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「あら、いらっしゃい」
いつも行く店に顔を出すと、店番をしていた女性がにこやかに迎えてくれた。
食料品から日用品まで、何でも売っている店である。商品は寮で売っているものと比べると少し質が落ちるが、それでも安くて
リゼットの母くらいの年齢だからか、料理を教えてくれたり、痩せ細っていたリゼットを心配して色々と食べ物を分けてくれた優しい人だ。
今日もちょうど焼き上がったからと、パンを分けてくれた。
「それで、今日は何が欲しいの?」
「ええと、小麦粉と……。あと、お菓子の焼き型があれば欲しいんですが」
欲しいものを告げる。
「焼き型なら、色々あるよ」
彼女が指し示してくれた場所を見ると、うさぎの形をした焼き型を見つけた。リゼットはすぐにそれを手に取る。
「うん、これなら食べてくれるかも」
嬉しそうに手に取ったリゼットを見て、店番の女性は優しく微笑む。
「誰かにあげるのかい?」
「はい。お世話になった方に」
「そう。気に入ってもらえるといいね」
そう言って袋に入れた食材を渡してくれた店番の女性は、急に険しい顔をしてリゼットを見た。どうしたのかと思って不思議に思うと、彼女の視線はリゼットの腕を見つめていた。
「それ、どうしたの?」
汚れないように捲っていた袖口からリゼットの肌が見えていて、そこにはレオンスから突き飛ばされたときにぶつけたらしく、くっきりと痣があった。
すぐに消えるかと思っていたのに、まだ残っていたようだ。
「あ……」
慌てて隠そうとするが、それよりも先に手を掴まれてしまった。
「もしかして、あなたの主が?」
「いえ、違います!」
主などいない。
リゼットは慌てて否定した。
「他の人に絡まれてしまって。でも、すぐに助けてもらったので大丈夫ですから」
心配してくれる彼女につい、他家の貴族に絡まれたこと。でも、助けてくれた人がいたから大丈夫だと話してしまう。
「その人に何かお礼がしたくて、新しいお菓子に挑戦するつもりなんです」
そう言うと、簡単なレシピや焼き方のコツなどを、親切に教えてくれた。
彼女に何度もお礼を言ってから、急いで学園寮に戻った。
焼きたてのパンをもらったので、手早くスープを作り、今日買ってきたフルーツを切って、夕食にした。
いつかこんな食事も食べてほしいと思うが、まだそこまで望んではいけないだろう。
(それに、せっかく試験だけ受ければ良いようにしてくださったのだから、勉強もきちんと頑張らないと)
夕食の片付けをしたあとは、教科書を開き、眠くなるまで勉強を続けた。
翌朝、さっそく購入したうさぎの焼き型を使ってお菓子を作ってみることにした。作るのは、先ほど町で教えてもらった簡単な焼き菓子だ。
朝食として、焼き上がったばかりのそれをひとつ食べてみる。
見た目よりも重量感があって、紅茶と合いそうだ。休憩室には茶器セットもあるので、茶葉も持ち込むことにした。
心配なのは、リゼットが好んでいる紅茶は町で購入していることもあり、あまり高級なものではないことだ。それをエクトルに出しても大丈夫だろうか。
少し迷った挙句、リゼットは制服に着替える前に寮の中にある店まで行き、そこで一番小さい紅茶を買った。いつもと比べるとかなり高かったが、これなら大丈夫だろう。
それから急いで身支度を整えて、学園に向かう。
図書室に来てみたが、エクトルはまだ来ていない様子だ。落ち着かない様子で教科書を開いていると、やがてアーチボルドに付き添われたエクトルが現れた。
あまり体調が良くなさそうだと、一目でわかった。
思わず立ち上がって手を伸ばして、彼の身体を支える。
少し体温が低いようだ。
父も体調が悪い日は、こんな様子だったと思い出してしまい、思わず温めるように両手で包み込む。
アーチボルドは、エクトルに気遣わしげに声を掛けている。
「王城に戻られなくてもよろしいですか?」
「ああ。ここの方が静かでいい」
「承知しました。また後ほど伺います。リゼット様。もし何かございましたら、図書室の司書を通じて王城にご連絡ください」
司書は奥の部屋で静かにしていることが多いが、声をかければすぐに答えてくれるだろう。
「はい、わかりました」
リゼットが頷くと、アーチボルドは少し安心した様子で、図書室を出ていく。
彼を見送ったあと、リゼットはエクトルの手を握ったまま、その奥にある休憩室に連れて行った。
ソファに座らせてから、休憩室のカーテンをきっちりと閉める。
それからエクトルの隣に座って、そっと様子を伺った。
たしかに体調はあまり良くなさそうだが、以前のように険しい顔をしていない。
あれこれ世話を焼くよりも、今は静かにしていた方がいいだろうと、リゼットはただ隣に座っていた。
カーテンの合間から、帯状の光が射し込む。
床に写り込んだそれがきらきらと光っているのを、何となく眺めていると、エクトルが声を掛けてきた。
「リゼットの父は、病気だったのか?」
「いえ」
突然の話題にも驚くことなく、静かに首を振る。
「病気というわけではありませんでした。私も幼かったので詳しい話を聞くことはできませんでしたが、ある日突然倒れてしまい、それから身体が弱ってしまって……。お医者様は、過労ではないかと」
「突然か。どんな症状だったのか、聞いてもかまわないだろうか」
「はい、もちろんです。父の様子は……」
エクトルの意図もわからないまま、リゼットは思い出せる限りのことを話した。
父はある日突然、外出先で倒れて、数日間、屋敷に戻ってこられなかった。
意識がなく、下手に動かすこともできなかったと聞いている。
それからようやく屋敷に戻ってきて、話を聞いてからずっと待機していた医師が、父を診察してくれた。
それによると、明確に悪い箇所はなかったが、身体がとても弱っていたらしい。
実際にそれから父は、体調を崩しがちになってしまった。
頻繁に眩暈がして、意識を失って倒れることもあった。
眩しい光の中にいると頭痛がして、たまに目が見えにくくなると言っていた。
体調の悪い日は顔色が青白く、体温が低くなる。
そして食事ができなくなり、薬も効かなくなって、父はどんどん弱っていった。
(そして、最後は……)
さすがに苦しみぬいた父の最後は話せずに、リゼットは口を噤んだ。
こうしてあらためて話してみると、エクトルの症状は父とまったく同じだ。
彼もまた、このままでは父と同じようになってしまうのではないか。そう思うと、怖くて仕方がなかった。
「それで、亡くなったあとの君の後見人は?」
「叔父、です。異母妹の後見人でもあります」
叔父や異母妹の話はあまりしたくなかったが、答えないわけにはいかない。
「……そうか」
リゼットの話を聞いたエクトルは、そう呟いたきり、黙り込んでしまう。
何かを深く考え込んでいるようで、リゼットは声を掛けることもできず、ただ隣に座っていた。
「あの、エクトル様。少し休まれた方が」
けれど、さすがにそれが長く続くと心配になる。
思い切って声を掛けると、エクトルは素直に頷いた。
「ああ、そうするよ」
ソファに寄りかかり、目を閉じたエクトルを、リゼットは守るようにずっと付き添っていた。
静かな時間が過ぎていく。
本を読もうかと思って開いてみたけれど、エクトルの様子が気になって、なかなか内容が頭に入らない。
エクトルは表情も穏やかで、心配なさそうだ。
本を閉じて、リゼットはそのまま彼の様子を見守っていた。
だがさすがに昼を過ぎてしまい、そろそろ勉強をしなくてはと思う。
その前に、軽く昼食をとっておいた方が良いかもしれない。
喉が渇いたこともあり、リゼットは紅茶を淹れようと、静かに立ち上がった。
休憩室にある茶器を使い、紅茶を淹れていく。
ほとんど人がいない図書室なのに、備品かきちんと管理されているのは、エクトルがよく滞在しているからだろう。
いつもの紅茶とは違う、良い香りが部屋の中を漂う。
すっかり慣れた手つきで紅茶を淹れたリゼットは、エクトルが目を覚ましていることに気が付いた。まだ少しぼんやりとした様子の彼に、リゼットは淹れたばかりの紅茶を差し出した。
「よろしかったら、どうぞ」
「……ああ、ありがとう」
少し休んだからか、顔色も良くなっている。
リゼットの淹れた紅茶も受け入れてくれた。奮発して良い茶葉を買ってよかったと、ひそかに思う。




