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それを見て、エクトルは静かに語りだした。
「俺が静養しなければならないほど身体を壊したのは、毒のせいだ。長い間、知らないうちに毒を盛られていたらしい。気が付いたときには、手遅れになる寸前だった」
「……毒」
思わず聞き返したリゼットに、エクトルは無言で頷く。
痛みを堪えているような表情だったが、痛むのは傷ではなく心だったのかもしれない。
つらい過去も、誰かに話すことで楽になることもある。
けれどエクトルの場合は、こうして思い出すたびに、また傷ついているような気がして、切なくなる。
(エクトル様……)
リゼットは、繋いだ手に力を込めた。
「俺の毒を盛ったのは、母親の違う異母兄だった。優しくて尊敬できる兄だったから、それほどまで憎まれているとは思わなかった」
「そんな」
思わず声を上げたリゼットに、エクトルは弱々しい笑みを向ける。
「やはり血の繋がりが半分だけでは、家族にはなれないのかと、そう思ったよ」
リゼットとマリーゼ、そしてゼフィールとレオンスを見ながら、エクトルもずっと自分の異母兄のことを思い出していたのかもしれない。
「義母も共犯だったらしい。俺の母は早くに亡くなったから、ずっと本当の母のように慕っていた。だが俺の存在は、ふたりを苦しめるだけだったようだ」
そう言って、静かに目を閉じるエクトルを見て、初めて会った頃を思い出す。
人嫌いで、自分の身体のことなどまったく顧みなかった。それは慕っていた親しい人たちからの裏切りが原因だったかと思うと、胸が痛い。
家族だと思っていた人たちから裏切られたのだ。
周囲の人間など、誰ひとり信用できなかったのだろう。
リゼットに向けられていた昏い瞳を思い出して、泣きたくなる。
傍にいたいと、強く願った。
もう彼が誰からも傷つけられないように、傍にいて守りたい。
そう思ったところで、彼の症状が父とよく似ていたことを思い出した。
眩暈に、頭痛。少しずつ弱っていく身体。
そして、エクトルの様子が父と似ていると告げたときに、調べてみると言った彼の言葉も。
「……まさか」
真っ青になったリゼットを、エクトルがそっと支えてくれる。
「そんな。お父様は、もしかして……」
「俺と同じ、毒を盛られていた可能性が高い」
すうっと血の気が引く感覚がして、思わず支えてくれていたエクトルにしがみつく。
「すまない。やはり、伝えるべきではなかった」
「いいえ」
気遣ってくれる言葉に、リゼットは小さく首を横に振る。
父は、苦しかっただろう。
あんなにやつれて、最後はあれほどの痛みに襲われて。
それが誰かによって故意的に引き起こされていたなんて、信じたくない。
けれど、たしかにエクトルと同じ症状だった。
あまりにもつらい出来事だが、知らないままでいたくない。
「いったい誰が、お父様を」
「それを今、調査しているところだ。もうすぐ結果が出るだろう」
父と同じ症状だと言ったときから、その可能性を考え、調べていてくれたのだろう。父のことは、彼にとっても、思い出したくない過去を彷彿させたに違いない。
それなのに、リゼットのために調べていてくれたのだ。
感謝することはあっても、怒るなんてことは、絶対にあり得ない。
「すみません。何も知らずに、ただ父は病気で亡くなったものだと……」
そう言ってから、はっとした。
先ほどよりも、エクトルの手が熱くなっている気がする。
リゼットは立ち上がり、自分を支えてくれていたエクトルを、ベッドに押し戻す。
「話は、後からでもできます。どうか今は休んでください」
毒には慣れていると言っていたが、苦しくないはずがない。
しかも、リゼットを庇って負った傷だ。
必死にそう言うリゼットに根負けして、エクトルはおとなしく横になった。
痛みも増してきたのか、ときどき堪えるように目を細めている。それを見ると、自分が傷を負ったかのように心が痛む。
「私のせいで」
「そんなふうに思わないでくれ。君を守ることができてよかった」
エクトルはリゼットの頬に手を伸ばそうとして、直前で思い留まったようだ。
そっと指先だけで、リゼットの髪に触れる。
「今はまだ、これだけしか言えないが、心からそう思っている」
そう言うと、医師が処方してくれた鎮痛剤が効いたのか、エクトルは眠ってしまったようだ。
リゼットはずっと、彼の手を握りしめていた。
静かに考えるのは、父を殺した犯人のことだ。
(きっと、間違いなく……)
オフレ公爵家の当主になりたかった、叔父だろう。
許せない。
リゼットは自分の中に生まれた憎しみを押し殺すように、固く目を閉じた。
叔父に奪われたものは多い。
大切な父。
当時の面影もない屋敷。
何ひとつ、取り戻せないものばかり。
父と同じように苦しめてやりたいと思うが、エクトルを想う心が、それを思い留まらせてくれる。
もしリゼットが復讐を望めば、彼はそれを叶えてくれるだろう。
けれど、エクトル自身は義母と異母兄の行為に悲しんではいても、憎しみを感じてはいなかった。
そんな彼に、復讐の手伝いなどさせてはならない。
父と母も、敵を討つよりも、リゼットのしあわせを願ってくれるだろう。
罪は、法によって裁かれるべきだ。
リゼットはエクトルの手を握りしめながら、そう決意した。




