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エクトルから離れ、まっすぐに前を見た。
「メイドは、ひとりもいません。全部、自分でやっていました」
「……そうか。料理をしていたのは趣味ではなく、しなければならない状況だったのか」
エクトルの言葉にリゼットは頷き、穏やかな笑みを浮かべる。
「はい。学園寮に入ってから覚えたので、最初は散々でした。でも最近は、お菓子などを作るのが楽しくて。エクトル様に食べて頂けたのも、とても嬉しかったです」
「エクトルが?」
ゼフィールは驚いた様子だったが、エクトルは優しい顔をして頷いてくれた。
「ああ、うさぎか」
「はい。あの頃はクッキーの材料ばかり買ってしまって、食費に困ったこともありました。私も、少し意地になっていたのかもしれません」
リゼットとしては、うさぎの形に拘った自分を笑ったつもりだった。
けれど、ゼフィールとエクトルは顔色を変えて、リゼットを見つめる。
「食費? まさか、公爵家ではメイドを派遣しなかっただけではなく、生活のための費用さえも出さなかったのか?」
「あ……」
失言に気が付いたリゼットは唇に手を当てて、何とか言い訳をしようとした。
けれど、王太子の前で嘘を言うことはできない。
こうなったら、すべてを話すしかないだろう。
リゼットは覚悟を決めて、今までのことを語りだした。
「たしかにマリーゼは、冷遇などされておりません。引き取られてきたその日から、叔父様に大切にされ、欲しいものはすべて与えられてきました」
そう言ってからふたりの様子を伺ったが、エクトルもゼフィールも、リゼットの言葉を疑っていない。それに励まされて、言葉を続ける。
「最初はドレスを奪われるくらいでした。でも、叔父がマリーゼに優しくしなければ駄目だと言うので、おとなしく従っていました。そのうち部屋を交代するように言われて、私の部屋はマリーゼのものになりました。新しい部屋は、以前は物置だった場所です」
物置に追いやられ、新しいドレスやメイドさえもいない日々。
「そのとき、君は何歳だった?」
「父が亡くなったのは、私が十歳のときです。それから祖父が亡くなるまでは、叔父は優しかったのですが……」
「当時はもう、レオンスと婚約していたはず。レオンスは何もしなかったのか?」
「叔父様も異母妹も、レオンス様との交流だけは、行かせてくれましたから。学園寮に入るまでは、ドレスも装飾品もいただいていました」
あの頃は、レオンスの存在が救いだったのだと、リゼットはゼフィールに説明した。
「だが、自分の婚約者がそんな状況に陥っていることに、レオンスは気付かなかったのは事実だ」
「叔父様もマリーゼも、レオンス様の前では私を虐げるようなことはしませんでしたから」
レオンスが、リゼット自身にまったく興味がなかったことも理由だったが、それは口にしなかった。
だが本当にあの頃は、レオンスの存在に助けられたこともあった。
そう懐かしく思い出す。
その彼が、あんなに簡単にマリーゼに騙されるとは、リゼットもまったく思わなかった。
「私が学園に入学して寮に入ってからは、義母は私がレオンス様との面会を拒み、贈り物の礼状さえ書く気がないと伝えていたようです。代わりに異母妹のマリーゼを、レオンス様とのお茶会に参加させていました。私が悪かったのです。レオンス様のことよりも、あの屋敷から逃げることを優先させてしまいました」
「……いや、今までしっかりと交流していれば、リゼットがそんなことをするはずがないと、レオンスにもわかっただろう。このような卑劣な者たちに、簡単に騙されてしまうとは」
ふたりとも、ここまではリゼットの話を信じてくれている。
とうとうメイドとして働いていた件を話すことにした。
「メイドがいないことくらいなら何とかなりましたが、そのうち食事も運んでもらえなくなりました。さすがにこのままでは生きていけないと思い、メイド服を着て、使用人たちの食堂に行くようになりました」
「食事まで?」
リゼットの告白に、ゼフィールもエクトルも憤ってくれた。
「叔父様がそうしろと命じたのではなく、私にまったく関心がなかったのでしょう」
主がそんな態度であれば、使用人たちもリゼットを蔑ろにしてもかまわないと思っただけだ。
それが積み重なり、誰もリゼットの世話をしなくなった。
リゼットに食事が出されていないことさえ、誰も気が付いていないかもしれない。
そう思えば、嫌味を言ったりしてきたマリーゼが一番、リゼットの存在を気にしていたのだろう。
「メイド服を着て食事をしているうちに、仕事を言いつけられるようになりました。そのときに給金としてもらったお金と、祖父が生前、何かあったときのためにお金を渡してくれたので、それを節約しながら使っていました。学園に入ってからは、長期休暇のたびに町で下働きをして……」
公爵令嬢だったはずのリゼットが、町で下働きをしていた。
それを聞いたエクトルの手に、力が入ったのがわかった。
恥ずかしいことだと、理解している。
けれど、どうしようもなかったのだ。




