20
まったく相手にされていない様子に、高揚した様子で見守っていた人たちも動揺していた。
対応を命じられた護衛騎士は、レオンスに向き直った。
「マリーゼとは、そちらのご令嬢でしょうか」
「……その通りだ。オフレ公爵令嬢だぞ。それが、こんなに怯えている。何をした?」
「殿下。私はただ、自分の仕事をしただけです」
淡々と言葉を綴る護衛騎士に、レオンスは苛立ちを募らせている。
「仕事だと?」
「はい。ゼフィール王太子殿下のご命令ですので」
「……あいつは何者だ」
ゼフィールの名前を聞いた途端、少しだけ怯んだが、これ以上マリーゼの前で臆したところを見せたくなかったのだろう。
忌々しそうに言ったレオンスに、護衛騎士はあくまで淡々と答える。
「ゼフィール王太子殿下のご友人です」
「友人だと?」
ただの友人を、王太子の護衛騎士で守らせるはずがない。
けれどレオンスにはそれがわからなかったようで、嘲笑うような顔をした。
「兄上も酔狂だな。マリーゼ、あんな奴らに関わることはない。君は優しいから、何か忠告しようとしたのだろう?」
「……は、はい。お姉さまに騙されているのかもしれないと思って」
エクトルもリゼットから奪う予定だったなど、レオンスに言えるはずもない。
マリーゼは少し視線を彷徨わせていたが、レオンスの言葉に同意して頷いた。
「だが、あのような輩に関わる必要はない。はぐれ者同士で、せいぜい仲良くすれば良いのだ」
レオンスはエクトルを下に見ることで、相手にされなかったことを帳消しにしたようだ。
「……そう、ですね」
だがマリーゼはややぼんやりとした様子で、まだエクトルが去った方向を見つめている。自分が相手にされなかったことが、信じられないのだろう。
いつまでもエクトルの方向を見つめるマリーゼの手を、レオンスは自分の方に引き寄せた。
「行くぞ」
「は、はい」
マリーゼは我に返った様子で、レオンスに付き従い、この場を立ち去って行った。
ふたりが立ち去ったあと、それを見守っていた人たちも、物足りないような顔をしながらも、それぞれの教室に向かう。
リゼットも教室に行くつもりだったが、さすがにこの後は行きにくい。どうするかしばらく迷ったが、そのまま図書室に戻ることにした。
すると、ちょうどエクトルを送り届けた先ほどの護衛騎士が、図書室から出るところだった。彼はリゼットを見ると、表情を緩ませる。
「エクトル様をよろしくお願いします」
「は、はい」
そう言われて慌てて頷くと、彼は会釈をして、そのまま立ち去る。
思わず図書室に来てしまったが、このままここで過ごすか、それとも教室に戻るかまだ迷っていた。
けれど今の会話は中にも聞こえただろうし、このまま立ち去るのも不自然だと、リゼットは図書室に入る。
エクトルは本棚を見つめ、本を選んでいる様子だった。気配を感じたのか振り返り、少し心配そうな顔をする。
「今日は早いな。また何かあったのか?」
そう声をかけられて、リゼットは彼と出会った当初の頃を思い出した。
最初の頃は図書室に入ろうとしただけで、エクトルは不機嫌そうな顔をしていた。
人と関わることが嫌いな彼にとって、何度も図書室の様子を伺うリゼットの存在は、さぞ煩わしいものだったに違いない。
けれど倒れた彼を助けてから、少しずつその関係性が変わってきた。
リゼットがゼフィールの命令で動いていることもあるだろうが、傍にいることを許してくれる。
それどころか、今では逆にこうして心配してくれるようになった。
それが何だか嬉しくて、思わず表情を緩ませた。
「いえ、私は大丈夫です。あの、先ほどはマリーゼがご迷惑をお掛けして、申し訳ございませんでした」
そう謝罪すると、エクトルはそのことを思い出したのか、中庭のある方向を振り返る。
「ああ、そうだったな。何が目的だったのかわからないが、碌なことは考えてなさそうだ」
「私の味方を奪いたいのだと思います。そう言われたことがありましたから」
「……なるほど。そういう意図か」
エクトルは、不快そうに目を細める。
「あの自作自演を目撃しているのに、どうして俺が自分の味方になると思ったのか、理解に苦しむな」
「……本当に、申し訳ございません。私もそれを見ていたので、教室に行きにくくて、図書室に来てしまいました」
「君に怒っているわけではない。もし授業を受けたくないのなら、ここで勉強をすればいい。試験さえ合格すれば、出席率など関係がなかったはずだ」
「授業に参加しなくてもいいのですか?」
「ああ、ゼフィールもほとんど授業には出ていなかったらしい」
おそらく彼の場合は、忙しくて出席する暇もなかったのだろう。王太子は数年前から、国王の補佐として政務に携わっていると聞いている。
さすがにリゼットに、ゼフィールと同じことはできないだろう。
それでも一年間の授業でわかったことは、ほとんどの生徒たちは必要なことはもう家庭教師から学び終えていて、ここでは人脈作りなどの社交に力を入れている者が多いことだ。
基礎的なことは一年生の授業で学び終えてしまい、二年生となると、自習でも何とかなりそうな感じではある。
「そうですね。ひとりで勉強するのは少し大変かもしれませんが、ここの方が、静かに勉強ができそうです」
「わからないことがあれば、何でも聞くといい」
エクトルもそう言ってくれたので、リゼットはこれからも、ここで勉強すると決めた。
教室で悪意に晒されるくらいなら、ひとりで勉強をした方がいい。
さっそく本を読むエクトルの隣で、リセットは教科書を広げた。
何度も読み、わからないことはあとで調べるために、メモをしておく。
そうしているうちにエクトルがそれを覗き込み、わからない箇所を丁寧に教えてくれた。
彼の説明は、不特定多数に向けて授業をする教師よりもわかりやすい。
夢中になって勉強をしていると、いつの間にか昼休みになっていたようだ。たまに本を借りに来る生徒もいる。リゼットは一旦教科書を片付けた。
頭を使ったせいか、お腹もすいていた。
徹夜で作ったクッキーのことを思い出す。
「私は休憩室に行きますが、エクトル様はどうなさいますか?」
「……そうだな。俺も、少し休むことにする」
何度か提案しているうちに、昼食こそ食べていないものの、こうして一緒に休憩してくれるようになった。
今日もそう答えたエクトルとふたりで、休憩室に移動する。
エクトルは、そのままソファに寄りかかって目を閉じた。
リゼットは荷物の中から手作りのクッキーを取り出して、そっと広げてみる。
(こうして見ると、少し焦げているかも。でも、良い匂い)
歪んだ形のクッキーをひとつ手に取り、口に入れる。
思っていたよりも固い。焼き過ぎたのかもしれない。
それでも初めて作ったクッキーは、形こそ歪だが、甘くておいしい。
夢中になって食べていると、ふと気配を感じて顔を上げた。
いつの間にか傍にはエクトルがいて、リゼットの手元を覗き込んでいる。
「これは何だ?」
「……ええと」
自分で作ったものだからクッキーだと理解して食べているが、何も知らないエクトルから見れば、何だかわからないのも無理はない。まさか彼が興味を持つとは思わなかったので堂々と広げていたが、急に恥ずかしくなる。
「失敗してしまったクッキー、です。勿体ないので食べていました」
「……クッキー。リゼットが作ったのか?」
「はい」
そう答えると、以前、お菓子造りの本を借りていたことを思い出したのか、エクトルは納得したように頷いた。
「甘い匂いがする」
「はい、お菓子ですから。でも、本当はもっと綺麗で可愛らしい形なんです。これも、実はうさぎの形で」
「……うさぎ?」
不思議そうにクッキーを眺めていたエクトルだったが、やがて満足したようで、クッキーから目を離した。
「貴族の令嬢が、料理に興味を持つなんて珍しいな」
「そうですね。やってみると、案外楽しくて」
本当は、メイドがひとりもいないので自分でやるしかなかった。でもそれをエクトルに話したくなくて、リゼットは趣味だと明るく告げる。




