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私の可愛い妹(予定)が婚約破棄されたですって!?

作者: 緋水晶

私、オリヴィア・グランディールにはとても可愛がっている行儀見習いがいる。

彼女はミリア・コンフィールという名前の、水色の髪に夕焼けのような茜の瞳が印象的な、あまり知られていないが我が侯爵家の遠縁にあたる子爵家の次女だ。

いつも少し垂れ気味の目を細めて2歳年上の私を「お姉様」と呼んで慕ってくれるとても可愛い子で、いつか本当の妹にするべく現在あれこれ画策している最中である。

だって目が合っただけで「ひっ…!」と小さく悲鳴を上げられてしまうような鋭すぎる赤い目と老婆のように真っ白な髪を持つ嫌われ者の私に懐いてくれるような子なんてこの先絶対に現れないと思うもの、逃せるわけがないでしょう?

彼女にはもう2歳年上の(つまり私と同い年の)婚約者がいるから兄か弟に嫁がせることはできないけれど、とっても優秀だから普通に養子として迎えるよう父に進言している。

そしてもうすぐその願いは叶うのだ。

だから今日はミリアにその報告をしようと思ってお茶に誘ったのに、肝心のミリアはなんだかいつもと様子が違っていた。

どこかぼーっとしていて覇気がなく、ふとした拍子に窓の外を眺めては重いため息を吐いている。

「ミリア、どうかしたのかしら?」

遠くない未来に妹になるミリアのそんな様子を見過ごせず、空になったカップをソーサーに戻しながら不自然ではない程度に私が切り出せば、それでもぼーっとしていたミリアは「へぁっ!?」と声を上げて肩を揺らした。

ああ可愛い。

「えっと、どうかって…」

「貴女さっきからカップを持ったままずうっと外を眺めてため息を吐いていたのだけれど、無意識かしら?」

困ったように曖昧に笑うミリアに、彼女が持っている手付かずの紅茶のカップを示せば、ミリアは慌てて飲み干してガチャンと音を立ててソーサーへ戻した。

「あ、す、すみません…」

そうやってしまってから自分の無作法に気がついたミリアは素直に謝る。

礼儀作法的には0点だが可愛さならいつでも100点、いや200点はあるミリアは平均すればいつでも100点満点だ、問題はない。

「いいのよ。それよりも貴女の憂いの原因を聞いてもいいかしら?」

私は彼女が話しやすいように努めて穏やかに微笑んで見せる。

まるで御伽噺に出てくる意地悪な貴族子女のような顔と揶揄される私の顔でどれほどの効果があるかはわからないが、それでもミリアは幾分肩の力が抜けたように小さく息を吐くと、

「実は私、昨日ダンテ様に婚約を破棄されたんです」

お恥ずかしい話ですがと頬に手を当てながら再び曖昧な顔で笑った。

あまり見ることのない彼女の憂いを帯びた微笑みは、それはそれで大変愛らしいのだが今はそれを堪能している場合ではない。

「な……、」

バキリと音がする。

次いでパラパラと軽いものが私の足元の床に散らばる音と気配がする。

けれどそんなことはどうでもいい。

私が折り砕いた扇の末路など些末なことだ。

「なんですってぇー!!?」

そんなことよりも、私の可愛い妹(予定)に偉そうに婚約破棄を言い渡した奴の方が大問題なのだから。



ミリアの婚約者であるダンティリオン・ワイズルードは私と同じ侯爵家の三男坊で現在17歳である。

だが兄2人は亡くなった前妻の子供で彼だけが後妻の子であり、優秀な兄2人とは違って彼は実に凡庸な男だった。

それは母親の違いのせいなどではなく、50歳を目前に生まれた末の息子を侯爵が甘やかしまくった結果であることは有名で、伯爵家から嫁いで来た後妻の侯爵夫人はむしろ肩身が狭そうにしているらしい。

そんな彼の口癖は「何故侯爵家の人間である僕がそんなことをしなければならない?」である。

この時点で彼についてはお察しだが、それでもまだ侯爵令息として恥ずかしくない知性を持つ人間であれば誰も文句はつけなかっただろう。

しかしはっきり言って彼はその辺の子供の方がまだ賢いのではないかという程度の学力しか持っていなかった。

それでも学院で落第せずなんとかやっていられるのは、偏にミリアのお陰だった。

というか大変不本意な話ではあるが、私が彼女と出会えたのはある意味この男が愚かだったお陰なのだ。

私とミリアが出会った時、私とあの男は10歳でミリアは8歳だった。

『将来この子に当家で預かっている伯爵領を継がせたいと思っているので、この子の婚約者を行儀見習いとして受け入れてもらえないか』

ワイズルード侯爵がそう言いながら連れて来たのがミリアで、その時は遠縁だとは知らなかったが私はすぐに彼女の可愛さに陥落した。

今でももちろん可愛いのだが、小さい時のミリアは本当に天使みたいで私はすっかり彼女が気に入っていた。

けれど自分が陰でなんと噂されているのかは知っていて、もしこんな可愛い子にまで同じように言われたらと思うと怖くて、初めのうちは彼女を遠ざけていた。

だからある日、外で勉強しようと庭のガゼボで宿題をしていた私の元に来た彼女に「あの、そこ違ってますよ…」と声をかけられた時には死ぬほど驚いた。

そのガゼボは屋敷からは死角になる上に鬱蒼とした木々に囲まれていて、家を訪れる不特定多数の人々の目から逃げていた私だけが知る(わけでは当然ないのだが当時の私はそう思っていた)隠れ家だったから。

「え?」と驚きの声を上げる私に「ここ…、式に使う値が逆です」と当該箇所を丁寧に教えてくれた時の彼女の顔はきっと一生忘れられない。

そこで私が見たのは今まで家族や侯爵家で働く使用人以外からは向けられたことのない、初めて見る他人の好意に満ちた温かな笑顔だった。

「どうして…」

私が怖くないの?

そう思って呟いた言葉は、しかし彼女には別の意味で伝わった。

「あ、えっと、よくダンテ様の宿題を代わりにやってて、そこはつい最近やったところだから覚えていたんです」

『どうして私なんかにそんな顔を向けてくれるの?』ではなく、『どうして間違いがわかったの?』という意味で。

まあ確かに普通に考えればそっちを先に思いつくかもしれない。

だがそれに対する答えは驚くべきものだった。

「は?え?ダンテ様って…」

「あ、婚約者です、一応」

「それは知っているけれど、そうではなくて」

「はい?」

「彼、私と同い年で、貴女より2つ年上よね?」

まさか2歳も年上の婚約者の宿題を、この愛らしい少女が代行していたというのか。

今年初等部に入学したばかりの彼女が、3年生の私たちがやっている宿題を押し付けられている、と。

しかも彼女はそれがバレない程度には授業内容を理解している、と?

そんな、そんなまさか。

「ああ、そうですね」

けれど彼女は肯定を返す。

自分がどれだけ理不尽なことをさせられているのか理解していないかのようにあっさりと。

「でもわからないところはちゃんとお兄様に聞きながらやっていましたから、多分大丈夫かと」

問題はそこではないのに。

「あれ、待って、貴女のお兄様って」

「えっと、マックミラーです。マックミラー・コンフィール。学年が違うからご存知ないかもしれませんが」

「いや知ってるわよ!知らないわけないわ」

それでも彼女が自分だけの力ではないと取り繕うように名前を出した彼女の兄の存在のお陰でその謎は一気に解決した。

彼女の兄であるマックミラーは天才と名高い子供だったから。

どのくらい賢いかと言えば、5歳にして我が国の貿易事情を激変させるほどにだ。

『どうして有り余るほどの海洋資源を内陸国へ売らないのか』

彼が発したその疑問は当初子供ゆえの無垢な質問と思われたが、『魚が日持ちしないなら天日で干してから運べば腐らない』『海岸に落ちている貝殻だって内陸国の人にとっては物珍しいもののはず』『え?海藻って食べないの?美味しいのに?』など、とても子供とは思えないような発想が次から次へと出てきて、最終的には彼を指南役に新たに干物産業が興った。

やがてそれはコンフィール商会の名で広まり、今では我が国の輸出の半分を担っていると聞く。

それが今から3年前の話だ。

だから彼は今年8歳である。

なにせミリアの双子の兄だもの。

つまりあの兄にしてこの妹あり、ミリアは彼ほどではないが天才の部類に入るということだ。

それならダンティリオンの代わりに宿題をこなせていたとしても不思議ではない。

不思議ではないが、だからといって彼女の貴重な時間を奪っていい理由にはならないと思う。

「ええと、そうではなくて」

私は納得したものの自分では解決できない問題をひとまず横に置いておくことにして、取り急ぎ答えを知りたい方の問題の解決を図った。

「貴女、私が怖くないの?」

何故彼女が私にそんな顔を向けてくれるのか、その理由が知りたかった。

「ええ!?全然怖いとかないですけど、えっと、なんでですか?」

けれど問われたミリアは逆に何故そんなことを思っていたのだと言わんばかりに目を見開いて、胸の前で手をぶんぶんと振っている。

それが誤魔化しや嘘でないことは素直な彼女の反応から理解できた。

でもまだ信じられない、信じられるだけの経験がない。

そう思って口を閉ざした私にミリアは、

「私、むしろオリヴィア様にずっと憧れていたんです。お顔もですけど、何より所作がとても綺麗だから、いつもお姫様みたいだって思ってました」

赤く染まった頬を隠すように手で押さえながら、思ってもみなかった言葉を告げたのだった。



こうして私とミリアは打ち解け、すぐに仲良くなった。

それこそ妹にして縁を繋いでおきたいと思う程に。

なのに、そんな私の可愛いミリアに、あの馬鹿は何と言ったと言った?

婚約破棄だと?

一体ミリアのどこに不満があるというのだろう。

逆なら不満はそれこそ山のようにあると思うのだけれど。

「何故そんなことになったのか、理由は聞いたの?」

砕けた扇を侍女が片付け終わるのも待てず私がミリアに問えば、彼女はきょとんとした顔で頷きを返す。

「えっと、よくわからないんですが、『学院を卒業して伯爵家を継ぐ自分に子爵家の次女など相応しくない』と仰ってました」

「は?」

そしてその愛らしい唇から語られた意味のわからない主張に自然と声が低くなる。

「何かしらそのふざけた理由。ダンティリオン如きが。あの男にミリアが相応しくないのではなくて、あの男がミリアに相応しくないのよ!!」

私は怒りに息を荒くしながら「ケイト、おかわり!」と扇を片付け終えたばかりの侍女にカップを突き出した。

私がミリアを溺愛していることを知っているケイトは「承知しました」と苦笑しながらも新しいお茶を淹れてくれ、ついでにミリアのカップにもおかわりを注いだ。

そんなケイトに「すみません、ありがとうございます」とちゃんとお礼を言えるようないい子が、どうして婚約破棄なんて不名誉を…。

「でも、私はそれほど怒ってもいなければ悲しんでもいないんですよ?」

腹立たしい気持ちのまま勢いよく紅茶を飲んで、思ったよりも熱かったそれに舌を軽く火傷してしまう。

そのことで少しだけ冷静になった私は思いがけないミリアの言葉にゆっくりと問いを返す。

「それは、何故かしら?」

もちろんミリアがあの男を愛していないことは知っている。

だから悲しくはないのだろうが、怒りがない理由はなんなのか。

もしかしたらミリアは優し過ぎるから、理不尽な目に遭い過ぎているから、怒るということをやめてしまったのではないかと思えた。

「だって、これでようやく彼から解放されたんですもの。これからはお姉様と一緒にいられる時間が増えるじゃないですか。それなら私は喜んで受け入れます」

「……え?」

なのに聞こえてきた言葉は予想外のもので私は首を傾げる。

彼女は私と一緒にいる時間が増えるから、それが嬉しいから、あの男に対する怒りがないのだと言った。

え、そういうことよね?

私の自惚れた間違いじゃないわよね??

なにそれ、めっちゃ嬉しい。

「愛していない方に時間を割くより、大好きなお姉様と一緒にいたいですもの。全然問題ございませんわ」

そう言ってにっこりと笑うミリアの顔は本当に晴れやかで、この件に関して心配は無用なのだとわかった。

しかしそうなるとあの憂いの原因は一体何だろうか。

私が再び問えば「ああ」とまた困ったような顔になったミリアは外に視線を転じる。

「その、私の家は子爵家ですので、やはり侯爵家から婚約破棄をされたとなりますと、外聞が悪いというか、お父様やお兄様にご迷惑をかけてしまうと思って…」

「そんなことは」

「いえ、ダンテ様はともかく彼のお兄様たちはとても優秀な方々ですから、この件で侯爵家から目を付けられてしまえば我が家はどうなってしまうのかと…」

不安に目を潤ませるミリアは静かに目を伏せる。

その姿は幼気で、傍に駆け寄って抱きしめてあげたくなるような姿だ。

というかそう思った時点ですでに私の体は動いていて、私はミリアを抱きしめたまま呟いた。

「ねえミリア」

「はい」

「あのお2人があの男のためにコンフィール子爵家を迫害するかもという話だけど」

「……はい」

「本当にそんなこと、あると思っていて?」

私の言葉にミリアの肩が小さく跳ねる。

離れていたら気づかなかったかもしれないが、今はぴったりくっついているので僅かな振動でも感じ取れた。

「いえ、でも、もしかしたらと」

「あり得ないわ」

私がそう断言できる理由は、言わなくてもわかっているだろう。

答えが「いえ」「でも」「もしかしたら」の時点でわかっていると言っているようなものだし。

「世の中には万が一ということもありますし」

「…その言葉って万に一つくらいしかないほどあり得ないという意味で使うのではなかったかしら?」

「はわぁっ!?」

私の腕の中で頭を抱えるミリアについ笑みがこぼれる。

頭ではそうとわかっていても不安になってしまうのはきっと、

「そんなに心配しなくても貴女のお家は大丈夫よ」

大好きな家族が心配だからに他ならないだろう。

だってミリアはとっても優しいいい子だから。

「コンフィール子爵家とあの男を天秤にかけてあの男を選ぶような人はこの世でワイズルード侯爵だけよ」

私はミリアの肩を力強く抱く。

そんな風にあり得ない『もしも』に怯えなくてもいいのだと。

心配する必要は何もないのだと言い聞かせるように。

「将来どちらかが宰相になるだろうと噂されているような優秀なお2人ならなおさらコンフィール家を敵に回すような暴挙はしないでしょう」

「でも、弟ですよ?」

「弟だからよ。身内のために国益を捨てるような人が宰相になれると思って?」

「それは…」

それでもまだミリアは憂い顔だ。

ないと思ってはいても安心するには一押し足りないらしい。

ならばとっておきの切り札をここで使おう。

元々今日はそのつもりでミリアを招いたのだから。

「ねぇミリア、貴女に報告があるの」

「ほう、こく?」

ミリアを抱きしめていた腕を外し、代わりに肩を手で掴む。

「ええ」

きょとんとしたその瞳を真っ直ぐに見て私は言った。

「貴女ね、そう遠くない内にミリア・コンフィールからミリア・グランディールになるの」

「……ほぇ?」

「貴女は子爵令嬢じゃなく、侯爵令嬢になって、私の妹になるのよ」

「……えええええ!!?」

ポカンとした顔から一転、大きな目をさらに大きくまんまるにしてミリアは叫ぶ。

サプライズが成功した私はその大きな目から目を逸らさず、さらに言った。

「そうなればこの家の力は貴女の力になる。同じ侯爵家でもワイズルードとグランディール、どちらが大きいと思っていて?」

驚きに塗りつぶされたその瞳に、もう不安は微塵も残っていなかった。



その夜、私はお父様の元を訪れていた。

ミリアの不安は解消されたとして、それでも許せないことがある。

「ダンティリオンの奴、私の可愛いミリアに婚約破棄を突き付けたんですって?」

「ああ、今日コンフィール子爵から聞いたよ。養子の話がまとまったところで申し訳ないと」

早速お父様に本題を切り出せばお父様も心得たもので渋面で腕組みをし、さてどうしてやろうかという顔で私を見た。

「それで、ワイズルード侯爵はなんと?」

「それがねぇ」

お父様は渋面を深めて大きく息を吐く。

どうやらお父様はコンフィール子爵に話を聞いた後にワイズルード侯爵と直接話しをしたようだ。

「彼曰く『いくら侯爵家で行儀見習いをしていても所詮は子爵家出身、やはり伯爵夫人は荷が重いのではないか』とね。全く、我が家で行儀見習いをしたくらいでは足りないとでも言いたいのだろうが、あいつの目は17年間曇ったままだな」

「そうですわね」

バキィッ、と音が響く。

先ほどその音がした時は私が扇を折ったが、今はお父様がペンを折っていた。

腹に据えかねる思いは私もお父様も変わりない。

私はミリアを猫可愛がりしているがそれはお父様も同じ、というよりグランディール侯爵家の全員が同じだ。

可愛くて気立てがよく優しくて控えめなあの子はこの世の全てに愛されていると言っても過言ではない。

その唯一の例外がよりにもよって婚約者となった理由は、運命の女神があの子に嫉妬したからではないのかと本気で思っている。

「恐らくミリアはこの件について怒らないだろう。あの子は優しいし、何より婚約者に興味がないからな」

「ええ、本人もそう言っていましたわ」

先ほどとは違いこの場にはメイドも侍従も執事も秘書もいない。

だから折ったペンを自分で片付けるしかないお父様は漏れたインクで指を黒くしながらハンカチにペンの破片を集めている。

その顔がミリアを思い出した時だけふと緩むが、すぐに渋面に戻った。

「だが、だからと言ってこのまま終わらせてはあの子が可哀想だ。もうすぐ本当の娘になるが、すでにあの子は我が家の一員。家族を侮辱されたまま終わらせるほど、我が家は腑抜けの集団ではない」

お父様は集め終わったペンの破片を丁寧に包みながら視線を私に移す。

「どうする?私が片を付けてもいいが」

お前はどうしたい?と私に訊ねてくれる。

言葉などなくてもその目は私に委ねてもいいと言ってくれている。

ならば、

「ふふ、あの男の処罰にお忙しいお父様のお手を煩わせてはミリアが気にしてしまうでしょう」

可愛い妹に恥をかかせた男への処罰を任せてもらえるというのであれば、返事などとうに決まっている。

「私1人で十分ですわ」

にっこりと笑って見せた私に、「ではお願いしようかな」とお父様も笑顔を返した。

斯くして私はダンティリオンに『ささやかなお仕置き』をすることにしたのだった。



「ミリアアアァァ!!」

それから1週間も経たないうちに私と共に歩く登校中のミリアの背に怒号が投げられる。

どぶ川のせせらぎの方がまだ美しいのではないかと思える汚いその音の主はバタバタとみっともない音を立てて私たちを追い越し、行き先を塞ぐように立ちはだかった。

「あらワイズルード様、おはようございます」

通学時間の今、校舎に向かう道を塞いでは邪魔だろうと思ったのか、ミリアはすぐに道の端に避けて挨拶をする。

気遣い、礼儀とも文句なしの100点である。

それに引き換えこの男は、

「なにがおはようなものか!お前、何だあの噂は!!」

礼儀がどうとか以前の問題だった。

これが自分と同じ侯爵家の子息かと思うと頭痛、眩暈、吐き気を催しそうだ。

「……噂?」

けれどミリアがいればそんなものどこかへ吹き飛んでしまう。

ああ、今日も変わらずとても可愛いわ。

「とぼけるな!どうせお前が触れ回ったのだろう!?」

「???」

続けられるダンティリオンの言葉にミリアは目を白黒させる。

当然だろう、その噂を流したのは他ならぬ私であるし、ミリアはむしろそんな噂の存在すら知らないはずだ。

しかし登校中の他の生徒の大半はその噂のことを知っていて、こちらを興味深げな目で見ていた。

「僕がお前がいないと宿題一つできない男と触れ回っておきながらその態度…、やはりお前に伯爵夫人など到底無理だな!!」

そのことに気がついているのかいないのか、恐らく後者であるダンティリオンはミリアに指を突き付ける。

彼の言葉に周りの人間が吹き出しているが、そちらにも気がついていないようだ。

「えっと…?」

「テストの度に僕に勉強を教えているだと!?僕がお前の復習に付き合ってやっていただけだろう!」

全く心当たりのないミリアはこの人は何を言っているんだろうという顔で首を傾げるが、それが火に油を注ぐことになり、ダンティリオンはますます声を荒げる。

顔など真っ赤に染まってまるで茹でたタコかカニのようだが、口の端に唾液の泡ができている(汚い)からカニでいいか。

「僕の優しさを仇で返しやがって、この大嘘つきめが!!」

集まった全員に聞こえるほどの大声で叫んで「ふー、ふー」と肩で息をする。

そんなダンティリオンにミリアが「あの…」と躊躇いがちに切り出した言葉は、

「ワイズルード様が宿題を一人ではできないのは、ただの事実では…?」

戸惑い気味な口調とは裏腹にダンティリオンの言を真っ向から否定するものだった。

周囲からはくすくすと忍び笑いが漏れ始める。

「というか、テスト勉強にしても私がワイズルード様の学年の勉強の復習をして何の意味があるのでしょう?私のテストではそんな問題出ませんのに」

「んなっ!?」

「第一、貴方様が私に優しかったことなど一度もないのですけれど…」

ミリアが心底困惑したようにそう言った瞬間。

「だろうな」

「あの方いつも偉そうに叫んでいるだけですもの」

「どちらが正しいのかなど一目瞭然だと思うぞ」

「よくもまあ恥ずかしげもなく出て来られたものですわ」

「厚顔無恥とはこのことだ」

「嘘つきはどちらかしら」

など、それまで見ているだけだった周囲の生徒が一斉に口を開いた。

本人は上手く隠せていると思っていたようだが、彼がミリアの世話になっていたことなど同学年では公然の秘密のようなもの(もちろん私がさり気なく言いふらした)だったし、噂が広がってから彼のことを知った者たちも彼の行動を見ていればさもありなんと納得していた。

その結果の声である、一つ一つの音は大きくなかったが何十人という人間が一斉に口を開いたものだから、その音でダンティリオンにも周囲の状況が伝わった。

「なっ、なんだお前ら!見世物じゃないぞ!!?」

ようやく自分が往来で恥を晒していることに気がついて慌てふためく。

だが自分でこの場を選んだのだから周りにいる人たちの方が巻き込まれた側である。

尤もダンティリオンは単にミリアの姿が目に入ったから後先考えずに突撃してきただけであろう。

「勝手に騒ぎだしたのは貴方でしょう。皆様にはむしろお騒がせしてしまったことを謝罪なさるべきではなくて?」

そして多分彼にはミリアの横にいた私でさえも見えていなかったのだ。

そう思っていたから今まで黙っていたが、もう頃合いだと私は口を開く。

さあ、楽しい公開処刑の始まりだ。

「な、何故グランディール嬢がここに!?」

私が声をかけるとダンティリオンは目に見えて狼狽え始めた。

同じ侯爵家の子息と令嬢とはいえ家格はこちらの方が上だということくらいはこの馬鹿でも理解している。

格上の侯爵家の令嬢の前でとんだ醜態を晒したのだから、彼としては大変によろしくない状況だ。

だが問題はそこではない。

「何故って貴方のお家がミリアをグランディール家に預けたのでしょう?同じ家にいる者同士なのに一緒に登校してくるのがそんなに不思議かしら?」

「そんな、たかが子爵家の娘と貴女が共に行動するなど」

「お黙りなさい!」

何とか取り繕うとするダンティリオンの言葉を断ち切り、私はミリアの手を取る。

「侯爵家の人間が子爵家を貶めるような発言をするなど、恥を知りなさい!!それにミリアはもう子爵令嬢ではありません」

そのミリアの手を私の手に重ね、それを見せつけるように前に出し、

「昨日正式に手続きが済みました。ミリアはグランディール家の養子となり、私の妹になりました」

もうミリアはお前が罵詈雑言を浴びせていい相手ではなくなったのだと高らかに宣言した。

つまりダンティリオンの問題は、知らなかったとはいえ家格が上の令嬢に暴言を吐いたことなのだ。

例え彼が元婚約者でも、ミリアが元子爵令嬢でも、今この時ミリアとダンティリオンは何の関係もないただの侯爵令嬢と侯爵令息なのだから。

「さて、それを踏まえ先ほどから今までの貴方の態度について、何か言うべきことはありませんか?」

「言う…べき…?」

「ええ」

私は敢えて顎を上げて彼を見下ろしながら笑う。

御伽噺の悪役貴族にしか見えないと言われる顔で。

「ワイズルード家の人間である貴方はグランディール家の人間となったミリアを冤罪で罵倒したのですよ?しかもこんな衆人環視の中で!間違いなく名誉毀損にあたるでしょう。このまま終わるのであれば貴方の言動は我がグランディール家に対して隔意があるものとして父に報告させていただきます」

口も挟ませず、有無も言わせず、言いたいことを一方的に告げる。

今まで彼がミリアにしてきたように親の権力を笠に着て、従わざるを得なくする。

方法としては最低だろうし、元々悪い私の評判はさらに悪くなるだろう。

けれど可愛い妹のためなら構わない。

ミリアのために、私はいっそ華々しいほどの悪役になってやる。

「それでよろしいんですね?」

心が決まれば覚悟も決まる。

覚悟が決まれば合わせて顔もそれらしくなる。

今の私は自他ともに悪役にしか見えないと認める表情をしているはずだ。

「あ、ま、まって…」

「なにかしら?聞こえないわ」

「ま、待って、ください!!謝罪を!どうか!!」

ダンティリオンは顔を真っ青にして地べたに這いつくばる。

うん、中々にいい眺めだ。

「大変申し訳ございませんでした。知らぬこととはいえ、グランディール家の方にご無礼を」

「私に謝ってどうするのかしら?相手が違っていてよ」

「はっ…」

ダンティリオンはそのまま私に向かって頭を下げ謝罪の言葉を口にした。

けれど私は待ったをかける。

謝ってほしい相手は私ではないのだから。

勿論彼が私に頭を下げることはできてもミリアに頭を下げることを屈辱と考えてわざとそうしていることは理解した上での言葉だ。

だって今の私は悪役だもの、相手が一番嫌だと思うことをさせることに何の抵抗もないわ。

「しかし…」

「あら、やはり我が家に隔意がおありかしら?それならそれで構わないわ」

「いえ、決してそのようなことは」

「ならば早くなさい。授業が始まってしまうわよ?」

私は苛立たし気に腕を組んで再度ダンティリオンを見下ろすように睨む。

当事者のはずのミリアは口を挟めずオロオロと私の顔を伺っていた。

何もそこまでしなくてもと言いたげな目だが、私は絶対にこの男を許せない。

散々ミリアを便利に使っておきながら不名誉な婚約破棄を一方的に突きつけてきた男など、今この場で私が叩き落としてくれる。

二度と表に上がって来れないほどに深い、奈落の底目掛けてね。


この後数分かけてダンティリオンはミリアに謝罪をした。

噂の犯人だと冤罪をかけたこと、ミリアを嘘つき呼ばわりしたこと。

ついでに今まで2歳も年下のミリアに勉強面で面倒を見てもらっていたこと、尽くしてくれていたミリアに対して一方的に婚約破棄をしたこと、その際ミリアには伯爵夫人など務まらないという見当違いな評価をくだしたこと、なにより今までミリアの貴重な時間を奪い続けてきたこと、その全てに対する謝罪をさせた。

優しいミリアは「お姉様、もうその辺で大丈夫です」「授業に遅れてしまいます」と私を止めたが、結局予鈴が鳴るギリギリまで思いつく限りの謝罪をさせた。

それでもまだ全然足りないけれど。


さて、この件で一つ私の予想が外れたことがある。

それは私へ対する周囲の評価だ。

悪役としてさらに多くの人から忌避されると思っていたのに、実際は真逆の結果になったのだ。

「義理の妹のためにあそこまでやってくれる義姉など中々いないぞ」

「苛烈な物言いに凛とした立ち姿と鋭い瞳、怖いはずなのに女神のように美しかった」

「かと思えば妹を見る目は慈愛に満ちていて聖女のようだったし」

「一度罵られてみたい…」

「是非お姉様とお呼びしたいわ!」

などなど、中には危ない嗜好に目覚めていそうな者もいたが、私の悪役ぶりは概ね好意的に受け入れられていた。

何故?

理由はわからないが、まあいい方に働いた分にはいいだろう。

それにミリアの名誉が守れたなら他のことなど些末なことだ。

「お姉様、こちらにいらしたんですね」

久々に訪れたミリアと仲良くなれたガゼボで一人物思いに耽っていると、薔薇の陰からミリアがひょっこりと顔を出した。

あちこち私を探していたらしく、スカートには何枚か葉っぱがついている。

「あら、何か約束していたかしら?」

私はミリアを手招きしてスカートの葉を落とす。

気がついていなかったらしいミリアは「あ、えへへ…」と照れていた。

「いえ、ただ今日はお天気がいいので、テラスで一緒にお茶でもどうかなと思って」

はにかんだ笑顔で上目遣い (立っているミリアの方が座っている私よりも頭が高い位置にあるのにどうやって?)に「ダメでしょうか?」とミリアに訊ねられて「ダメだ」と言える人間がいたら見てみたい。

「もちろんいいわよ」

少なくとも私はそうではないので二つ返事で了承し、「やったあ!」と満面の笑みを浮かべるミリアと手を繋いでガゼボを後にした。

「あ、そうだ」

「はい?」

「貴女、お兄様のご友人のメージェ様、レイメージェ様と結婚する気はあるかしら?」

「……はい!?」

広い庭にミリアの素っ頓狂な悲鳴が響く。

まだお父様以外には言っていないが、私の企みはまだ終わってはいなかった。

私の兄であるオーリエにはレイメージェ様という友人がいる。

彼は公爵家の長男で私の婚約者であるこの国の第一王子の従兄弟にあたるのだが、聡明な上に穏やかな気性で私にも好意的に接してくれる数少ない人間なのだ。

「メージェ様には婚約者がいらっしゃったんだけれど、1年前に病気でお亡くなりになってしまったの。けれど彼は長男だからどうしても跡継ぎが必要でね。もしよければミリアを紹介したいわ」

「え、ええええ!?」

だから是非可愛いミリアのことを頼みたいと先日打診し、彼も「いい加減向き合わなければいけない時期だと思っていた」と返事をくれたので、すでに明後日に顔合わせの予定は組まれている。

後はミリアを連れて行けば万事上手くいくだろう。

なんたってミリアは世界に愛されたこの世で一番かわいい女の子なのだから。

私の笑い声とミリアの驚く声が微かに届く誰もいなくなったガゼボにさあっと秋風が吹き込むが、その冷たさに身を震わせる者はもういない。

かつてそこにあった孤独な少女の姿は、もう陽が差す温かなテラスに移っていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] オリヴィア嬢の独白がうるさくて楽しいwww お父さんがペン折る下りが個人的なツボに入った。 [気になる点] コンフィール家はミリアをとられることに思うところは無いのか? [一言] →身内の…
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