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そんなリゼットも、エクトルから目を離せずにいた。
いつも気怠そうな様子をしていたからわからなかったが、彼の雰囲気はこの国の王太子であるゼフィールと似ている。
存在するだけで周囲を威圧していた。
ひとつだけ違うとしたら、ゼフィールが動とするならば、エクトルは静の雰囲気を持っている。
普段が物静かな分、その怒りはゼフィールよりも恐ろしいかもしれない。
エクトルは思わず後退したレオンスを一瞥すると、地面に倒れたままのリゼットに手を差し伸べた。
「立てるか?」
「……は、はい」
思わずその手を取ってしまったが、袖口から覗く手首は細く、やはり父を彷彿させる。リゼットは、なるべく彼に負担を掛けないように自力で立ち上がる。
そんなリゼットにエクトルは僅かに苦笑しながらも、その手を離さなかった。
「ありがとうございました。あの、どうしてこちらに?」
彼が図書室以外の場所にいることが珍しくて、リゼットは状況も忘れて思わずそう問いかける。
「資料室を探していた。もし知っていたら案内してくれないか?」
「はい、もちろんです」
ちらりとレオンスを見ると、彼はリゼットではなく、エクトルを見つめている。
マリーゼも同じだ。
邪魔をされたことに怒りを覚えているというよりも、この状況を理解できずに困惑しているように見える。
ならば、今のうちに立ち去った方がいいだろう。
それに、もうすぐ授業が始まってしまうが、髪も乱れているし制服も汚れてしまった。授業にこのまま参加するのは無理だろうと、リゼットは彼の申し出に頷いた。
「こちらです」
エクトルを案内して、この場から立ち去る。
離れて様子を伺っていた周囲の人たちも、エクトルの容貌で、彼がユーア帝国の人間かもしれないと思ったのだろう。下手に関わったら危険だと思ったのか、レオンスの側近候補も、マリーゼの友人たちも、誰も口を出そうとしなかった。
誰にも咎められないまま、学園の中に入る。
そのまま資料室に案内しようとしたリゼットだったが、エクトルが険しい顔をしていることが気になって、足を止める。
「あの……。少し休まれますか?」
そっと尋ねると、エクトルはしばらく沈黙した。
「……ああ」
どうするか迷っていた様子だったが、やがて静かに頷いた。
リゼットはエクトルを連れて、資料室ではなくいつもの図書室に向かった。そこから休憩室に移動する。ここならば、ゆっくりと休めるだろう。
いつもひとりで昼食を食べている場所だが、ソファは広くて柔らかく、カーテンもきっちり閉められるようになっているので、休むには良い場所だ。それなりに広いので、ゆっくり休めるだろう。
けれどここを、他の生徒が使っているのを見たことはなかった。
この図書室は、教室からかなり離れている。ほとんどの生徒は、学年問わず交流できる談話室か、中庭を選ぶのだろう。
リゼットは先に休憩室に入り、カーテンをすべて閉める。
エクトルはそんなリゼットの行動に何か言いたそうだったが、何も言わずにソファに座った。すぐには倒れ込まなかったので、早めに休んでよかったのかもしれないと、ほっとする。
「先ほどは助けていただいて、ありがとうございました」
そんな彼に丁寧に頭を下げて、助けてもらったお礼を告げた。
彼が通りかかってくれなかったら、どうなっていたかわからない。
レオンスはたしかに我儘で少し横暴なところはあるが、あんなに乱暴な人だとは思わなかった。地面に押し付けられ、髪を掴まれた恐怖を思い出して、組み合わせた両手が震えた。
「これで、先日の借りは返した」
そんなリゼットに、エクトルはぽつりとそう言う。
彼が倒れ、その介抱したときのことを言っているのだろう。
ただリゼットはその場に居合わせ、当たり前のことをしただけだ。目の前で具合の悪そうな人がいたら、放っておく人の方が少ないと思う。
けれどそれを彼が「貸し」だと思っているのなら、素直に頷いた方がいい。
「はい。本当にありがとうございました」
だから余計な言葉は口にせず、もう一度頭を下げた。
「……あれは誰だ?」
リゼットが素直にエクトルの言葉を受け入れたからか、彼はソファに寄りかかったまま、そう問いかける。
「私の、異母妹です」
ゼフィールと親しいのならば、当然レオンスのことは知っているだろう。
だからマリーゼのことだと悟り、リゼットはそう告げた。
「異母妹か。あれは、いつもあんなことを?」
あんなことが、どれを指す言葉なのかわからず、リゼットはしばらく沈黙した。
リゼットの婚約者であるレオンスに、庇われていることだろうか。
迷いに気付いたのか、エクトルはさらに言葉を重ねた。
「自分でわざと転んでおいて、泣き出したことだ。馬車に隠れて向こう側から見えなかったようだが、こちら側から見れば、あれが自演だとすぐにわかった」
冤罪で責められているのがわかったから、エクトルは助けてくれたのだろう。
彼と言葉を交わしたのは、倒れたときに助けた以来だが、不正や冤罪を嫌う公正な人のようだ。
自演であんなことをしたマリーゼを、不快に思っている様子だった。
「異母妹は私を嫌っているので、あんなことをしたのだと思います」
どこまで話したらいいのかわからず、ただマリーゼの行動の理由だけを告げた。
よく知らない他人の家庭の事情を語られても、困るだけだ。
「そうか。だがゼフィールの弟が、あれほど乱暴だとは思わなかった。さすがにあれは見過ごせない。今日のことは、ゼフィールにも告げておく」
「……はい」
リゼットは静かに頷いた。
自分の境遇を知られてしまうのは恥ずかしいが、エクトルが言っていたように、マリーゼを守るためだったとしても、レオンスの行動は行き過ぎていた。
権力を持つ立場であるだけに、このままでは配下を虐げるような人間になる可能性がある。きっとゼフィールもそう考えるだろう。
ただ今回の主犯とも言えるマリーゼに関しては、エクトルは介入するつもりはないようだ。
異母妹だと告げたので、家庭内で解決する問題だと思ったのだろう。
話はここで終わりのようで、エクトルは沈黙した。




