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こうして長期休暇が終わり、学園が再開して間もなく。
ユーア帝国から、ゼフィールの婚約者となったアリアという女性が、この国を訪問するという。
彼女が王城を訪れる際に、その迎えの列に加わったリゼットは、彼女が馬車から降りた途端、目を見開く。
(なんて綺麗な方……)
まっすぐな長い銀色の髪は美しく、宝石のような青い瞳は煌めいている。
すらりとした長身に、シンプルなドレスが、その美しさを際立たせていた。
彼女を歓迎して夜会なども開かれるようだが、学生には参加資格がない。
その後もゼフィールと婚約のための話し合いや、国内の視察などを行っていたようだが、話は上手くまとまったようだ。
彼女はいずれ、この国の王妃となるだろう。
そんなアリアがリゼットと会いたいと言っている。
ゼフィールからそう聞いて、リゼットは戸惑った。
出迎えに参列させてもらったが、彼女との接点はまったくない。
あるとすれば、エクトルのことだろう。
戸惑って、隣にいるエクトルを見上げる。
「リゼットが嫌なら、断ってもかまわないよ」
「いえ、嫌というわけではありません。ただ、少し戸惑ってしまって。どうして私などに……」
「アリアは、俺の従妹だ。俺のことで、会って礼がしたいらしい」
「そんな、お礼なんて」
自分がエクトルを救ったとは思っていない。
リゼットこそ、エクトルに救われた身だ。
けれど断るのも失礼だと、リゼットはその申し出を受けることにした。エクトルとゼフィールも同席してくれると言ってくれた。
マーガレットに服装を整えてもらい、やや緊張しながら、彼女の待つ部屋に向かう。
「エクトル!」
だが三人が部屋に入った途端、彼女は立ち上がると、そのままエクトルに抱きついた。勢いよく飛び込んだようで、エクトルが思わず後退する。
「アリア」
「よかった……。もう、会えないかと思っていた」
エクトルは呆れたような声だった。
だがアリアの方はそう言ったあと、青い瞳がたちまち潤み、涙が零れ落ちる。見ている側も泣きたくなるような、そんな切なさを感じる表情だった。
「……心配をかけた。俺はもう大丈夫だ」
あまりにもアリアが泣くからか、エクトルは静かにそう言った。
ふたりの関係はわからないが、リゼットには兄妹のように親密に見えた。きっと家族のような関係なのだろう。そのせいかもしれない。
「体調は?」
「まだ元通りとはいかないが、かなり回復した。すべて、リゼットのお陰だ」
その言葉に、エクトルに縋っていたアリアの視線がリゼットに向けられる。
青い瞳で見つめられ、一瞬怯んだが、驚いたことに彼女はその場に膝をつき、リゼットの手を両手で握った。
「ありがとうございます。エクトルを救ってくれて、本当にありがとう……」
流れ落ちる涙と震える声に、彼女のエクトルに対する想いを感じて、リゼットもつい涙を流す。
きっと彼女の気持ちと、亡き父を思っていたあの頃の自分は一緒だ。
大切な人を救うことができず、ただ弱っていくことを見守ることしかできない無力感。
リゼットだって、ずっと願っていた。
誰でもいいから、父を助けてほしい。
もとの元気な父親に戻してほしい。
それが叶うのなら、何度でも頭を下げたに違いない。
それでも、この国の王太子妃になる女性を跪かせることなんてできないと、リゼットも彼女の手を握ったまま、膝を付く。
「私もエクトル様に救われました。心から、感謝しています」
互いに座り込んだまま手を握り、涙を流すリゼットとアリアに、エクトルとゼフィールが手を差し伸べてくれた。
立ち上がったふたりはようやく椅子に座り、マーガレットが淹れてくれた紅茶を飲んで、一息つく。
「ごめんなさい。エクトルを見たら、感情が抑えきれなくなってしまって。こんな有様では、ゼフィール様の婚約者にふさわしくないと思われてしまうわ」
気持ちが落ち着いたのか、アリアが憂い顔でそう言う。
たしかに彼女が急にエクトルに抱きついたのには驚いたが、それよりもリゼットの前に跪いた方が驚いた。最初に見たときは美しく完璧な令嬢に見えたのに、実際にはとても愛情深く、優しい人なのかもしれない。
きっと彼女は良い王妃になるだろう。
ゼフィールもそう思ったのか、彼女にそんなことはないと必死に言い募っている。
いつも完璧な王太子であるゼフィールが少し狼狽えているのが微笑ましくて、リゼットはつい笑ってしまった。
こうして王太子ゼフィールと、ユーア帝国の公爵令嬢であるアリアの婚約は無事に成立した。
正式な婚姻は、おそらく二年ほど先になるだろう。
彼が王になれば、この国はもっと良くなる。
町の人たちも、安全に暮らすことができるだろう。
ゼフィールとアリアには、婚約者として話し合わなくてはならないことが多いようで、リゼットとエクトルは先に部屋を出た。
(婚約……)
リゼットは、隣を歩くエクトルを見上げる。
ユーア帝国の皇太子である彼には、きっと婚約者がいることだろう。
それにリゼットも、学園を卒業するまでには、オフレ公爵を継いでくれる新しい婚約者を決めなくてはならない。
(でも……)
リゼットは、どうしようもなくエクトルに惹かれていた。
煌めく美しい銀髪に、端正な顔立ち。
少し痩せすぎてはいても、それだけではその魅力を損ねることはできない。
不機嫌そうな顔をしていても人を惹きつけたのに、こんなに優しい笑みを浮かべてくれるようになった。
けれどリゼットが惹かれたのは、その外見ではない。
誰にも顧みられることのなかったリゼットを、見ていてくれた。
信じてくれた。
頑張ったと褒めてくれたからだ。
でも、リゼットが彼のために尽くしたのは、振り向いてほしかったからではない。
父のように、生きることを諦めてしまったようなエクトルに、しあわせになってほしかっただけだ。
それにエクトルが優しいのは、不幸な自分の境遇に同情してくれたからだろう。
だから、勘違いしてはいけない。
彼が自分のような者を、愛するはずがないのだから。
「リゼット?」
いつの間にか立ち止まってしまっていたようだ。
動かないリゼットを心配したのか、エクトルがそっと覗き込んだ。
深い青色の瞳が、まっすぐにリゼットを見つめていた。
あまりにも近い距離に、反射的に後退っていた。
するとそれを追うように、手を握られる。
「どうした? 気分が悪いのか?」
「い、いえ。ただ、少し驚いてしまって」
そう答えると、エクトルは手を離した。
解放された手。
それなのにリゼットが感じたのは、解放された喜びよりも、寂しさだった。
手を離したいのか。繋ぎたいのか。
自分がどうしたいのかわからずに、混乱していた。
「少し、歩こうか」
エクトルがそう提案してくれて、リゼットはエクトルに連れられて、王城にある中庭を訪れていた。もう夏も終わろうとしていたが、たくさんの花が咲いていて、とても美しい。
(良い香り……)
ゆったりと中庭を歩き、広いベンチを見つけて、そこに隣り合わせに座る。
「……リゼットは」
しばらく沈黙が続いたが、それを破るように、エクトルがそう声を掛けてきた。
「はい」
「すぐに新しい婚約者を探すつもりか?」
「いえ。学園を卒業するまでには探さなくてはと思うのですが……。少し、怖い気持ちもあります」
次の婚約者も、レオンスと同じような人間かもしれない。
むしろ一度婚約を解消したリゼットは、世間から見れば『傷物』だ。それを理由に、また虐げられるかもしれないと思網と、少し怖かった。




