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「オフレ公爵家の娘として、恥ずべき行為だったと理解しております。ですが、どうしようもありませんでした」
ゼフィールもエクトルも、蔑みを言葉や態度で示すような人ではない。
けれどゼフィールはもちろん、エクトルも高貴な身分だと察せられた。
そんなふたりが、メイドとして働いただけではなく、町に出て下働きをしていたリゼットに、嫌悪を抱くのではないかと思っていた。
「恥ずかしく思う必要などない。君は、ひとりで立派に戦った」
けれどエクトルは、そんなリゼットに、優しくそう言ってくれた。
驚いて顔を上げれば、エクトルの視線は言葉と同じように慈しみに満ちている。
彼のこんな表情は、一度も見たことがない。
だから同情などではなく、本心からそう言ってくれていることがわかった。
「ありがとうございます……」
「少ない材料の中で、クッキーだけではなく、他のものも作ってくれたな」
「はい。うさぎ型の焼き菓子ですね。町で作り方を聞いたのですが、素朴でとても美味しかったので、作ってみたくなって」
普通のパンで、サンドイッチを作ると約束していた。
機会を伺っていたが、まだその約束を果たしていない。
「そんなつらい状況だったのに、俺のことまで気遣ってくれていたのか。……俺も、いつまでも過去に囚われているべきではないな」
ぽつりと呟かれた言葉。
エクトルが何を決意したのか、リゼットにはわからなかったけれど、それを聞いたゼフィールが、驚いたように目を見開いていた。
王太子としていつも冷静であるはずの彼が、それほどまで驚くほどの理由があるのだろう。
「向こうが嘘を言っているのは明白だ。それに、どうやら向こうは俺の存在も利用しているようだ。こうなっては、無関係ではいられない」
「……そうだな」
エクトルの言葉に、ゼフィールは我に返ったように同意した。
「それに、もうひとつ気になることがある。リゼットの父は、俺と同じような症状だったらしい」
「!」
エクトルのその言葉に、今まで考え込むような表情をしていたゼフィールが、リゼットが驚くほどの勢いで顔を上げた。
「それは、本当なのか?」
そう問い詰めるように言われて、勢いに押されながらも、こくこくと頷く。
「詳しい調査が必要だろう」
そう言ったエクトルは、リゼットを見た。
「詳細はまだ話せないが、君の父について、また聞くことがあるかもしれない。かまわないだろうか?」
「はい、わかりました」
父の死には、何か原因があったのではないか。
ふたりの会話から、リゼットはそれを察した。
もしそうなら、リゼットも父の死の解明のために、できることは何でもやりたかった。
「色々と立ち入ったことを聞いて、すまなかった。これから事件についてさらなる調査が行われる予定だ。だがまったく見当違いとはいえ、一度名前を上げられてしまった以上、リゼットには監視がつけられることになる」
「ゼフィール」
エクトルが抗議するように彼の名前を呼んだが、リゼットはすぐに頷いた。
「承知いたしました」
監視されてもかまわない。
リゼットには、疚しいことなど何ひとつないのだから。
こうしてゼフィールが監視役として呼び出したのは、リゼットよりも少し年上の女性だった。彼女はメイドとして、リゼットの傍にいてくれるのだという。
(メイド?)
リゼットは困惑して、メイド服の彼女を見つめる。
監視というからには、騎士などがリゼットの行動を監視するのかと思っていた。
「リゼット、ここはゼフィールの言う通りにした方がいい」
戸惑うリゼットに、エクトルがそう言った。
「エクトル様……」
「君の身の安全のためにも必要なことだ。向こうもオフレ公爵代理が拘束されて、かなり焦っていることだろう。君にすべての罪を着せて、口封じをする可能性もある」
「……っ」
リゼットは息を呑み、怯えを隠すように手を握りしめた。
(たしかにマリーゼなら、すべて私のせいにするかもしれない)
現にエクトルの存在を利用して、リゼットを陥れようとしたのだ。
そして叔父が何も言わない以上、今の段階ではリゼットと同じくマリーゼも、事情聴取をすることしかできない。もう後がないと、強引な手段を使う恐れがある。
ここは、ゼフィールとエクトルの言葉に従うべきだろう。
「学園には、エクトルの護衛をしている騎士がいる。なるべく図書室にいるようにしてほしい」
「はい。ですが、このままエクトル様のお傍にいてもよろしいのでしょうか?」
彼に迷惑をかけるわけにはいかないと、リゼットは懸念を口にした。
マリーゼはリゼットを陥れるために、図書室で顔を合わせていたエクトルをリゼットの恋人だと言った。
彼と一緒になりたいから、叔父を使って婚約の契約書を破棄したのだと訴えたのだ。
それはゼフィールが、自分の頼みだったからと否定してくれたらしいが、これ以上、エクトルを巻き込むわけにはいかない。
今思うと、エクトルと図書室で過ごした時間はとてもしあわせだった。
彼との何気ない会話が、ひとりで懸命に生きてきたリゼットの孤独を癒してくれた。
うさぎの形に拘ったクッキー作りも楽しかったし、それをエクトルが食べてくれたことも嬉しかった。
かけがえのない、大切な時間だった。
もうあの時間を過ごせなくなると思うとつらいが、追い詰められたマリーゼは、ゼフィールの言うように何をするかわからない。
エクトルにまで危険が及ぶ前に、離れなければ。
「俺の傍にいるのは、嫌か?」
そう決意したのに、寂しそうにそう言われてしまい、リゼットは勢いよく首を横に振った。
「いえ、そんなことは絶対にありません。ただ、私と一緒にいると、ご迷惑を掛けてしまうと思って」
「迷惑ではないよ。それに、どのみち君には護衛が付けられる。俺と一緒にいた方が、護衛はひとりですむだろう。俺たちの関係が向こうとは違って疚しいものではないことは、ゼフィールが証明してくれる」
「ああ、もちろんだ。護衛騎士も常に傍に置くようにするから、何も心配はいらない」
ゼフィールもそう言ってくれた。
それでも迷惑を掛けたくなくて躊躇うリゼットに、エクトルはさらに言葉を続けた。
「サンドイッチを作ってくれるという約束も、まだ果たしていない」
「はい。そうですね」
彼の言うようにその約束はまだ果たされていない。
リゼットも、エクトルのために作ることを、とても楽しみにしていた。
「あらためて私からも言おう。エクトルを頼む」
「承知しました」
ゼフィールの言葉に、リゼットも覚悟を決めて頷いた。




