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メイド長から給金まで渡されたが、労働に対する正当な報酬だと思ってもらっておいた。いざというときのために、しっかりと貯めている。
(それにしても、服を着替えたくらいで、誰も私に気が付かないなんて……)
制服という、個性がなくなるものを着ていることもあるだろうが、あの屋敷の人間がどれだけ自分に関心がないのか、はっきりとわかった。
さすがに叔父や義母、マリーゼにはわかってしまうだろうから、昼から夜まではリゼットとして、古びた部屋でじっとしていた。
この屋敷では、何もかもマリーゼのものである。
だがひとつだけ、マリーゼがリゼットから奪えないものがあった。
まだ父が生きていた頃に結ばれた、このキニーダ王国の第二王子レオンスとの婚約だ。
この婚約は王命であり、いかに後見人である叔父であっても、勝手に解消することはできない。
亡き両親が、リゼットに遺してくれたもの。
マリーゼに取り上げられない、唯一のものだ。
第二王子レオンスは、金色の髪に緑色の瞳をした、美しい容姿の王子だった。
いずれはリゼットと結婚して、このオフレ公爵を継ぐ予定だと聞いていた。
しかし子どもの頃からレオンスは、とても我儘だった。彼の母親は側妃で、国王がその側妃に甘かったせいでもあるのだろう。
おとなしいリゼットとの相性は、あまり良いとは言えなかった。
婚約を結ばれる前の、顔合わせの日。
まだ五歳くらいだったと思う。
彼はおとなしいリゼットを見ると、不快そうにこう言ったのだ。
「こんなのが、僕の相手なのか?」
そのときはさすがに、同席していた国王陛下に叱られていたが、リゼットはまだ幼いながらも、自分が彼に拒絶されていることを理解した。
声も出さずに静かに涙を零すリゼットを見て、レオンスは少しだけきまり悪そうに謝ってくれた。
その謝罪があったから、リゼットはまだレオンスは叔父たちよりはましだと思っている。
こうして父が亡くなってから五年が経過し、リゼットは十五歳になった。
この日も早朝から掃除をして、メイド服のまま食堂に向かい、料理人が作ってくれた食事を食べてから、裏庭の手入れをしている。
ここは、生前の父が母との思い出をよく語ってくれた場所である。
政務で疲れた父を癒そうと、ここには母が自ら植えた花がたくさん咲いていたらしい。
そんな花を眺めながら、色々な話をしたと、父は懐かしそうに話してくれた。
でもそんな裏庭も、今は誰も寄り付かず、雑草だらけになっている。
せめて少しでも綺麗にしようと頑張ってみたが、なかなか進まない。
そのうち、とうとう雨が降ってきてしまったので、部屋に戻ることにした。
(こんなに雨が降ったら、また雑草が伸びてしまうわね)
翌日になっても雨は降り続け、朝になったというのに、屋敷の中はどこか薄暗い。
次第に激しくなった雨が、窓を叩く。
「お姉さまって、本当に陰気ね」
昼が過ぎて部屋に戻り、いつものように静かに過ごしていると、急に異母妹のマリーゼがリゼットの部屋を訪れた。
そしてまるでこの雨がリゼットのせいだと言わんばかりに、憎々しげにそう言う。そんな悪意のある言葉を聞き流して、リゼットはマリーゼの背後に視線を向けた。
マリーゼに付き添っているメイドたちは全員、見知らぬ顔だった。
(叔父様は、また新しいメイドを雇ったのね)
全員黒髪で、スタイルの良い美人ばかりだ。あんなに何人も同じような人を雇って、間違えたりしないのだろうか。
マリーゼの専属メイドたちはとくに叔父のお気に入りのようで、清掃のような業務をすることも、使用人たちの食堂に来ることもない。だから、メイドとして働いているリゼットの姿は知らないのだろう。
そんなことをぼんやりと考えているリゼットに、マリーゼは苛立ちを募らせる。
「お姉さまのせいで気分が悪いわ」
それならば、わざわざ狭い自分の部屋に立ち寄らなければいい。
そう言いたいが、言ってしまえば叔父にきつく叱られてしまうことはわかっている。だから無言を貫くしかなかった。
理不尽だとは思うが、今は耐えるしかない。
あと三年経過して十八歳になれば、リゼットは成人する。
そうすれば叔父はリゼットの後見人から外れ、この屋敷から出ていく予定である。
そう思っても心が晴れないのは、義母と異母妹の存在があるからだ。
父が亡くなってからやってきた義母は、当然のことながら父と結婚しているわけではない。だからこの家に関しては何の権利もないが、父の娘だという異母妹は別だ。
叔父は異母妹の後見人でもあり、その異母妹は、リゼットよりも一歳年下だと聞いている。
もしリゼットが成人しても、今のままだと叔父は、マリーゼのためだと言ってこの屋敷に留まる可能性が高いだろう。
一歳年下のマリーゼが成人するまでは、あと四年だ。
(でも私が成人すれば、レオンス様と結婚することができるわ)
我儘なレオンスとの結婚には、また別の不安がある。
でも長年の婚約者であるレオンスは、結婚すればこのオフレ公爵家に婿入りする予定である。
さすがに叔父も、王子が継ぐ家を好き勝手にすることはできない。
リゼットが結婚すれば、領地にある別宅に、義母と異母妹を連れて移動することも考えられる。
そうなれば叔父や義母、異母妹から、解放される。
その日が来ることを、ずっと待ち望んでいた。