14 失恋はよくあること
その日の夜、ヴァエティ家に帰ってきた兄キースは激しく怒った。
「殿下がレイナに会いに来ただって!?」
普段は穏やかな兄の怒りの形相は、なかなか迫力がある。レイナはこれ以上キースを怒らせないように、慎重に言葉を選びながらアルベルトが婚約破棄を撤回したがっていることを伝えた。
「まったく殿下は、何も分かっていない! 今のレイナは、唯一、魔王と交渉ができる人物なんだぞ! レイナがどれだけ我が国の重要な役割を担っていると思っているんだ!? 事と次第では、魔王領との全面戦争もあり得るのに!」
キースが言うには、王族や貴族たちは当初『四大公爵の神獣がいる限り、魔王など恐れる必要はない』と侮っていたが、その頼りの神獣たちが、魔王のことを『我が主』と呼んだために、今はどう魔王の機嫌を取ってこの国を存続させるかという議題に変わったそうだ。
「我が国に勝ち目はない。だとしても、魔王領の属国になるか同盟国になるかで大きな違いはでるだろうから、議題が可決したらレイナに魔王様と交渉してもらうことになる」
「それは構いませんが、それならなおさら殿下を止めるべきでは?」
「殿下は、陛下から謹慎を言い渡されていたのだが、隙を見て逃げだしここに来たようだ。二度とこのようなことが起きないように、殿下もその護衛も今は離宮で監禁され見張られているよ」
「これ以上、何も起こらなければ良いのですが……」
レイナはココが言っていた『あの男たち、何かやらかしそうだな』という言葉が気になっていた。不安に思っているとレイナの内側からココの声が聞こえてくる。
――レイナ、ワレに案がある。一度、我が主に会ってほしい。
「私はかまいませんが、お忙しい魔王様にはご迷惑では?」
――好意を寄せている異性から会いたいと言われて迷惑に思う者はいない。
「そういうものですか? 私は恋愛をしたことがないのでよく分かりません」
そう答えつつも、アルベルトが押しかけて来たときから、レイナも『魔王様に会いたい』と思っていたので会えるのなら会いたい。
――ワレから主に話をつけておく。
そう言うとココは静かになった。何かしらの方法で魔王と連絡を取っているようだ。
キースがレイナの両肩に優しく手を置いた。
「レイナ、どこに行くにも必ずココ様に同伴してもらいなさい」
「はい」
キースはニコリと微笑んだあとに、深いため息をついた。
「それにしても、殿下にはどうやって現状を理解してもらえばいいのだろう?」
「殿下がおっしゃるには、唯一、心の底から愛した女性が私だそうです。だから、私に側にいて欲しいと、どうしても諦めきれないと」
その言葉だけ聞けば、アルベルトの想いは純愛のように聞こえる。まるでアルベルトを捨てたレイナが悪者のようだ。しかし、キースの考えは違った。
「まったく……殿下は自分に酔ってらっしゃるな。心の底から愛した相手に想いを受け入れてもらえないなんて、良くあることじゃないか」
「そうでしょうか?」
「そうだよ。それは、王族でも貴族でも庶民でも違わない。愛した相手に愛されないなんて、普通のことだよ。自分の想いを受け入れてもらったり、相思相愛になれたりすることのほうが奇跡なのだから」
キースは「レイナ、少し考えてごらんよ」と言いながら腕を組んだ。
「婚約破棄の一件で、私も殿下の女性遍歴について調べたんだ」
キースが言うには、アルベルトは複数の女生徒に『婚約者を愛していない。本当に愛しているのは君だけだ』と甘く囁いていたらしい。そのせいで、将来自分が王妃になれると思い込んでいた令嬢もいたそうだ。
「その令嬢たちからすれば、心の底から殿下を愛したのに、レイナが学園に入学したとたんに捨てられたんだよ? 殿下はたくさんの女性にしたことが、今、自分に返ってきただけなんだ。令嬢たちは、みんな傷ついて泣きながらも殿下を諦めたんだよ。それなのに、殿下はどの口でレイナに『側にいて欲しい』やら『諦めきれない』やらと言うのだろうね」
「そう言われればそうですわね」
レイナが納得すると、キースは「殿下は、自分のことを悲劇のヒーローとでも思っているのかな? まったく、ずうずうしい」と言いまたため息をついた。
「悲劇のヒーローですか……。そういえば、殿下は『王族に生まれてこの方、自由とは程遠い生活だった』とか『窮屈な幼少期を過ごした』とかも言っていましたわ」
「なるほど。だから、自分は不幸だと殿下は言いたいのかな? だったら同じような生活をしてきたレイナも男性と遊びまくってても文句は言わないってことだね」
キースの瞳には、殿下への侮蔑が見えた。
「あーあ……。どこかに殿下以外の王子は落ちていないかな? 私はああいう自分は可哀想だから何をしても良いと思い込んでいるタイプが一番嫌いなんだ。将来アレを王として担ぐなんて職務放棄をしたくなるよ。それに、私の可愛い妹に、一方的に婚約破棄を突きつけた殿下を私は一生許す気はないからね」
レイナはクスッと微笑んだ。
「お兄様、ご安心ください。殿下が王位を継承する前に、この国が魔王様の支配下に入り、この国自体が無くなっているかもしれませんわよ」
キースは「少しも笑えない。……でも、アルベルト殿下が継ぐくらいならそれもありかも。レイナがいる限り、この国がどうなろうとヴァエティ家の繁栄だけは約束されているようなものだし」と穏やかな顔に黒い笑顔を浮かべた。




