13 無理なものは無理
魔王がレイナの兄とその婚約者マリアンに挨拶に来たその日から、レイナはヴァエティ家でとても穏やかな日々を過ごしていた。
(もう王妃教育もしなくていいし、学園は新学期が始まるまでお休みだから時間はたくさんあるわね)
一度はやってみたかったダラダラゴロゴロ生活は、一日もやれば飽きてしまった。仕方がないので、神獣ココにお願いしてレイナは魔王領の勉強を始めた。
ココは『少しくらいのんびりすれば良いものを』と言ってくれたが、憧れの魔王のお役に立つには魔王領のルールを知る必要がある。
「私は魔王様のお役に立ちたいのです」
レイナがそう言うとココはニヤリと笑う。
――我が主も、『レイナのために』と、魔王領で必死に公務に励んでいるらしい。
「さすが魔王様ですわ」
ココは『二人を引き合わせたのは正解だったな。我ながら良い仕事をした』と満足そうだ。
そんなある日、ヴァエティ家のメイドの一人が慌ただしくレイナの自室に飛び込んできた。
「どうしたの?」
メイドは真っ青な顔で「で、殿下が。お嬢様の元婚約者の、王太子殿下がいらっしゃいました!」と震える声で伝えた。
「アルベルト殿下が……?」
兄キースは、今は不在だ。
(婚約破棄について文句でも言いに来たのかしら? そうだったとしても、なんの連絡もなくヴァエティ家を訪れるなんて、いくら殿下でも無礼すぎるわ)
ただ、もう来てしまった人を追い返すわけにはいかない。レイナはメイドに「殿下をゲストルームに通すように」と伝えた。
もし、今もレイナがアルベルトの婚約者だったなら、身なりを整え着飾ってアルベルト王子を笑顔で出迎えなければならないが、もうその必要はない。
レイナは身支度を整える代わりに、ココに自分を守ってほしいとお願いした。
――心得た。
ココを身に宿したレイナは、体重が増加しふくよかな身体になった。
(これはこれで可愛いのにね)
アルベルトの目には、とても醜く映るようだ。
レイナがゲストルームに入ると、アルベルトはパァと顔を輝かせたあとに、落胆の表情を浮かべた。
「……レイナ、だな?」
声のトーンが低くレイナを見る目もどこか冷たい。アルベルトの後ろでは、いつもの護衛がいつものようにレイナを睨みつけている。
(はぁ……。この人たちは、いったい何をしに来たのかしら?)
レイナが内心でため息をついていると、アルベルトが口を開いた。
「レイナ、婚約破棄を撤回したい。あれは間違いだったんだ。本当だ、俺は君を……愛している」
アルベルトはレイナから視線を逸らせてから愛の言葉を囁いた。この姿のレイナには、愛の言葉を囁けないらしい。
(魔王様だったら、私の外見なんて少しも気にしないのに……)
レイナは急に魔王に会いたくなった。そして、二度とアルベルトに会いたくないと改めて思った。
「殿下、前にもお伝えしましたが、人の美しさは儚いものです。殿下が愛している『レイナ』は、時と共にいなくなってしまいますよ」
アルベルトは悔しそうに歯をかみしめた。
「分かっている! だが、それでも私の側にいてほしいんだ! 王族に生まれてこの方、自由とは程遠い生活だった。その中で、唯一、心の底から愛したのがレイナだったんだ。私と同じような窮屈な幼少期を過ごしたレイナだったら分かるだろう!?」
アルベルトの言う通り、レイナも幼少期から王妃教育を受けていて自由などなかった。
「でも殿下は、同じようにつらい幼少期を過ごした私に『醜い』という理由だけで、卒業パーティーの場で恥をかかせようとなさいました。婚約破棄をするだけなら、何も卒業パーティーの場でやる必要はなかったのです。内々に国王様に直訴して必要な手続きを取ればよいだけのこと」
もちろん、王命で結ばれた婚約を破棄することは簡単にはいかなかっただろうが、アルベルトがそれさえしていれば、『毛嫌いしている婚約者のレイナ』と『アルベルトが愛してやまないレイナ』が同一人物だと気がつけたはずだ。
「それは……」
言い淀むアルベルトに、レイナは淡々と言葉を続けた。
「殿下は、この姿の私を皆の前で、辱めて貶めたかったのですよね?」
アルベルトは黙り込んだ。
「それに、殿下は私が学園に入学する前は、いろんな女生徒とお楽しみだったご様子。十分に自由を満喫されていたのでは?」
アルベルトの顔には羞恥のような怒りのような複雑な感情が浮かんでいる。レイナはアルベルトに卒業パーティーの場で言われた言葉を思い出していた。
『醜い姿だ』『お前の妄想癖はいったいなんなんだ!?』『吐き気がする!』『気安く俺の名を呼ぶな!』
あの場では、その言葉の一つ一つがレイナの心を深く傷つけた。レイナはアルベルトを見つめながら静かに口を開いた。
「殿下は、まだ私との未来があるとお思いですか? 妄想癖でもあるのでしょうか? 私は、貴方のように外見だけで人を見て判断するような方には吐き気がします。今後一切、私の名前を気安く呼ばないでください」
ひどく傷ついたような顔をしたアルベルトに、レイナは少しだけ微笑みかけた。
「この言葉は、全て殿下が私におっしゃったことですよ。どうですか? 愛する者に言われるとなかなかに苦しいでしょう?」
アルベルトはハッと何かに気がついたような仕草をしたあとに深く項垂れた。ようやく自分がどれだけ酷いことを言ったのか気がついたのかもしれない。
「……レイナ、すまなかった。私を愛していたのなら、もう一度だけチャンスがほしい」
アルベルトの声はとても真剣だった。
「殿下、でしたら、私は生涯ココ様を宿したまま過ごします。それでも殿下は私を愛することができますか?」
アルベルトは答えなかった。必死に答えようとしているが、できないようだ。
「殿下、この姿も私なのです。若さや美しさは一時のこと。明日にでも私は事故に会って顔に大けがをするかもしれません。病にかかるかもしれません。それは、殿下も同様です。外見の美しさだけを愛したのでは双方不幸になりますよ」
レイナは、立ち上がると、うつむいたまま動かなくなったアルベルトに背を向けた。レイナが部屋から出る寸前に「それでも私は、レイナをあきらめきれない!」というアルベルトの叫び声が聞こえたが、レイナは振り返らずにゲストルームの扉を閉めた。
自室に戻りレイナがため息をつくと、ココが語りかけてきた。
――あの男たち、何かやらかしそうだな。
「男たち……ですか?」
――ああ、この国の王子と王子の後ろにいた護衛の男だ。あの男、ずっとレイナを暗い目で見つめていたぞ。
「そうでしたか……」
レイナは、アルベルトだけではなく、護衛もきっぱりと振ったので恨まれていてもおかしくない。
「早く殿下が私のことを諦めてくだされば良いのに」
――我が主に嫁げば全ての問題はなくなるぞ。
「そうですわね……って、まだ魔王様のこと、好きか分かりません!」
――少なくとも先ほどの奴らよりかはマシだろう?
「素敵な魔王様をあんな連中と比べるなんて!? いくらココ様でも許しませんよ!」
ココはクックッと忍び笑っている。レイナは必死になっていた自分が急に恥ずかしくなってうつむいた。




