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こうしてリゼットは、護衛騎士に守られ、メイドになってくれた女性と一緒に学園寮に戻った。
「リゼット様。これからお傍に仕えさせていただきます、マーガレットと申します」
彼女は部屋に到着すると、そう名乗って丁寧に頭を下げてくれた。
「リゼットです。これからお世話になります」
そう言ってリゼットも頭を下げると、彼女は驚いたようだ。
「リゼット様はオフレ公爵令嬢なのですから、私のようなものに頭を下げてはなりません」
「でも今まで私は、ひとりでこんな生活をしてきました」
ほとんど家具もなく、クローゼットにも制服とメイド服しかない。
そんな部屋を見渡して、リゼットは笑みを浮かべる。
「だから今さら、公爵令嬢になんて戻れないのです」
「いいえ。そんなことはありません」
やや自嘲気味にそう言ったリゼットの言葉を、マーガレットはすぐに否定した。
「リゼット様は、正当なオフレ公爵家の後継者です。不当に虐げられていた時間を、これから取り戻していきましょう」
「……ありがとうございます」
「そこは、ありがとう、とおっしゃってくださいね」
メイドに敬語を使わないようにと注意されて、リゼットは頷く。
「ええ、ありがとう」
にこりと笑った頷いたマーガレットは、さっそく夕食を作ってくれた。
自分では何もせずに誰かに作ってもらうなんて、随分とひさしぶりだ。
公爵家の屋敷にいた頃は、メイドとして働いた対価として、食事がもらえたようなものだ。
夕食はとても美味しかったが、あまり量を食べることはできず、マーガレットは明日から量を調整すると言ってくれた。
「少しずつ、食べられる量を増やしていきましょう。でも今までも、栄養バランスには気を付けていらしたのですね」
「ええ。もし病気になっても寝ていることしかできないから、普段から体調には気を付けていたわ」
「本日からはもう、そのような心配はありませんよ。朝食と夕食は私の方で準備いたしますが、昼食はどうなさいますか?」
「昼食は……」
ふと、エクトルの顔がよぎる。
約束を果たさなくてはならない。
「昼食は、私が自分で作ります」
「はい、承知いたしました。昼食でお使いになる材料も、教えていただければ買っておきますので」
「お願いします」
食費やマーガレットの給金などは気になったが、マーガレットの場合はゼフィールからの命令でここに配属されたので、雇い主もゼフィールということらしい。
さらに食費や生活のために必要なものなどは、父の遺産の中から、学費などと同じように引き落としてくれるという。
リゼットの生活を知って、ゼフィールがそうできるように手配してくれたようだ。
これで、お金の心配はなくなった。
それだけで、心の負担が随分減ったように思う。
少しずつ減っていくお金に、自分が思っていたよりも不安を感じていたのかもしれない。
(サンドイッチを作らないと)
せっかく、エクトルが食べてくれると言ってくれたのだ。
あの日のように余ったパンに野菜を挟んだ簡単なものではなく、栄養のあるおいしいものを、エクトルのために作りたいと思う。
パンも、自分で焼いたものを使うつもりだ。
夕食後は、さっそく明日の昼食のために下拵えをする。
この昼食作りだけは、マーガレットは口も手も出さず、リゼットのやりたいようにやらせてくれる。
初めてお菓子ではない料理を持っていくので、少し緊張していた。
食べると約束はしてくれたが、それでも無理をしてほしくない。
その見極めだけは、絶対に間違えてはならないと決意する。
下拵えが終わると、もうやることがなくなってしまった。
明日の朝食の準備も、部屋の掃除も、すべてマーガレットがしてくれたからだ。リゼットは、軽く勉強をしてから就寝することにした。
ひとりきりに慣れていたリゼットは、部屋の中に誰かの気配があると、かえって落ち着かないくらいだ。
昼食のサンドイッチはひとりで作ったが、身支度はマーガレットが手伝ってくれた。
本当は朝の身支度も朝食の準備も、自分でやった方が気楽である。
けれどマーガレットは、リゼットは公爵令嬢なのだから、少しずつ世話をしてもらうことに慣れなくてはと言う。
髪も丁寧に梳いてもらい、自分でも驚くほど艶やかで綺麗になった。
「それではお嬢様、いってらっしゃいませ」
恭しく見送られると、自然と背が伸びる。
あんなに自分のために一生懸命になってくれるマーガレットが、恥ずかしくないように振舞いたいと思ってしまう。
(ああ、そうだわ。お父様も言っていた……)
仕えてくれる人たちが、領民たちが、恥ずかしく思うような主になってはいけない。
幼い頃から言い聞かせられていた、父の教えだった。
素晴らしい父だった。
そして、母とリゼットを深く愛してくれた。
どうしてそんなことを、忘れてしまっていたのだろう。
あの父が、母を裏切るはずがない。
幼いリゼットにとって、屋敷は世界のすべてだった。
そこから追い出されてしまえば、もう生きていけないと思っていた。
だからその新しい支配者となった叔父には、けっして逆らってはいけないと、理不尽な要求もすべて飲み込んだ。
リゼットは、まだ十歳だった。
けれど、あのときの自分は間違っていたと、今ならわかる。
きちんと自分の意志を持ち、叔父に対抗するべきだったのだ。




