プロローグ
――二重詠唱。もとい二重魔術。
そんな人間離れしすぎたものをとある魔術師が発明したのは、つい最近のこと。
評論家(仮)曰く、〝そいつは化け物だ〟と。
実際、魔術を一つ発動させるには相当の時間と労力が必要になる。
定められた詠唱を唱え、脳に魔法陣を構築。
その魔法陣に体内にある魔力を込め、体外に複製。そして放出。
……といった、面倒な一定の動作を行わなければならない。
詠唱にも時間がかかる故、二重に詠唱などしようと思えば要する時間も二倍――どころではない。
脳に同時に二つの魔法陣を構築しなければならないため、常人であれば思考が追い付かず、超過熱気する。
二重にするなど、以ての外。
二重詠唱をこなして重ねて発動する魔術のことを二重魔術と呼ぶ。
それができるのは相当の天才か、あるいは――ただの脳筋か。
いや、脳筋は脳も筋肉で形成されているからできるはずがないか。
つまり、使えるのは正真正銘の天才のみ。
魔術を使用する時は体内の魔力の流れが急激に盛んになるため、体を壊してしまう人が多い。
それを乗り越えられるかが魔術を発動することができるかの分かれ目になる。
それら諸々を加味して考えると、二重魔術の発動を可能にした者がいかに天才で秀才で鬼才で奇才なのかがわかる。
きっと成し遂げたのは長年魔術について研究してきたベテランだろう。
誰しもが思った。思わない人はいなかった。疑う人もまた、存在しなかった。
魔術の習得に年齢は関係ない。
関係はないのだが、その威力には大きく関係してくる要素がある。
それは、経験。それと練度。
当然ながら歳を重ねるごとに魔術を使用する回数が増えて改良することも可能だし、脳も成長する。
成長するピークが決められているのだとしても、普段の生活で得た知識を活用することはできる。思考力も判断力も伸びる。
だから、魔術を習得したばかりの子供と、長年魔術を使用してきたベテランでは威力は変わると言われている。
――もしも知られている事実がそうであろうとも、真実は異なる場合が存在する。
幾万分の一の確率かもしれない。けれど、この世界に〝異端〟やら〝特異〟やらと呼ばれる者が存在する以上、完全に否定することは不可能に限りなく近い。
例えば、こんな感じの……ね?
◇
「――水流弾」
脳に浮かび重なった二つの魔法陣が、少女の伸ばした手の先に反映される。
同時に、水の弾が形成し始める。
差し込む陽光が水の中で屈折し、キラリと輝く。
一定の大きさまで大きくなった水の弾はぽよんと可愛く揺れ、一瞬の間を置いた後に動く。
発射! 前にぱぁぁん!
……じゃなくて、下に緩やかに、少しずつ流れる。ほんの少し捻った蛇口から出る流水のように。
それは優しく落ちた後、下にあった花を通り過ぎて、微妙に飛び出た葉に当たり、傾かせる。
小さな花壇に入った柔らかい土を濡らす。
「ふぅ、やっぱり疲れるな~」
水の弾が完全に消滅し、一つため息を零す。
世間的には二重詠唱は凄いことらしい。けれど、習得するのに時間はあまり要さなかった。
本人はそう思っているかもしれないが、こればかりは世間が正しい。一種の革命と言っても過言ではないのだから。
こんなにも立派なことを成し遂げたのは、たった一人の、年端も行かない少女――フィアナ・フローレシアだった。
これでさえ幼少期の、正真正銘の化け物だった。