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「救われたのは、私も一緒です。エクトル様が私を信じてくださったから、これからの未来にも希望を持つことができます」
互いに相手に救われたと言いながら、顔を見合わせて微笑むふたりを、ゼフィールも祝福してくれた。
笑みを交わす様子は、リゼットがふたりと出会ったばかりの頃よりも、ずっと親密そうに見える。
「リゼットのお陰だ」
そんな心のうちが伝わったかのように、エクトルは言った。
「今までの俺は、失ったものばかり見ていた。だが、ひとりで生きてきたリゼットに比べると、俺はまだ恵まれていたことに気付かされた。今の俺を支えてくれる人たちを、大切にしたいと思う」
出会ったばかりの頃の、いつも険しい顔をして、人嫌いと言われていたエクトルとは別人のようだ。
「リゼットには、私も感謝している」
ゼフィールもそう言ってくれた。
「ふたりの未来のために、私も全力を尽くそう」
そう言ってくれる人がいる。
そして、これからの人生を一緒に歩んでくれる人がいる。
「ありがとうございます。私も、おふたりに出会えて本当によかったです」
リゼットは心からそう思った。
話が終わり、学生寮に戻ろうとしたリゼットだったが、ゼフィールに、この王城に住むことを提案された。
学園にも、毎朝馬車で送迎してくれるという。
「私が、ですか? そんな、恐れ多いです」
とんでもないことだと、リゼットは慌てて固辞する。
「いや。たとえマーガレットがいるとはいえ、エクトルの婚約者を、誰でも出入りできる学園寮に住まわせるわけにはいかない」
だがゼフィールは、真剣な顔でそう言った。
今のリゼットは、オフレ公爵令嬢というだけではなく、ユーア帝国の皇太子の婚約者なのだ。
まだ正式に契約書を交わしていないとはいえ、それはもう確定である。
だからこそ、安全を確保しなければならない。
「不自由かもしれないが、そうしてほしい。荷物はすべてマーガレットに運ばせよう」
「……わかりました」
自分の我儘で周囲の人たちに迷惑はかけられないと、リゼットは頷いた。
彼の傍にいるためなら、多少の不自由も、勉強漬けの日々も、受け入れようと思う。
こうしてリゼットは王城内に一室を与えられ、それから学園に通うことになった。
この国の王城はかなり広く、中には城内で働く者たちが住んでいる場所もある。リゼットもそこがいいと申し出たのだが、当然のように却下された。
与えられたのは客室で、寮よりもさらに豪華な部屋だ。
落ち着かなくて、最初の日はまったく眠れなかった。
主の命令にすぐ駆け付けられるようにと客間内にはメイドの部屋もある。
そこで暮らすマーガレットが羨ましくなって、部屋を代わってほしいと思わず呟くと、マーガレットは同情したようにこう言った。
「この部屋に慣れておかれた方がよろしいと思われます。おそらく、ユーア帝国の帝城はもっと豪華かと」
「……ここよりも」
リゼットは恐ろしくなって身を震わせる。
屋敷では五年も倉庫のような場所に住んでいたのに、今や王城の客室である。それだけでも慣れずに大変だというのに、ユーア帝国の帝城はもっと豪華だという。
けれど、エクトルもこの王城に滞在しているので、顔を合わせる時間が増えたのは嬉しい。学園にも一緒に通っているし、帰りも同じ馬車だ。
ゼフィールに頼んで、今まで通り料理もさせてもらっている。
昼食だけだと簡単なものしか作れなかったが、王城に住むようになってからは、たまにエクトルの夕食も作るようになった。
夕食だと、栄養たっぷりのスープとか、メインの料理も作れる。
あまり量は食べられないだろうから、少量ずつ、代わりに品数を増やして、エクトルのためだけに料理をした。
代わりにエクトルは、リゼットに勉強を教えてくれる。
学園の勉強だけではなく、ユーア帝国で令嬢たちが習っていることも、丁寧に教えてくれた。
(ユーア帝国の女性たちは、こんなに難しいことも学んでいるのね)
男性と同じくらいの勉強量だったが、エクトルとの未来のためだと思えば、学ぶことすら楽しいと思えた。
懸命に日々を過ごしているうちに、もうすぐ冬の長期休暇になろうとしていた。
今年は町に出て働かなくてもよい。
そう思うと、少しほっとする。
働くのは苦ではなかったが、やはり町の人たちと比べると手際が悪く、それでも同じ賃金をもらうことを申し訳なく思っていたのだ。
年が明けて春になれば、リゼットは学園の三年生になる。
だがリゼットは、この学園を卒業することはない。
春になれば、エクトルはユーア帝国に帰国する。そのときはリゼットも彼に同行して、向こうの学園に編入する予定だ。
向こうの学園はこちらよりも学ぶことが多いようで、アリアにユーア帝国の教科書をもらい、彼女に色々と教えてもらいながら、勉強をしている。
この国で過ごすのも、もう冬の間だけである。
そう思うと、つい勉強にも力が入る。
マーガレットが止めてくれたり、エクトルのために料理をする時間がなかったら、もっと思い詰めていたかもしれない。
「エクトルに無理をするなと言ったのだから、あなたも無理をしては駄目よ」
アリアも、そう言ってくれた。
さらに勉強をするために学園に通うのだから、先にそんなに勉強をする必要はないと、嗜めてくれた。
父が亡くなってから家庭教師もつけてもらえなかったので、リゼットには勉強をしてこなかったという劣等感がある。
でもエクトルもアリアも、自分のペースで大丈夫だと言ってくれる。
周囲にはたくさんの人がいるのだから、全部自分で背負う必要はない。大変だと思ったら、周囲の手を借りてほしいと言ってくれる。
その優しさが、異国に嫁ぐリゼットの不安を綺麗に消し去ってくれた。
この日、リゼットはエクトルとともに学園に向かい、そのまま彼と別れて教室に向かった。
今日は、三年生に進級するための試験がある。
さすがに試験だけは、あとから不公平だと言われないように、教室で受けることにしている。
(この教室もひさしぶりだわ)
周囲を見渡しながら、そんなことを思う。
そして、ここで試験を受けるのも最後になるだろう。
学年的にはもう一年あるが、リゼットは春になれば、ユーア帝国に旅立つ。
向こうの学園に留学して、そこで卒業する予定だ。
一番後ろの席に座ったリゼットを、クラスメイトたちは気にしているようで、複数の視線を感じる。
それでも護衛騎士がずっと背後に控えているので、誰もリゼットに声を掛けることはできないようだ。
リゼットとレオンスとの婚約が正式に解消されたことは、もう学園中に知られている。
当初はそのことをひそひそと噂する者もいたが、リゼットがエクトルと婚約し、ユーア帝国に移住することを知ると、そんな噂をする声も聞こえなくなった。
(てっきり、私なんかふさわしくないって、言われるかもしれないと覚悟していたのに)
レオンスのときは、散々言われたものだ。
エクトルの際立った容姿に焦がれている令嬢は多いだろうに、そんな声は、ひとつも上がってこなかった。
不思議に思いながらも、静かならばそれに越したことはないと思い直す。
そんなとりとめのないことを考えていたのも、試験が開始される前までのことで、始まってしまえば試験に集中した。
(うん、大丈夫そう)
最近はずっと勉強ばかりしていたので、難なく解くことができた。
むしろこの後に控えている、ユーア帝国の学園に入るための編入試験の方が心配だ。
せっかくの機会だからと、ゼフィールの婚約者となったアリアに色々と聞いてみたが、やはり求められるレベルは、帝国の方がずっと高そうだ。
試験が終わり、あきらかに噂が好きそうな令嬢たちに昼食に誘われたが、エクトルが待っているからと断り、彼の待つ図書室に向かう。
昼食に誘われたのも、初めてかもしれない。
でも、今さら嬉しいとは思えなかった。
きっとレオンスとの婚約を解消し、あらたにエクトルと婚約し直したことの真相を、興味本位で聞かれるだけだ。
エクトルは、朝から図書室にいる。
この国にしかない本に興味があるらしく、学園の図書室に通って、興味のある本はすべて読んでいるようだ。




