誇ったように、見下した視線でリゼットを見ていたマリーゼとは思えないほど、穏やかな笑顔だった。
「レオンスさまに、花をいただけるなんて」
そう言いながらうっとりと頬を染めるマリーゼは、異母妹の本性を知っているリゼットから見ても、目を奪われるくらい愛らしい。
(どうしてレオンス様が……)
呆然とその景色を見つめるしかないリゼットの前で、ふたりは親しげに会話を交わしている。
「いつも異母姉がご迷惑をお掛けしておりますのに」
「……ここ一年、一度も交流のための茶会にも参加せず、贈り物の礼状さえ寄越さない女のことなど、どうでもいい」
レオンスは吐き捨てるようにそう言うと、マリーゼに手を差し伸べた。
「入口まで送ろう」
「あ、ありがとう、ございます」
頬を赤らめたマリーゼが、おそるおそるレオンスの手を握る。
その光景を見ていたリゼットは、血の気が引く思いがした。
(お茶会……贈り物……。レオンス様はこの一年、ずっと公爵家の方に連絡を……)
たしかに王家から連絡があるのは、いつもオフレ公爵家にであり、今は当主代理である叔父宛だった。
レオンスの機嫌を損ねるのが嫌で、叔父はいつもその連絡だけは、メイドを通してリゼットに伝えてくれた。
贈り物の礼状もそうである。
けれどリゼットは屋敷を出た。
きっと叔父は、リゼットとレオンスを引き離す好機だと思ったのだろう。
もしレオンスから連絡が来ても、リゼットが嫌がって欠席した。贈り物の礼状も出さなかった。そう報告をされてしまえば、レオンスはリゼットを忌々しく思う。
もともと側妃の第二王子という身分のせいで、自分を兄の代替品だと思っている彼は、侮られるのが一番嫌いなのだ。
(どうしよう……。このままでは……)
何とかして、誤解を解かなくてはならない。そう思ったリゼットは、レオンスに声を掛けた。