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 朝早くから起き、身支度を整えて屋敷の清掃をする。

 それから使用人用の食堂で朝食をとり、誰も立ち入らない荒れ果てた裏庭の手入れに取りかかる。

 それが、オフレ公爵令嬢のリゼットの日常だった。

 もちろん着ているものは公爵令嬢らしい高級なドレスではなく、メイド服だ。

 どうしてリゼットがこんな生活をしているのかというと、生きるためだ。

 父は穏やかで優しく、亡くなった母をいつまでも愛していて、その思い出をいつもリゼットに語ってくれた。

 だからリゼットも、まだ物心がつかないうちに亡くなってしまった母のことを、よく知っている。

 けれどそんな父も五年前に亡くなってしまい、当時まだ十歳だったリゼットの後見人として、叔父がこの屋敷に移り住んできたのだ。

 最初は、祖父が後見人になるという話もあったようだ。

 だが祖父は重い病気を患っていて、あまり無理はできない身体だった。

 それに叔父は独身である。

 兄の遺児であるリゼットを、自分の娘だと思って大切にする。

(そう誓って、おじいさまを説得したと聞いたけれど……)

 当然のことながら、リゼットが成人すれば、オフレ公爵家の爵位も財産もすべてリゼットに返すと、祖父に約束したようだ。

 その言葉通りに、祖父が生きている間は、両親を恋しがって泣くリゼットに、叔父はとても優しかった。

 ドレスや装飾品なども、少し過剰なくらい用意してくれた。

 優しい叔父との生活に、リゼットも父を失った悲しみから、少しずつ立ち直りかけていた。

 けれど平穏に暮らせたのも、一年に満たない短い時間だった。

(おじいさまが亡くなってから、すべてが変わってしまった)

 リゼットは裏庭で雑草を引き抜きながら、当時のことを思い出す。

 長年の闘病の末に、祖父がとうとう亡くなると、リゼットを取り巻く環境は激変した。

 祖父の葬儀の翌日に、叔父は父の愛人だったという女性と、ひとつ年下の異母妹(いもうと)を連れてきたのだ。

 父に愛人がいたなんて、まったく知らなかった。

 あれほど母を愛し、大切にしていたのに、自分とそう年の変わらない異母妹がいたなんて信じられなかった。

 けれど叔父は間違いなく父の子だと言う。

 異母妹は、マリーゼという名前だった。

 母と同じ黒髪に父と同じ緑色の瞳をしているリゼットと違って、淡い茶色の髪に青い瞳をした、小柄でとても可愛らしい少女である。

 青い瞳は父と同じ。

 そして淡い茶色の髪は、亡くなった祖父や叔父と同じものだ。

 叔父が言うには、父は愛人と異母妹にまったく援助をしていなかったらしく、マリーゼはとても苦労して育ったらしい。

 だからそんな父の分も、マリーゼには親切にしなければならない。叔父はリゼットにそう言い聞かせた。

 父から放置されていた、かわいそうな異母妹のマリーゼ。

 そんなマリーゼとは違って父に愛されて育ったリゼットは、マリーゼに償わなくてはならないのだと。

 それから、リゼットの人生は少しずつ狂い始めた。

 叔父が、リゼットのために用意してくれたはずのたくさんのドレスや装飾品は、すべてマリーゼのものになった。

 たしかに叔父が用意してくれたドレスは可愛らしいものが多く、年齢に比べると大人びた顔立ちのリゼットには、あまり似合わない。

 けれど幼い顔立ちのマリーゼにはとても良く似合っていた。

(きっと最初から、マリーゼのために仕立てたものだったのね)

 今では、リゼットにもそれがわかる。

 こうしてリゼットは、初めて会った父の愛人を義母(はは)と呼ぶことを強要され、ほとんど年の変わらない異母妹を優先させることを約束させられた。

 今思えば、叔父の言い分はかなり理不尽なものだ。

 リゼットは、父に愛人がいたことさえ知らなかったのだから、マリーゼが苦労して育ったとしても、それはリゼットのせいではない。

 だが、そのうちドレスだけではなく、リゼットのものはすべて、マリーゼのものとなった。

 新しい義母の部屋は、リゼットの母の部屋だった場所だ。

 父は母が亡くなったあとも、その部屋を大切にしていた。リゼットにさえ、立ち入りを許さないほどだった。けれど義母はその部屋を、すべて自分好みに改装してしまったのだ。

 内装まで変えられ、すっかり元の面影をなくしていた。

 そんな母の部屋を見て、ここを義母が使うのが嫌だと思う気持ちも消えた。

 さらに、義母から離れた場所は嫌だと泣くマリーゼのために、リゼットは部屋を交換させられた。リゼットの部屋は、母の部屋のすぐ隣だったのだ。

 リゼットに宛がわれた新しい部屋は、陽当たりの悪い暗い場所だった。

 ここは、もともとは倉庫である。

 他の部屋は空いていないと叔父は言っていたが、そんなはずはない。リゼットには客間も使わせたくないのだろう。

 この部屋に移動する際に、父から買ってもらった装飾品も、すべてマリーゼに取り上げられた。

(お父様の形見だから返してほしいと訴えたけれど、無駄だった)

 本当の父に何ひとつ買ってもらったことのないマリーゼが哀れだと思わないのかと、逆にリゼットが叱られてしまった。

 それだけではない。

 母から買ってもらった人形も。

 祖父母から贈られたネックレスも。

 すべてマリーゼに奪われた。

 父の代から仕えてくれた執事やメイドはいつの間にか解雇され、気が付けば、義母とマリーゼを優先させる者ばかり残っていた。

 この屋敷の主であり、正当な後継者であるはずのリゼットは、いつも肩身の狭い思いをしていた。

 食事さえも、家族と一緒に食べたことがない。

 五年前は子どもだったリゼットも、叔父と義母がこの公爵家を乗っ取ったのだろうな、ということは何となく理解していた。

 けれど、祖父も亡くなってしまった今、それを誰にも訴えることはできなかった。

 父が亡くなってしまったのだから、仕方がない。

 いつしか、そんなふうに思うようになった。

 もしリゼットが公爵家に生まれなかったら、両親が亡くなった時点で孤児院にでも入れられていただろう。

 それを考えれば、まだ恵まれているのかもしれない。

 けれど義母やマリーゼの暴言、そしてメイド達の侮った態度は受け流すことはできたが、さすがに食事を抜かれてしまったことは堪えた。

 だから辞めたメイドの服を着て、使用人たちの食堂に向かってみたら、あっさりと食事を出してもらえた。

 この屋敷ではメイドの出入りも激しく、人の少ない時間帯を選んで制服さえきちんと着ていれば、怪しまれることはなかった。

 叔父が新しく雇うメイドは、黒髪の若い女性が多かった。

 しかもリゼットは他のメイドたちのように黒髪で、屋敷の者たちも、また新しいメイドだとしか思わなかったのだろう。

 それに叔父は、リゼットに新しいドレスを仕立ててくれるようなこともなかったから、すっかりと丈が短くなって、古びてしまったものばかり。

 メイド服は、そんな古びたドレスよりもよほど着心地が良くて、暖かい。

 それから何度かメイド服で食事をしているうちに、いつの間か仕事を頼まれるようになった。

 どうせ部屋に戻ってもやることがないからと、そのまま仕事をしているうちに、メイドのひとりとして数えられてしまったらしい。


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