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気が付けば、もう昼休みの時間になったようだ。
「エクトル様。そろそろ休憩しませんか?」
「ああ、そうだな」
声を掛けると承諾してくれたので、一緒に休憩室に移動する。
まず紅茶を淹れてから、いよいよ手作りのサンドイッチを取り出した。
(うん、無事ね)
マリーゼに突き飛ばされてもしっかりと腕に抱えて守っていたので、潰れてはいなかった。
そんなものをエクトルに出すわけにはいかなかったので、よかったと安堵する。
「これ、お約束していたサンドイッチです」
そっと差し出すと、エクトルはそれを見て感嘆したように言った。
「色々あるな」
食べやすいように、一口サイズで作ったサンドイッチは、エクトルの好みがわからなかったので、色々な具を用意してある。
たまごサンド、ハムと野菜のもの。シンプルなジャムに、フルーツを挟んだものも。
どれかひとつでも食べてくれたら嬉しいと思っていたのに、エクトルはひとつずつ、じっくりと味わうように食べてくれた。少し小さめに作りすぎてしまったかと思ったが、リゼットもあまり量を食べられないので、このくらいでいいのかもしれない。
「あの、マリーゼが言っていたのですが、レオンス様は謹慎になったのでしょうか?」
叔父が重要書類を盗み出した罪で拘束されていることは聞いたが、レオンスのことは知らなかった。
食事のときに聞く話ではないと思い、終わったあとにそう尋ねてみると、エクトルは頷いた。
「ああ。キニーダ国王がそう命じたらしい。表向きの理由は、学園内での暴行だ。あの診断書が役に立った。」
「暴行……」
それは間違いなく、自分がレオンスに突き飛ばされたときのことだろう。
でもエクトルの話では、それだけが理由ではないようだ。
「表向きというのは……」
「今回の契約書が紛失した事件は、レオンスがキニーダ国王にリゼットとの婚約を解消したいと訴えて、却下されたすぐ後のことだ。だからレオンスも関与が疑われている。むしろ状況を考えると、レオンスがオフレ公爵代理にやらせたのかもしれない」
それを聞いて、さすがにキニーダ国王も、レオンスを庇いきれなくなっていたのだろう。
この事件が解決するまで、別宅で謹慎することになっているそうだ。
叔父もレオンスも傍にいない。
だからマリーゼは、あんなに焦っていたのかもしれない。
「オフレ公爵代理も、いつまでも沈黙を続けることはできないだろう。その事件も、近いうちに必ず解決する。護衛に守られる生活は窮屈かもしれないが、それまでの辛抱だ」
「はい。ありがとうございます」
エクトルの気遣いに、リゼットは礼を述べた。
どのみち、レオンスとの婚約は解消されるだろう。
むしろ契約書が紛失した時点で、もう婚約はなくなったようなものだ。
レオンスとの婚約を解消したあとにどうするか、それを考えなくてはならない。
それからしばらくは、平穏な日々が続いた。
寮ではマーガレットがいて、リゼットが生活しやすいように、色々と配慮してくれる。
毎朝、護衛騎士が寮まで迎えに来てくれて、図書室で勉強している間も、エクトルと一緒に守ってくれる。
マリーゼがたまにこちらを睨んでいたが、護衛がいるため、近寄ることはできないようだ。
周囲にいる人たちにリゼットが悪いのだと必死に訴えていたようだが、以前と違って、その話を真に受ける人も少なくなっている。
リゼットの背後に、ゼフィールがいることが明白だからだろう。
余裕のなくなったマリーゼは、可愛らしく振舞うことも忘れて、ただリゼットに対する憎しみを募らせるようになったらしい。
以前は何人もの友人を引き連れていたのに、最近はひとりのようだ。
マリーゼが以前のように可愛らしく装う余裕がなくなったからか。
もしくはオフレ公爵代理である叔父が、拘束されたという噂が広まったからかもしれない。
叔父が拘束されても、以前からひとりだったリゼットには、何の影響もないことだ。
だが叔父の拘束が長期に渡り、さらに実刑となる可能性もあるため、オフレ公爵家を当主不在のままにはしておけないようだ。
放課後、ゼフィールに呼び出されたリゼットは、それについて説明してくれた。
「リゼットはまだ成人していないので、公爵代理にはなれない。王家預かりになるか、それとも親戚の中から信頼できる者に代理をしてもらうか。一応、リゼットの希望を聞いておきたくてね」
「ありがとうございます」
どちらが良いか尋ねられ、リゼットは迷うことなく王家預かりになることを選んだ。
オフレ公爵家にはまだ、義母がいる。
父と再婚していたわけではなく、オフレ公爵家には何の権限もないはずだが、ずっとあの家の女主人のように振舞っていた。
そんな義母が残っている。
父が生きていた頃の執事やメイド長が残っていれば安心して任せられたかもしれないが、今の使用人たちを、リゼットは信用していなかった。
「わかった。そう手配しよう」
ゼフィールがそう答えてくれて、リゼットは安堵した。
これで、オフレ公爵領の領民たちは大丈夫だろう。
叔父は少しずつ自白を始めたが、やはりマリーゼと同じように、リゼットに頼まれてやったことだと言ったらしい。
(そんな……)
いかにマリーゼを可愛がっているとはいえ、血の繋がった叔父である。
リゼットのことも、少しは思ってくれているのではないか。
どこかでそんなふうに考えていたが、叔父にとって大切なのは、やはりマリーゼだけらしい。
「リゼットはレオンスとの婚約を嫌っていて、契約書を破棄してほしいと頼まれた。そう言ったらしいが、もしそれが本当だったとしても、後見人だというのに止めもせず、その通りに行動した彼が間違っている。しかも、リゼットにはそうする動機がない。嘘の証言をしたことで、また罪を重ねただけだ」
ゼフィールの言葉を聞きながら、リゼットは静かに瞳を閉じる。
父と祖父が亡くなり、これからは叔父と異母妹が家族になったのだと思っていた。
実際には父が亡くなったときから、リゼットの家族はもう誰もいなかったのだろう。
(でも、今までだって、ひとりで生きてきたようなもの。これからも変わらない。同じように生きていくだけ)
そう決意したリゼットの背に、ふいに触れた温もりがあった。
顔を上げると、エクトルがリゼットに背に手を添えていた。
「エクトル様……」
とても温かくて、こうしているだけで、今まで感じていた孤独が消えていく。
今のリゼットは前と変わらずひとりだけど、傍にはエクトルやマーガレットがいてくれる。
もう孤独ではないと、気付くことができた。
「ありがとうございます」
彼を見上げ、もう自分は大丈夫だと示すために微笑むと、エクトルは眩しい光を見つめているかのように、目を細めた。
ゼフィールの話はこれで終わりのようだが、リゼットには、彼に聞きたいことがあった。
「あの、ゼフィール殿下」
「そう声を掛けると、彼は先を促すように頷いた。
「どうした?」
「次の週末ですが、外出してもかまわないでしょうか?」
どうしても行きたいところがあったが、護衛してもらっている今の状況では、勝手に出かけることはできないだろう。もし無理だと言われたら、あきらめるつもりだった。
だがゼフィールは、すぐに許可してくれた。
「あまり遠くなければ、かまわない。どこに行きたい?」
「父の命日が近いので、お墓参りに行きたくて」
「そうか。わかった。その日は護衛騎士を同行させよう」
リゼットの言葉を聞いてそう言ってくれたゼフィールは、ふと何かを思いついたようにエクトルを見た。
「そうだ、エクトル。一度、町を視察したいと言っていただろう。リゼットと一緒に行ったらどうだ?」
「ああ、そうだな。リゼットに同乗させてもらおう」
エクトルは、この町の様子を見たいと言っていたらしい。
「は、はい。よろしくお願いします」
こうして次の休みには、リゼットはゼフィールと出かけることになった。




