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「勉強を、もっと頑張らないと……」
大切な人と想いが通じた。
そんな甘い時間に浸っていたリゼットは、我に返ってそう言った。
「勉強?」
「はい。アリア様が提案してくださったことがあって」
領地の交換の話をすると、エクトルも知らなかったらしく、少し驚いた様子だった。
「そうか。アリアの領地か」
エクトルは納得したように頷いた。
「もし俺が皇太子の地位を放棄すれば、次の帝位継承者はアリアだった。それくらい、能力の高い女性だ。きっとリゼットに知識と利益を与えてくれるだろう」
女性でも皇帝になれる国なのだと、あらためてこの国との認識の差を思い知る。
そして、ユーア帝国の皇帝として認められるくらい優秀な女性が、この国の王妃になってくれるのだ。
きっと忙しいゼフィールを補佐し、素晴らしい王妃になるだろう。
ユーア帝国の貴族令嬢は、このキニーダ王国の令嬢よりも多くのことを学び、領地経営や政務にも積極的に関わっている。
だからリゼットも、エクトルの背後で守られるのではなく、その隣に並べるようになるには、もっと学ばなくてはならない。
「ですから私も、それができるだけの力を身につけなくてはなりません」
「……そうか」
リゼットの決意に、エクトルは静かに頷いてくれた。
心が通じ合ったばかりなのだから、本当は甘い時間を過ごしたい。
エクトルがこの国にいる間だけの、期間限定の恋人ならば、それでもよかったのかもしれない。
けれどエクトルは、一緒にユーア帝国に行こうと言ってくれた。
婚約を申し込んでくれた。
それならば、一時の甘い時間よりも、これから先もずっとエクトルと一緒に生きるために、もっと頑張ろうと決意したのだ。
そんなリゼットの決意を聞いたエクトルは、リゼットの手を握りしめた。
「すまない。君をしあわせにしたいのに、やはり苦労をさせてしまう」
「苦労だなんて、思っていません」
リゼットは笑った。
「だって理不尽に与えられたものではなく、私が望んだことです。エクトル様と未来を生きるために、必要なことです」
むしろそんな勉強ができることを、しあわせに思う。
「俺も、できることなら何でもする。リゼットは、俺に何か望むことはあるか?」
「あります」
そんなエクトルの言葉に、リゼットは即答した。
ずっと彼に伝えたかったことでもある。
「私の望みは、エクトル様とずっと一緒に生きることです。どうかお身体を大切にしてください。エクトル様がお父様のようになってしまったら、私はもう二度と立ち直れません」
最近はすっかり体調も良くなって、眩暈もほとんどしないようだ。
それでも毒は長い間エクトルの身体を蝕んでいて、完全に元通りにはならないらしい。
それを彼の主治医に聞いたときは泣きそうになってしまったが、それでもかなり回復傾向にあると教えてくれた。
だから、エクトルには自分の身体を最優先にしてほしい。
そう訴える。
「……そうだな」
エクトルは自分の胸に置いた手を、強く握りしめた。
「リゼットを置いて死ぬわけにはいかない」
「はい。どうか無理はなさらないでください」
「ああ、わかっている」
エクトルはそう約束してくれた。
彼はきっと、約束を守ってくれるだろう。
昼休みになると、ふたりで休憩室に移動して昼食をとる。
今日はお菓子ではなく、リゼットが作ったサンドイッチだ。
マーガレットが用意してくれた紅茶も最上級のもので、エクトルにも安心して出すことができる。
オフレ公爵領は王家預かりになったが、父の遺産はそのままリゼットのものになると、ゼフィールが話してくれた。
だから、最近は料理をするにも予算をあまり気にせず、それよりもエクトルの身体のためになるものを作っている。
急には無理だが、少しずつ食べる量も増やしていけたらと思っている。
デザートに出したクッキーを見て、エクトルは笑みを浮かべた。
うさぎの形のクッキーだ。
午後からは、また図書室で勉強に励んだ。
試験に合格するのはもちろん、ユーア帝国のことも学ばなくてはならない。
覚えなくてはならないことは、たくさんある。
そのことが苦痛ではなく、むしろ楽しささえ感じるのは、この先に見える未来のための努力だからだろう。
ときどき視線を感じて顔を上げると、エクトルがリゼットを見つめている。
慈しむような優しい視線は、今までの一連のできごとが、けっして夢ではなかったと教えてくれるようだ。
(私は、本当にエクトル様と?)
それでもまだ夢のようで、信じられなくて、リゼットはたしかめるように、何度もエクトルを見つめてしまう。
でも何度見つめても、優しい眼差しが消えてしまうようなことはなかった。
そのままふたりは王家からの迎えの馬車に乗り込み、そのままゼフィールに会いに行く。
婚約を報告するためだ。
この国の王太子である彼は、ある程度の事情は知っている。それでもきちんと報告がしたいと言うエクトルに、リゼットも同意した。
ゆっくりと走る馬車の中で、エクトルは片手で額を抑えて目を閉じている。
動けるようになったエクトルは、帰国が近いこともあり、忙しく動き回っているようだ。
でも、まだ回復し始めたばかりである。
無理はしないと約束してくれたので、これからは大丈夫だと思うが、こんな姿を見ると少し心配になってしまう。
「エクトル様、眩暈はしますか?」
声を掛けると、エクトルは目を開いた。
「大丈夫だ。ただ、少し手を握ってくれないか」
「はい、もちろんです」
リゼットはすぐに彼の手を取って、両手で握りしめた。その温もりに安心したように、エクトルは表情を和らげる。
ゼフィールは相変わらず忙しそうだったが、手を繋いで現れたリゼットとエクトルに誰よりも早く気が付き、目を見開いた。
そんなゼフィールに、エクトルは告げた。
「リゼットに婚約を申し込んだことは話したと思うが、今日、正式に承諾してもらった」
「……本当か?」
「ああ。リゼットが一緒に居てくれるのならば、俺はあの国に帰ることができる」
そう言ったエクトルの穏やかな表情に、ゼフィールは感慨深そうに、そして嬉しそうに、笑みを浮かべた。
「そうか。……よかった。本当に、よかった」
ゼフィールは、言葉を噛みしめるようにそう言うと、リゼットに頭を下げる。
「リゼット、エクトルを救ってくれて感謝する」
「い、いえ!」
王太子に頭を下げさせるわけにはいかないと、リゼットは慌てて首を横に振った。




