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それからリゼットは、エクトルを彼が探していた資料室に案内した。
学園の地図を何度も見ていたので場所は覚えていたが、ここに来るのは初めてだ。
図書室とは違い、学園長の許可がないと入室できないらしいが、エクトルはゼフィールを通して許可をもらい、事前に部屋の鍵も入手していたようだ。
エクトルが中に入り、本を探している間、リゼットは資料室の前で待っていた。借りる本は決まっていたらしく、すぐに戻ってきた彼と一緒に、また図書室に戻る。
さっそく持ってきた本を開いているエクトルの傍で、リゼットは、これからどうしたらいいか迷っていた。
傍にいても良いと言ってくれたが、どの程度の距離でいればいいかわからない。
今まで通り離れた場所にいれば良いのか、それとも視界に入る程度でも構わないのか。
戸惑っているリゼットに気が付いたのか、エクトルが顔を上げた。
「どうした?」
不思議そうに問いかけられて、正直に告げる。
「あの、私はどこに……」
距離感に悩んでいるのだと、エクトルはすぐに気が付いてくれた。
「ああ、ここでかまわない」
視線で示されたのは、隣の机だった。
広い机とはいえ、すぐ隣にいることを許してもらえるとは思わなかった。
「はい」
だがここなら、エクトルの体調が悪くなってもすぐにわかるだろう。リゼットは隣の席に座り、自分も本を広げた。
ページを捲る音だけが響く静かな空間は、とても心地よい。
いつしか時間も忘れて、リゼットは本に読み耽っていた。
ふと気が付けばもう昼休みの時間で、リゼットはエクトルに断りを入れて休憩室に移動した。彼は昼食を食べないのか気になったが、そこまで踏み込むことを、エクトルは望まないだろう。
少し形の歪んだサンドイッチに、今朝のことを思い出す。
リゼットがエクトルと立ち去ったあと、ふたりはどうしていたのだろう。
きっとレオンスはリゼットを罵り、マリーゼはそれを、表向きは悲しそうに、申し訳なさそうに聞くのだろう。
その様子を想像してみても、もう胸は痛まなかった。
それは、ゼフィールとエクトルのお陰だろう。
自分を嫌う人たちに時間を使って心を消費するよりも、ゼフィールやエクトルのような、必要としてくれる人たちのためになることがしたい。
リゼットはそう思っている。
早々に食事を終え、図書室に戻ると、エクトルは先ほどと同じ場所で本を読んでいた。リゼットが戻ってきた気配に顔を上げたが、少し疲れたように見えて、思わず声を掛けた。
「あの。少し、休まれた方がよろしいのでは……」
声に出してしまってから、差し出がましい言葉だったかもしれないと後悔した。
ゼフィールがリゼットに望んだのは、傍にいることだけだ。
だがエクトルがリゼットの言動を不快に思えば、それも難しくなってしまう。
考え込むリゼットを見て、エクトルが苦笑する。
「俺は、そんなに気難しいように見えるのか」
「い、いえ。その……」
「いや、初めて会ったときのことを考えれば、仕方のないことだ。だが、気遣ってくれた言葉を不快に思うほど、愚かではない。……いや、あれでは信じられないのも無理はないか」
初めてリゼットと言葉を交わしたときのことを思い出したのか、複雑そうな顔をするエクトルに、リゼットは思わず表情を緩ませた。
体調が悪く、意識がなくなっただけでも動揺するだろうに、見知らぬ人間に抱えられていたら、驚くのも無理はない。
しかもゼフィールがわざわざ、エクトルは人嫌いだと告げたくらいだ。よほど信用した人間でなければ、傍に置かない人なのだろう。
「では、少し休んでくださいますか?」
そんなエクトルが、リゼットには傍にいても良いと言ってくれたのだ。
体調に関することなら、忠告してもかまわないのではないか。そう思ったリゼットは、さっそくそう言ってみた。
「ああ、そうだな。ここは休んだ方がよさそうだ」
予想通り、エクトルは承知してくれた。
休憩室に向かう彼を見送り、リゼットは教科書を取り出す。授業を受けなかった分、ここでしっかり勉強しておかなくてはならない。
勉強に集中していると、エクトルが戻ってくるよりも先に、護衛騎士が来たようだ。
いつの間にか、放課後になっていたらしい。
今日はアーチボルドが迎えに来たようで、彼はリゼットを見ると表情を和らげる。
リゼットの座っていた位置で、エクトルとはうまくやっているとわかったのだろう。
「エクトル様は……」
「少しお疲れのご様子でしたので、休憩室で休んでいただきました」
そう告げると、アーチボルドは驚いたようにリゼットを見つめた。
「私たちが何を言っても、聞き入れてくださらなかったのです。ですが、無理はなさらないでください。学生なのですから、学業優先でよろしいのですよ」
どうやらエクトルの傍にいるために授業に参加せず、ここで勉強をしていると思われたらしい。
リゼットは慌てて否定した。
「いえ、今日は少し私の事情があって、授業に参加しなかっただけです。明日からはきちんと参加します」
「そうですか」
そう告げると、彼は安堵したように表情を緩ませた。




