ナビゲーター
神宮寺カリナは、壁時計を見上げる。
さっきとほとんど変わりない長針に、ため息をつく。
「食べ物が無くなったから、ママちょっと、買い物してくるね」
そう言って出かけたのが、1時間ほど前。
坂の上に建つ、住宅街の中のこの家から、下ったところにあるスーパーまでは自転車で片道5分。
外出が長引けば長引くほどに、心配が募る。
もう一度、壁時計を見上げた時だった。
自転車のブレーキ音が聴こえた。
帰ってきた。
玄関に走る。
ドアが物凄い勢いで開き、母ユキナが倒れ込むように入ってきた。
両手のエコバックを置くと振り返り、鍵にチェーンを掛ける。と、同時に、
「神宮寺さん、奥さんっ!開けてください。お子さんに感染します。よく考えてくださいっ!」
ドアのすぐ外、よく通る男の声。幾人かの足音。
ユキナは、カリナを抱きしめると、
「いい。今からママの言うことをよく聞いて、覚えるのよ」
今までに見たことのない母の顔に、カリナは緊張する。
「ごめんね、カリナ。ママね、ママね・・・」
大粒の涙が、頬を伝う。
「ママ、感染しちゃったの。もう、死んじゃうの」
カリナは、信じられない状況に、戸惑った。
頭の中はパニックで、追い打ちをかけるように、ドアを叩く音。家の周りを駆け回る足音。
それでも、10歳のカリナは、次第に事の次第を理解した。
西暦2030年。初夏。
羽田空港に、1人の青年が降り立った。
どこにでもいる、その彼は、自分の荷物を探し当てると、キャスター付きの鞄を軽快な足取りで引く。
到着便は、東南アジア。
その彼の鞄にも、旅行先を暗示するステッカーが数枚、貼られていた。
トイレに入る。
鏡を見ながら、手ぐしで髪を直していた時だった。
「んっ?」
目に違和感を感じた。
近づいて、あっかんべーをしてみるその右の白目に、小さな赤い輪っかが着いていた。
ゴミかと思い、擦るも取れず、何かの病気かもと、地元の眼科医を頭の中で検索した。
トイレから出る。
吐き気がした。
俯いた。
大量の血を吐いた。
周りの人々が遠巻きに、大丈夫ですか?と尋ねる。
どうしたんだろ?思いながらその彼は、うづくまるようにしゃがみこむと、小刻みに痙攣を始めた。
騒ぎに警備員が駆けつけ、ひとりは彼に、ひとりは救急車を手配した。
取り囲むうちの女性が悲鳴をあげた。
その彼の顔が、みるみる紫になり、目は落ちくぼみ、空気の抜けた風船のように、縮んでいく。
その間、10秒。急激な水分の蒸発と肌色の変色。
次いで、露出している肌に、白い綿ボコが無数に発生しだした。
それはまるで、タンポポの綿毛のように増えると、空港内の空調の風に乗り、辺り一面、舞い始めた。
タンポポウイルスの日本初上陸だった。
「スーパーでの抜き打ち検査で、神宮寺ユキナの感染が確認されました」
あとから駆けつけてきた上官に、スーパーから連絡を受けた地元の交番の巡査が説明する。
「10歳の娘がいます。とても危険な状況です」
勢い込む巡査に、巡査部長が手で制しながら、
「最後のお別れをしているんだろう。母の愛を信じよう」
そう言って、ドアの内を伺う。
「カリナ、パパが以前から何かあったら、あなたを自分のところに安全に送り届ける、『ナビゲーター』と言う会社に連絡しなさいと言われていたの。パパに電話したら、直ぐに、『ナビゲーター』が来ると言っていたわ。だから、ママが居なくなっても、パパが守ってくれるわ」
「ママは?ママは・・・」
カリナは、しゃくり上げながら母の袖を掴んで離さない。
「タンポポウイルス。勉強したでしょ?発症するまでの数分は感染しない。綿毛が発生して、それに触れると感染する。知ってるよね?カリナは賢いから」
カリナの頭を、優しく撫でる。
「ずっとママはカリナと一緒になるの。カリナのココに」
そう言って、カリナの胸に手を当てる。
突然、ユキナは立ち上がった。
振り向くと、ドアを開ける。
同時に、倒れる。
「ママっ!」
「感染者、確保。直ちに、『移動焼却炉』へ運べっ」
ユキナの両脇を、2人の警官が持ち上げるように、走る。
その間にも、ユキナは変色し、萎んでいく。
「急げっ!」
ジープ型のパトカーに牽引されている、トレーラー上に寝かされた銀色の円筒型の後ろに、走る。
野太いレバーを押し上げ、丸い直径2メートルの蓋を開ける。
中からストレッチャーを引っ張り出し、すでに絶命しているユキナを寝かせる。
「急げっ、綿毛が」すでに顔の周辺が、白く覆われていた。
閉めろっ、着火っ。悲鳴にも似た指令。
漏れ聴こえる業火の音。
「全員、検診の為、その場で待機っ」
号令が下る。
カリナは、女性警官の腕の中にいた。
夢なら覚めて欲しい。
その一心で、目を閉じた。
寝返りを打つ。
いつもと違うベッドに違和感を覚え、カリナは目を覚ました。
仰向けになる。
知らない天井。
鼻を突く、薬品の臭い。
病院だと知れる。
ひだりてに、窓がある。
日が差している。
何時間眠ったのだろう?泣き疲れて眠ってしまったのか。
椅子に座るジーンズに白いTシャツの大人に気づいた。
文庫本を読んでいる。
ためらいながら、声を掛けた。
「あの、どなたですか?」
弾かれたように、振り返った椅子に座る大人は、色白な端正な顔つきで、一見、男女の区別がつかなかった。
「おはよう。よく寝たね。私は、ナビゲーターと言う会社から来ました。A21型アンドロイド、製品番号2046987号です」
そう言って、カリナの左手を両手で握った。
随分長い名前だな、そう思ったけど、頭が回り始めると、人間ではないんだ、製品番号なんだ、この人?人型ロボットが、パパのところに連れていってくれるんだ。
それだけの事を一気に理解した。
「よ、よろしくお願いします」
やっとそれだけ、言い切った。
医者先生が、看護師から検温の結果を聞き、いくつかの質問をカリナにした後、寝ている間にウイルス検査をして陰性だったことを伝えた。
退院した。
市立病院の大きな駐車場Dに連れていかれた。
「この車で、鹿児島のあなたのお父さん、神宮寺嘉例吉さんのところに行きます。3蜜を避けるため、公共機関は使いません」
A21型アンドロイドが説明しながら、ドアを開ける。どうぞ、とカリナに乗車を勧める。
頭をぶつけそうなほど、低いボディ。
赤いスポーツカーは2座席。カリナが乗り込むと長めのドアを閉める。
A21型アンドロイドが運転席に座る。
「2人乗りですが、車中泊もできます。キャンパーモード」
A21型アンドロイドがそう言うと、座席が自動で動き出した。背もたれが倒れ、フラットになる座席。隙間を埋めるようにソフトパッド付きのプラスチックが、床からせり上がってきた。
「凄い・・・」
カリナはトランスフォームに驚いたけど、天井は低いままか、と見あげた。
「移動中のアクシデントに備えるために、高速で移動しなければなりません。そのため、この車になりました。ご了承ください」
カリナはうなづいて、再び走行モードになったシートに座り直した。
「桜島技術研究所検索」
その設問に、
「ケンサクカンリョウ」と車が応える。
「最適な行路で移動開始」
そう言うと、赤いスポーツカーは静かに動き始めた。
A21型アンドロイドは運転しない。
もとより、自動車にハンドルが無い。
駐車場から出て、公道をしばらく走る。
高速入口、と車が伝える頃に、A21型アンドロイドは、文庫本を読み始めた。
助手席前には大きな画面があり、最初から設定されていたのか、アイドルのコンサートの映像が流れ始めた。
カリナは思わず手で口を隠す。小さな悲鳴。
「BTW(Break the world)だっ」
快適な旅になりそうだった。
高速道路に乗って数分。
カリナが映像から流れる歌を口ずさんで、振り付けも小さく真似していた。
それを見ながら、A21型アンドロイドは、後ろを振り返る。
体格的に黒いジャンプスーツを着た男と思われる、黒の大型バイクが約10メートル後ろを走っていた。
他にも数台の乗用車、トラック等、走っていたが、そのバイクが気になる様子だ。
「次のサービスエリアに行く」
「ワカリマシタ。ツギノさーびすえりあハ・・・」
アンドロイドに即答する車のAI。
ウインカーを出す。
後ろのバイクも、ついてくる。
「そのまま、本道へ戻る」
アンドロイドの指令に、AIの返事。
今度は、運転席前のダッシュボード内のモニターを見る。
ついてくるバイク。
「カリナさん、次のインターで1度、降ります。良いですか?」
訊ねられて、はい。と答える、カリナ。
「マニュアルモード」
アンドロイドがそう言うと、初め水平に、後に縦位置に移動して、ハンドルが出てきた。
前席中央からは、シフトノブが伸びてくる。
クラッチは無いから、半オートマチックトランスミッションになるか。
インターを出ると、山の中の2車線の道路を走る。
シフトダウン。加速する赤いスポーツカー。
モニターの中の黒いバイクも加速してついて来る。
少し、上り坂。
次いで、左カーブ、そして、下り坂。
車のトラクションコントロールで、タイヤが鳴ることは無く、駆け抜ける。
後ろのバイクも、挙動を立て直しながら追従する。
「アンドロイドか」
呟く、A21型アンドロイド。
人間では真似出来ないバイク制御。
その時、
「ねぇ、名前つけていい?」不意にカリナの問いかけ。
「私に、ですか?」
「そうそう。数字の名前じゃ嫌でしょ?」
A21型はシフト操作とハンドルを巧みに操りながら、カリナと話す。
「なんて言う名前ですか?」
「あのね、この子、これこれ」
カリナが助手席前のモニターに映し出されるアイドルの1人を指差しながら、
「朝草優真くんっ!」と言いながら、小さく悲鳴をあげた。照れ隠しらしい。
「わかりました。これから私は、アサクサユウマです」
そう言った途端、先の見えない左カーブを抜けて直ぐに、スピンターンを決める。
後ろから来た黒いバイクは、車を避けるべく、ガードレールに突っ込んだ。
バイクごと跳ね上がった黒い男は、森の中に落下して行った。
「よし。オートドライブモード。指定場所に行く」
AIの角張った返事。
カリナは何か大きな音がしたような気がしたが、続けてBreak the world、略して、BTWに没頭した。
キャンプ場に車は停まっていた。
「夜は国策により、全ての移動が制限されます。なので、今夜はここで1泊します」
アサクサユウマこと、A21型アンドロイドが説明する。
途中のコンビニで、お弁当と飲み物も買ってある。もちろん、カリナの分だ。
運転席前のモニターで、再度確認する。
地図を出す。東西南北に2車線道路が延びている。
もし、追っ手が来ても、逃げ道は、ある。
キャンプ場には、広い駐車場があり、今は誰もいないが、車中泊もできる。
テントを広げられる芝生の広場や、バンガロー、電気水道ガス、なんでもござれで揃っている。食料だけ持ってくれば、バーベキューセットも貸し出してくれるのだ。
駐車場には、外部電源も取れるようになっていた。
すでに赤いスポーツカーには、外部電源が繋がれていた。
車内では、カリナが食事をし、その横でユウマは、車からUSBケーブルで身体に充電をしていた。
カリナは食べながら、充電中のユウマを見ていた。
「目が青く光るのね」
「眠るのに邪魔だったら、消すこともできるよ」
ユウマはできるだけ、アイドルの浅草優真の口真似をした。
目を閉じる。
「ほんとだ。暗くなった」
カリナは当たり前のことに、笑った。
車外が闇に満たされると、カリナはユウマの手を探した。
トイレも歯磨きも、ユウマは母のように付き添ってくれた。
夜になれば、今までなら、夕ご飯を母と食べながら、その日の出来事を話して笑いあうのに、今夜は居ない。
夜はいつの間にか心に忍び込み、折り畳んでしまっていた哀しみを、広げてしまう。
横になったユウマは、カリナの手を握り、頭を撫でる。
そっと、静かに、歌う。
「ねぇ、ユウマくん」
「なに?」
「ママはどうして死んだの?」
少しの躊躇のあと、
「カリナのママはね、世界で今、猛威を奮っている、『danderaion 30(ダンデライオンサーティーン)』と言うウイルスに感染してしまったんだ。日本では、タンポポウイルスって言われてるね」
「パパはどうして、来てくれないの?」
「神宮寺かりゆしパパは、研究で忙しいみたい。それに、このタンポポウイルスは、感染してからあっという間に死んでしまうし、それにすぐ火葬しないといけない。だからパパには、感染したママの映像と検査結果を渡すことになるんだ」
今はどの家族もそうしているよ、とも伝える。
すると、
「私がママとBTWを観てたの。その時、朝草優真くんが映ってさ。その時は、まだ髪が長かったの。その顔がね」
間があった。
「ママに似てたの。だから、私、ユウマくんが大好き」
泣いていた。
ユウマは、そっとカリナを引き寄せ、抱きしめた。
「僕が命懸けで、カリナを守るよ」
カリナは哀しみの現実から、誰にも邪魔されない夢の中に、落ちていった。
草木も眠る丑三つ時。
赤いスポーツカーに、腰を屈めながら近づく黒ずくめの男。
悪いことをするには、おあつらえ向きに、月もなく闇夜だ。
明かりもないのに、確かな足取りで近づくと、助手席の窓から覗き込む。
と、その時、
「この窓は特殊で、あんたの目でも覗けないよ」
後ろで声がした。
黒ずくめの男は振り返りざま、左拳を振り回す。
軽くかわした後、直ぐに左パンチを顎にヒット。
黒ずくめの男の、顎のパーツが割れた。
血は出ない。
矢継ぎ早に、右ストレートが、左こめかみにくい込む。
男の左目のパーツが、飛び出して、顔にぶら下がった。
さらに、ヒラリ身体を回すと、右回し蹴りが頭に炸裂。
黒ずくめの男は、頭と身体を分離させることになった。
何本かのコードが繋がっていたおかげで、頭は遠くに飛ばされることなく、地面に落ちた。
「さて、話を聞かせてもらおうか」
アサクサユウマは、分離した頭の首のところから、左手を差し込む。
黙り込む黒ずくめ。
探り当てたのか、ユウマが、
「ハッキング開始」と囁いた。
そして、
「軍用アンドロイドが、なぜ?」そういった刹那、ユウマは慌てて左手を抜いた。
その途端、黒ずくめはバチバチと音をたてながら、火花を散らしたかと思えば、引火。
青白い炎は、燃やすのではなく全身を、溶かし始めた。
数秒で、溶けた鉱物の山になり、それも蒸発を始めた。
ユウマはアンドロイドだから平気だが、溶ける時に湧き上がった臭気は、人間の命を奪うものだったに違いない。
先のオートバイ事故で、どこかに支障をきたしていたのだろう。
でなければ、こんなに簡単に、軍用アンドロイドを倒すことは出来ない。
アサクサユウマは、辺りを伺うと、車に乗り込んだ。
助手席で眠るカリナを見つめて、
「軍が関与しているって。一体、何が起こってるんだ?」
誰に言うともなしに、そう呟いた。
新しい朝が来た。
ユウマは本部に、昨夜のことを定期報告していた。
24時間休まない、オペレーターアンドロイドに伝える。
軍用アンドロイドについては、後で連絡が来ることになっている。
車は、逃げ場のない高速を避けて、一般道を走っていた。 カリナが、何度目かの車の振動で目覚めた。
「おはよう。よく寝たね」
アサクサユウマの声は、アイドルの声をコピーしていたので、カリナは1発で目覚めた。
「お、おおおおはようございます」
緊張からか、どもった。
顔を見て、「なぁんだ」と手ぐしの手を止めた。
「屋根を開けていいかな?充電したいんだ」
そう言われて、意味は分からなかったけれど、必要そうなので、うなづいた。
「オープンエア」
ユウマがそう言うと、車の屋根が後方へ下がり始め、オープンカーになった。
「わぉっ!凄っ!!」
「僕の髪の毛は1本1本がソーラーシステムになっていて、体内充電ができるんだ」
凄いのね、と触ろうとすると、
「ダメダメ。火傷しちゃうよ」
そう言って遮る。
夜に野暮用で充電が出来なかったからね。そう小さな声で呟いた。
カリナは、顔を上げた。
風は巻き込んでこなかったけれど、朝の空気が気持ちよかった。
時々、昨日までのことが、脳裏をよぎるけれど、前へ進んでいると、悲しみが後ろに置いてかれる気がして、
「もっと飛ばして」そう言った。
「オーケー!」アクセルを踏み込んだ。
朝の光を浴びて、まだ点滅すらしていない信号機の交差点を、駆け抜けた。
アサクサユウマの頭に直接、本社から連絡が来た。
降り始めた雨が昼前には、オートライトがつく程に、激しくなっていた。
隣では、カリナが何度目かのBTWの映像を観ていた。飽きないらしい。
言葉を発することなく、応答する。
( A21型2046987から、送信されたドライブレコーダーからの動画を見る限り、旧式の軍用アンドロイドだと思われます。
開発したアメリカ企業から、ある国が導入したものであると思われます。
恐らく、第三国からの刺者だと思われます)
(その国家が、なぜ私の依頼人を襲う?)
(依頼人である神宮寺かりゆし氏の開発した技術に関連しているものと思われます。調べますか?)
(調べてください)
(了解。あと、)
雨が激しくなり、コンビニの駐車場に、車を入れた。
(神宮寺かりゆし氏が、昨日、失踪しました)
(誘拐?)
(両面で警察が捜査中。桜島技術研究所のセキュリティは万全だったと、所長は言ってます)
了解した。そう言って、通信を切った。
隣ではカリナが、母の死を忘れようとするように、画面の映像に没入している。
父親のことは、ギリギリまで黙っていることにした。
「お昼だけど、何か食べるかい?」
ユウマが尋ねると、
「レモンティーとグラタン」と即答する。
「オーケー」指2本でハートマークを作る。
キャッ!とカリナの照れ隠しの悲鳴。
買い物を済ませて車に戻ると、ドアミラーに警察車両が映った。
確実に近づいてくる。
神宮寺かりゆし氏の失踪についてか?それにしては、なぜ、ここにいることがわかったのか?
答えは明白だ。
「偽警官」
ユウマは、マニュアルモードにすると、バックから直ぐに、公道に乗り入れた。
案の定、ついてくる偽パトカー。
ユウマは頭の中で、地域を検索する。
雨はさらに、強くなる。
雨足はさらに強くなり、稲光が黒雲の中を縦横無尽に、駆け巡っている。
「すごい雨だね。雨って嫌い」
「僕もだよ。直ぐに冠水するし、河川は氾濫するし」
地球温暖化で、海面水位が上がっていた。当然、流れ込む河川も、流す先が満タンでは、脇から流れ出るしかない。
それに、
「竜巻情報が出た」ユウマが左耳を押さえて、空を見る。
頭の中に情報が届いているようだ。
「どっか逃げよう」
カリナが、胸の前で腕をクロスさせる。
ユウマは、後方を映すモニターを見る。
さっきのパトカーの他に、SUVが2台、トレーラーが1台、ついてきていた。
「カモフラージュもしないで、なりふり構わず、だな」
竜巻の発生場所を検索する。
高速道路入口が見えた。
そちらに舵を切る。
ほんの数分で、山から山へ谷を渡る長い橋が見えてきた。
そして、竜巻も。
「あれっ、あれっ!」
カリナが指差す左方に、2本の竜巻があった。近づいてくる。
さらに、右には、今まさに空から渦が下方に向かって伸びていくところだ。
カリナは目を閉じ、ユウマの膝に顔を伏せる。
「大丈夫。僕がカリナを守る」
アクセルを踏み込んだ。
土砂降りの中、加速する。
木々の枝葉が、ビニールや小さな看板やらが、舞い上がってくる。
300キロ。赤いスポーツカーは、橋を渡りきった。
そのすぐ後ろを、2本の竜巻が高速道路の橋を飲み込む。
追っ手の偽パトカー、SUVが横転。
トレーラーも、軽い荷台が持ち上がり、コクピットを下に、橋から引きずられるように、橋架に落下した。
モニターの中の暗黒の世界から、目を前に向けると、青空が広がっていた。
カリナの肩をポンッポンッと叩き、もう大丈夫だと告げる。
「おトイレ」
緊張からか、カリナが言う。
次のインターを降りると、コンビニを探す。
すぐに見つかったのは、大きな公園だった。
「公衆便所、あるよ」
カリナが、見つけた公衆トイレは、公園に設えられたランニングコースや散歩道に面した、大きなトイレだった。
右に駐車場入口を見つけて、侵入する。
走ろうとする、その先を制して、ユウマがトイレの中を確認する。
「どうぞ」
言われて、そそくさと入っていく、カリナ。
その時、抱っこ紐の中の赤子をあやしながら、若い母親が、近づいてきた。
ユウマを怪訝な顔で見ている。
女子トイレから出てきたところを見ていたんだろう。
「ワタシハアンドロイドデス」
わざと電子音で伝える。
鼻を鳴らして、母子はトイレに入った。
出てこない。
そう言えば、母子も出てこない。
ユウマは、円筒型のトイレの周りを歩く。
1箇所、はね上げ式の小窓が外れていた。
覗き込んでみると、赤ちゃんを載せる折りたたみの小椅子に、抱っこ紐にくるまれた赤いテディベア。
ユウマはジャンプ1番、トイレの屋根に乗ると360度索敵を開始。
見つけた。30倍ズームで、カリナを背負って走る母型アンドロイドを確認。
「韋駄天モード」
そう言うと、屋根から飛び降り走り出す。
革靴を突き破り、スパイクが飛び出した。
母型が軽トラックに向かっている。車に乗られると厄介だ。
ユウマは加速する。
田んぼが広がるその中を走る一本道。
4秒で時速100キロに達した。
母型に追いつき、ジャンプして一回転ひねりで、目の前に着地した。
勢いがついていてスリップするも、アスファルトに足をめり込ませて、止まった。
体当たりしてくる母型の顎に、ユウマの右手の掌が、飛ぶ。
続けて左、右、繰り返す。
母型の顎が上がり、後頭部が背中に着く頃には、首のソフトパッドが裂け内部がむき出しになった。
ユウマは素早く左手を入れ指先で、思考回路を探ると触れ、
「自爆スイッチ、キャンセル」
次いで、
「通信履歴、コピー」開始。
気絶しているカリナを背中から降ろすと、ユウマが背負う。
周囲を伺い、誰もいないことを確認すると、母型の首に左手を差し込み、「自爆スイッチ起動」を指令して、その場を快速で離れる。
赤いスポーツカーに戻ると、本部に通信。
(刺客の通信履歴をコピーした。送る)
(了解。神宮寺かりゆし氏の研究の件を報告します。
神宮寺かりゆし氏のアンドロイド技術と再生細胞の権威、山橋教授率いる科学者グループが組んで、danderaion30ウイルスのワクチン開発に着手。
一定の成果が得られたようです。
動物実験では得られない治験を、山橋教授の再生細胞を活用して人型を生成。そこに、神宮寺かりゆし氏のアンドロイド技術で、命を吹き込みます。人間に限りなく近づくため、感染すると治験が取りやすくなるメリットがあるそうです。
型番は、iP100型。
神宮寺かりゆし氏からすれば、より人に寄せたアンドロイドを作ることにもなったわけです。
danderaion30ウイルスは、サンプルが取れないため、iP100型アンドロイドを数体作り、感染させるために、一般人の中に普通に生活させます。
偶然を待つわけです)
現在は、新開発のワクチンを接種した、iP100型アンドロイドの感染待ち、だと言う報告で終わった。
金属とプラスチックに、モーターと電子回路の自分と比べ、新型は皮膚も臓器も目も爪も、人間のそれであり、脳と電気回路と一部を除いて、ほぼ人間なのだった。
記憶と感情(心)さえ移し替えることが可能なら、まさに、 「永遠の命」が手に入ることになる。
そして、東南アジアの第三国は、自分の国を持たないテロリスト集団だが、バックに共産圏の国の支援がある、という噂がある。
アメリカ産の中古軍用アンドロイドを共産圏の国が買い付け、第三国に与える。
誰もが知っているのに、知らない顔をする。
今回のdanderaion30ウイルスも、第三国が開発し、ばら蒔いたのではと言う憶測も流れている。
第三国が関与しているとなれば、狙いはワクチンであり、戦闘型アンドロイドを作るための技術であろう。
神宮寺かりゆし氏は現在、行方不明だ。
山橋教授は京都で、警護会社のアンドロイドの監護化にある、という情報も貰っている。
ユウマはとにかく、車を走らせる。
依頼人のいない鹿児島へ。
国道3号線から、鹿児島県に入った。
鹿児島市内から、桜島へ行くには国道10号線の海岸線を走るか、桜島フェリーに乗るかの選択になる。
フェリーは早いが、海上に逃げ場がない。
10号線は、片側を斜面、もう片側が錦江湾の一本道。
挟まれると逃げ場はない。
赤いスポーツカーが、仙巌園前を走りすぎる。
すると、待っていたように、仙巌園前のコンビニ駐車場から、黒塗りのSUV3台が次々と走り出す。
片側一車線から、2車線になる。
SUV2台が追い抜きをかける。
加速するスポーツカー。
幅寄せしてぶつかるSUV。
SUV1台が、追い抜きに成功、赤いスポーツカーの前に出ると、急ブレーキをかける。
右から幅寄せ、後ろからも追突されて、スポーツカーは、でこぼこになる。
そして、ついにタイヤが破裂、停車した。
SUVから、黒ずくめのジャンパースーツが6人降りてきて、スポーツカーを囲む。
腰だめに小銃を構えていた。
1人が運転席を開ける。1人が銃口を向ける。
しかし、そこには、アサクサユウマも神宮寺カリナも、いなかった。
「ツイトツジコハッセイ。クルマコショウ。
ケイサツニ、レンラクシテイマス」
無人の赤いスポーツカーのAIが、繰り返していた。
桜島フェリー上でも、黒ずくめのジャンパースーツがサングラス姿で数人、歩き回っていた。
甲板に、オープンデッキ座席内に、船倉内自動車バイク載せ場にも、見られた。
それぞれが連絡を取り合っている。
「目標、発見できず」
錦江湾に広がる養殖場に、小さな漁船が停まっていた。
船長は初老のおじいさんで、客人の2人に塩むすびと、釣れたばかりの魚をさばいて、紙皿の上に並べて振舞っていた。
「美味しいっ!」
カリナは最高の笑顔で、舌鼓をうつ。
「そうじゃろそうじゃろ。カンパチって言うんじゃ」
同い年くらいの孫がいると話していた船長は、喜ぶカリナの頭を撫でる。
ガサガサの無骨な手のひらは大きく、海の男の勲章のようだ。
そうして、楽しみながらふたりは、桜島に着いた。
桜島技術研究所はもう、目と鼻の先だ。
桜島武港から上陸したふたりは、大きなアコウの木をいくつも見上げながら、手を繋いで歩く。
時折、自動車が行き過ぎる。
その度に、ユウマは身構えるのだが、カリナは鼻歌交じりで、スキップすら踏んでいる。
父に会える喜びからか。
さて、そろそろ本当の事を話そうかと思っていたところへ前から、椅子にもなるショッピングカートを押しながら、よろよろと老婆が来る。
うつむき加減の白髪の間から覗く、鋭い銀色の眼光を見逃さなかった。
老婆は、カートをユウマ達に向かって投げるように押す。
ユウマは、カリナを左脇に担ぐと、迫り来るカートを蹴飛ばした。
すると、その刹那、カートのフタが開いて、中から小さな猿のような小人が飛び出した。
不意をつかれたユウマはそれでも、小人の顔面を右手で掴み、アコウの木に向かって投げ飛ばした。
その右脇の隙を狙って、老婆が低い姿勢で、駆けてくる。両手で小刀を構えて。
小人を投げ飛ばしたその右手の返しの裏拳で、老婆の頬を、打つ。
顔面のソフトパッドが、メリッとめくれて、強化プラスチックが覗く。
「上っ!ユウマっ!!」
カリナの悲鳴。
眼だけ、アコウの木の方を見る。
小人が、膝を抱えて丸くなり、回転しながら飛んでくる。
一瞬で察したユウマは、跳んだ。
ユウマたちがいたところに、ぶつかった小人は、激しい音とともに、爆発した。
「ヒロトちゃんっ!」
老婆の悲鳴。
「お前っ!お前っ!!お前っ!!!」
叫びながら、老婆が胸に小刀を握りしめ、突進する。
低い姿勢のその頭に、ユウマは右脚一閃、かかと落としを炸裂。
老婆は、頭をアスファルトにめり込ませて、動かなくなった。
「大丈夫?」
優しいユウマの問いかけに、
「うん。ユウマを信じてるから」
カリナは笑顔で応えた。
半円形ドーム型の桜島技術研究所が見えてきた。
その横に、桜島バージョンのコンビニがあった。他の系列店と少し看板の色が違う程度だが、新鮮に感じられる。
「おトイレ行く」
カリナがコンビニへ行こうと手を引く。
10歳とはいえ、女の子。久しぶりに父親に会う前に、髪を直したいのだろう。緊張もしているのかもしれないと、ユウマは思った。
トイレの中を確認して、カリナに譲る。
ユウマは、すぐ側の週刊誌を読むとはなしに手に取る。
3歳くらいの女の子連れの母子が、入ってきた。外には、乗ってきた軽自動車に父親らしき姿。
目の隅で、母子の行動を観察する。
女の子が、好きなお菓子を、母の持つカゴに入れていく。
それぐらいにしなさい。そんな母の声が小さく聞こえた。
そう言えば、さっきの老婆と小人に襲われた時、老婆が名前を呼んでいた。
明らかに、これまでの軍用アンドロイドとは、違っていた。
このことに関して、本部に連絡するも、繋がらない。こんなことは、初めてだった。
「きゃあ!」
悲鳴。
レジカウンターから、2人の若い女店員が、自動ドアから飛び出していく。
陳列棚を1つまたいだ、通路を覗くと、さっきの母子の姿。
その母がうずくまっている。
女の子がなすすべもなく、横に立ちすくんでいる。
母の顔は、変色し萎んでいく。
「これはヤバイ」
トイレに向かおうとするユウマの前に、カリナがいた。
カリナは目を見開き、明らかにあの日の記憶を蘇らせているようだった。
「カリナ、逃げよう」
ユウマが手を引こうとするが、動かない。
「君も外に出るんだ」
ユウマは、幼い女の子にも声をかける。
近づく。
その時だった。
「任務終了」
声なき声。
頭の中の暗転した部分に、赤い文字で、浮かぶ。
なんだ?いぶかしむユウマ。
視界の上下が狭まってくる。
行動限界?まだ、充電は80パーセント以上あるのに。
「任務終了」
さっきよりも鮮明に頭の中に繰り返される。
「カリナ、逃げろ」
ユウマはひざまづく。
力が入らない。
最後に目に映ったのは、顔中、綿毛を生やした母とその綿毛を振り払おうとする、幼子とカリナの姿だった。
「任務終了。パワーアウト」
膝をつき、腰を下ろした姿で頭を下げてユウマは、停止した。
沼に沈むように眠った。
いや、アンドロイドだから、電源オフの時は、死んだように、だろうか?
金属製の椅子に座り、後頭部からケーブルが伸びていた。
それが、電子音を奏でる壁いっぱいの計器類に繋がれている。
その姿を見ている、男性2人。
いくつかのモニターには、アサクサユウマの見てきた映像が流れている。
「A21型は、大きな進化を遂げました。AIが、予めインプットされた感情表現をさらに、経験値を重ねることで、自ら増幅した。
そして、誰からの命令のないまま行動し、人の命を守るため、尽力した。
そこには、少しだが、『愛』も垣間見えたのには、驚きだ」
神宮寺かりゆし博士は、そう言うと、冷め掛けのコーヒーを口に運ぶ。
「神宮寺氏との共同開発の産物、iP100も、再生細胞のアンドロイドとして、治験を積み重ねた結果、遂に『神宮寺カリナ』型アンドロイドで、danderaion30型ウイルスの対抗ワクチンも完成した。人型の動物実験により、最速で、治療薬として製品化されるだろう」
山橋教授は、迅速さが大切なんだ、とも言う。
「『神宮寺カリナ型』ですか?」
かりゆし博士が苦笑い。
「いや、敢えてそう呼びたい。奥さま型の再生細胞アンドロイドで、初めてdanderaion30のサンプルを得ることが出来たこと。その後の研究の飛躍的進歩によって生まれた、最終型iP100型は、まさに人類の未来だった。そして、その大役を見事に果たしたんです」
山橋教授は、今回の実験と果たした役目を称賛した。
「A21型は、今後、国産初の軍用、要人SP用として、展開するだろう。それは、日本国の仕事で、私は開発データを渡せば、お役御免だ。
山橋教授チームの再生細胞が、人間のそれと一緒であることで、電子部品である心臓を持つアンドロイドが、まるで人の感情『愛』を手に入れたようにも感じました」
フッと息をつく、かりゆし博士。
「本当にありがとうございました」
山橋教授が手を差し出す。
ふたりは固い握手を交わした。
2人の会話から、アサクサユウマと神宮寺カリナの冒険は、全て仕組まれたことだと、分かる。
国産軍用アンドロイド開発とアンドロイドとはいえ、そのほとんどを人間の再生細胞で作られた、言わば人体実験による、ワクチン開発。
株式会社「ナビゲーター」も存在しない。
第三国テロリスト集団も虚構に過ぎなかった。
襲いかかる刺客も、用意された凡庸アンドロイドの改造版だった。
重い自動扉が開いた。
入ってきたのは、神宮寺ユキナとカリナだった。後ろには、白服の数人。山橋教授チームの面々だろう。
その後ろから数名に押されて、ストレッチャーに寝かされた、「もうひとりのカリナ」が入ってきた。
あのコンビニでも、感染しなかった、その美しい寝顔。
全員の人壁の間を通る。
拍手が起こる。
皆、成し遂げた成果に、満面の笑顔だ。
ただ、立役者たるヒーロー、ヒロインは静かに眠ったままだった。
「今日は、学校休みだ」
神宮寺カリナは、満面の笑顔で、母ユキナにスマホを見せる。
「あら、台風なのね」
散々、テレビのニュースで過去最大の台風だ、と言ってるのに、ママったら聞いてないんだ。
口を斜めに首を傾げる、カリナ。
朝ごはんを終えると、自分の部屋に戻る。
ちゃっちゃっと制服を着替えて、短パンTシャツ姿になる。
最終年度の小学生生活は、春先からのゲリラ豪雨、竜巻などの異常気象。また、日中は陽に当たる時間を、連続1時間以内にとどめないと、皮膚の炎症を誰でも起こすから、注意が必要だ。
年ごとに生活は、新しい様式を取り入れなければ、立ち行かなくなっていた。
2032年。学校の授業のほとんどが、リモート学習になり、出校できる日は、年に数日しかなくなっていた。
大人たちはどうか。
こちらもリモートワークが主になり、外で働くほとんどが、アンドロイドに置き換わっていた。
「学校、行かなくても制服に着替えなきゃならないのって、どうよ?」
鹿児島の真四角な鉄筋コンクリートの、まるでサイコロのような自宅の2階の部屋で、カリナはボヤく。
それを聞いていた、もうひとりのカリナが、相づちを打つ。
「ねぇ、チュラもそう思うでしょ」
カリナ型アンドロイドは、「チュラ」と言う名前になっているようだ。
「私はカリナと一緒にいられて楽しいわ」
カリナが父神宮寺かりゆしに頼んで、自分の姉妹として、一緒に暮らしていた。
かりゆし博士も、生活を共にすることで、データを取っていた。
iP100型アンドロイドは、再生細胞で作られているので、成長する。
もちろん、限界はある。クローンと違うのは、心臓と電気回路、頭の中には電子回路が入っている。
クローンは現在も研究しているが、短命だ。
核内の染色体が重要で、その染色体を保護している、テロメアが短くなるのが、原因だと言う。
テロメアはループ形状をしているが、加齢により短くなると、ループ形状を維持できなくなる。
そこで細胞が、異常が起こったと認識し、細胞分裂をやめてしまう。そして、死を迎えるようだ。
再生細胞型のアンドロイドがいつまで生きるのか、それも課題のひとつになっている。
カリナは、そんな事には無関心で、ただただ兄妹が増えたことが嬉しかった。
内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)に、今日も今日とて世界中から、大きなハッカー、小さなハッカーが、引っかかる。
日本の政治、医療、建築、自動車、電気などに対する最新技術への、ハッキング。
「また、来た」
まだうら若いハッカー対策室の1人が、聞こえよがしに声を上げる。
よし、とばかりにチームの4人が、キーボードを叩く。
数秒で、チームは顔を見合せ、笑い合う。
「グッジョブ」
そのハッカーは秒殺でやられたようだ。
家同様、鉄筋コンクリートの真四角なガレージのシャッターが、自動で開く。
バックで、ステーションワゴンが、 駐車する。
物音も立てずにシャッターが閉まる。
降りてきたのは、アイドルBTW(Break the world)の朝草優真、に名前を頂いたA21型アンドロイドのアサクサユウマだった。
今はカリナから、「神宮寺ユウマ」と呼ばれて、立ち位置はカリナの兄、となっている。
カリナに、兄と妹ができたことになる。
かりゆし博士も、ウイルスや気象状況の悪化などで、人口が減り続けている世界情勢を鑑み、子供のいない夫婦に、子供のいる生活を味合わせようとするプログラムを考えていた。
人間のペット化ではないのかと揶揄する意見もあるが、人間の中で育てることで、より人間化することを狙っている。
また、感情も一列化せず、人間らしい「個性」も生まれることになるのだった。
そのためにも、再生細胞アンドロイドが、何年持つのか、データを取らなければならなかった。
「ただいま。桜島技術研究所にかりゆし博士を送ってきました」
手洗いうがいを済ませたユウマは、母ユキナに伝えた。
2人は2階よ。と言われて学校が休みになったことを知る。
台風でもゲリラ豪雨でも、学校に行けないのであれば、リモート学習でいいのではないか、と思うのだが、そこはまだ昔の名残りのような風習のようなものが残っていて、台風の日はお休みなのだ。
「お帰り」
2人が同時に、部屋に入ってきたユウマに、声をかける。こういう所は、チュラがカリナの細胞の培養から作られているからかもしれない。
ユウマは、そう思っていた。
2人はそういうことで、本当の兄妹のようだけれど、ユウマはまだ、慣れない。
元々、アンドロイドの仕様が、護衛用で戦闘用プログラムが入っている。
言葉遣いも時々、「不器用な」語り口になる。
その度、カリナにダメ出しを貰い、横でチュラに笑われるのだが、その生活が、ユウマは嫌いではなかった。
あの日、コンビニでリモートによる強制停止をされるさ中、目の前のカリナの感染を防げなかった失望感と悔しさが今も心の中にある。
それこそが、今の生活を楽しくしているのかもしれないと、ユウマは分析していた。
かりゆし博士にも、伝えてある。
海上を行くミサイル巡洋艦が、3ヶ月の任務を終えて、日本に向かっていた。
「現在、クラッキングを受けています」
艦長に伝声管を響かせて伝わる。
「勝手にミサイルが装填されるぞ」
ミサイル発射管にいる自衛官が叫ぶ。
「艦艇ごとクラッキングを受けている。間に合わない。動力電源ストップ!」
巡洋艦が、静まり返る。
艦首が波をかき分ける音が、響く。
「クラッキングを防止しました」
艦内に安堵のため息が広がった。
巨大な台風は、お昼前にはやってきた。
ユウマが、必要なものをおお方揃えていたので、ユキナは助かっていた。
サイコロのような家は、窓ガラスも防犯用合わせガラスだ。
お昼ご飯ができたので、ユキナが室内用インターホンを押す。
2階のカリナの部屋のインターホンが、賑やかに音楽を鳴らす。
その時、3人でトランプをしていたが、カリナが立ち上がり、インターホンに返答した時だった。
「痛っ」
そう言って、頭を両手で抑えた。
「大丈夫?」
チュラが、駆け寄る。
ユウマも、立ち上がり、様子を伺う。
「うん。なんだろ、台風のせいかな?」
低気圧のせいで頭痛がするのかも、とも言う。聞きかじりの知識だ。
何とかお昼は食べたカリナだが、そのまま薬を飲んで、眠ることにした。
かりゆし博士にも連絡はしたけれど、博士は研究所に詰めていて、台風のこともあり、今夜は帰ってこられない。
スヤスヤ眠る横で、ユウマもチュラもすることがなくなり、窓から横殴りの雨を眺めていた。
カリナが、咳き込んだ。
振り返る2人のアンドロイド。
ひとしきり咳き込んで、カリナが吐いた。
ユウマが直ぐに、ゴミ箱を口元にあてがい、背中をさする。
「大丈夫かい?」
苦しい息の下、カリナは大丈夫だと言うように、何度かうなづいた。
チュラが、階下のユキナに知らせると、階段を駆け上がってきた。
ユキナの顔は、心無しか青ざめていて緊張しているように見えた。
「パパには、私から電話するわ」
そう言ったユキナの声は、沈んでいた。
カリナの着替えを済ませて、シーツも変えるとユキナは、落ち着いて眠りに落ちたカリナを見て、
「あとは、2人で見ててくれる?」と階下に下りた。
ユウマはチュラと顔を合わせて、2人でカリナの寝顔を見つめた。
腑に落ちない何かが、引っかかるユウマだった。
明け方、まだ陽も昇らない時間に、ユウマに直接、連絡が来た。
かりゆし博士だった。
カリナとチュラを連れてきてくれ。と言うものだった。
チュラは直ぐに起きたが、カリナはしばらく夢の中を彷徨っていた。
着替えをして、結局、ユウマがおんぶして車に乗せた。
「じゃあ、お願いね」
ユキナに言われて、チュラがはい、と答える。
ステーションワゴンは、ユウマに言われた場所へ、スルスルと動き出した。一応、法規上、運転席に座らなければならないので、後部座席でチュラがカリナの面倒を見ることになる。
カリナは、時々頭痛がするのか、目を閉じたまま、しかめっ面をした。
その度に、痛みを和らげるためか、深い深呼吸を繰り返した。
車は直ぐに、桜島技術研究所に着いた。
かりゆし博士が、玄関で待っていた。
「連れてきてくれ」
今度は、カリナをお姫様抱っこすると、ユウマは、早足のかりゆし博士を追い掛ける。
チュラはその後ろを、ユキナに持たされた荷物を持って、追い掛ける。
大きなドア。
かりゆし博士が、ドアの下を蹴る。
開く自動ドア。
白い部屋。
いくつもの計器類にたくさんのモニター。
以前、そのモニターには、ユウマが見て録画した映像が映されていたが、今は、山橋教授が映っていた。
手元の有線の電話の受話器で、何事か山橋教授と話していたが、受話器を置くとかりゆし博士は振り返り、
「オッケー、ありがとう。ユウマは帰っていいよ。また、連絡する」そう言った。
ユウマが帰ろうとして、ドアに向かいかけた後ろで声がした。
ユウマに着いていこうとしたチュラを、かりゆし博士が呼び止める声だった。
ドアが、ユウマの背中で静かに閉まった。
台風一過、1日晴れそうな夜明け前だった。
道路には、木々の枝葉が散乱し、時々、ポリバケツや植木鉢が転がっていたりした。
思い出したように、天気雨が降る。
ステーションワゴンで移動しながら、ユウマは研究所での、かりゆし博士と山橋教授の電話の会話を思い返していた。
聴力を最大にして、会話を盗聴したのだった。
何故、そんなことをしたのかユウマ自身、分からなかったが、心の赴くままにそうしたのだ、というところか。
アンドロイドの心とは、すなわち良心回路のAI学習によるものだろう。
「細胞分裂が、止まってしまった可能性がある」
そう山橋教授は、言っていた。それに応えて、かりゆし博士は、
「成長する身体に、機械のユニットが悪影響を及ぼしたのか」無念そうにそう言った。
カリナは、本当の人間のはず。
チュラの話だろうか?
答えが出ないうちに、自宅に戻った。
帰り着くと、ユキナに2人を送り届けたことを報告した。
2階に上がろうとした時、小さな声に呼び止められた。
「お茶でも飲まない?」
リビングのソファに座ると、テーブルに紅茶とスナック菓子が少し、小皿に盛られて出てきた。
しばらくは、テレビの台風情報を読み上げるアナウンサーの声に、部屋中、満たされていたが、おもむろにユキナが語り出した。
「私たちの娘カリナは、実は10歳の時に、交通事故で、亡くなってるの」
精巧な作りのアンドロイド、神宮寺ユウマにも、ユキナの言葉は晴天の霹靂だった。
本物の人間だと思っていた。
その登場の仕方、チュラの存在、その元になった人間の少女、カリナ。
ユキナは、語る。
「交通事故は、珍しいことじゃない。どこでも起こること。ただ、うちの場合、アンドロイドの権威、神宮寺かりゆしがいた」
ユウマは、飲みかけの紅茶が冷えていくのを遠い目で見ていた。いや、見ていたのは、ユキナの語る過去の映像か。
「あの頃は、10数年前に、かりゆしは1人でカリナを生き返らせようとしていた。
おかしいでしょ?まるで古典の漫画みたい」
言わんとすることは分かる。AIに刷り込まれた感情の中にも、親子の愛情の深さがある。
「あなたと同じ、人工知能は学習タイプで、赤子から徐々に学習していって、年ごとに入れ物、つまり身体を大きくしていった。
10歳までは良かったの。学校の身体検査の中にも、身長、体重、視力、その他、学習成績などを元に、私たち夫婦の記憶も加味して、大きくなった。
それはとても優秀な、アンドロイドだった。
そう、あくまでアンドロイド、なの。ソフトパッドの皮膚の下には温度センサーと薄い被膜が被っていて、まるで体温があるみたい。
でも、転んで膝を擦りむいても、インフルエンザが学校で流行っても、あの子は平気だった。
強い子はいるわ。でも、強すぎたの」
ユキナは、その時の家族のやり取りを思い出すように、悲しげに笑った。
紅茶は湯気を出すのをやめていた。
ユウマは、こんな時、どんな言葉が適当なのか、検索していた。
「そんな時、danderaion30ウイルスが、流行り始めた」
世界中で、たくさんの人が死に、地球上の人口の半分がいなくなった。
足らなくなった労働力、とりわけ医療従事者の確保が叫ばれ、当時、世界一進んだ技術を持っていたかりゆし博士は、アンドロイドに優秀な人間の医者の技量と見識を、刷り込んだ。
その功績が実を結んだのか、今度は国から国策に協力して欲しいと持ちかけられたのが、タンポポウイルス撲滅のための、協力要請だった。
その時から、山橋教授チームとの付き合いが始まった。
何も、自分の家族を実験材料に、正しくは再生細胞アンドロイド開発の細胞提供者にすることはないのだが、より人間に近い動物実験が必要だと、かりゆし博士が強く進言した。他人よりも身近な人間の方が、協力を得やすいとも言った。
「でも、本当は全てあの子のため。かりゆしは、カリナの完全な再生を望んでたの」
「10数年前、だからカリナの本当の歳は、18。でも、10歳のカリナのまま。それは、私たちが10歳以上のカリナの姿を知らないから、進められない。
再生細胞は、個別のパーツでは有効なの。素晴らしい技術。だけど、人ひとりすべてを、命を蘇らせることはできない」
ユキナは、唇を噛む。
震えがきている。それは、愚かな夫かりゆしの愚行に対する嘲りか。それとも、過去を忘れられない自分たち夫婦への哀れみか。
「人は神様にはなれないの」
ユウマは静かに、うなだれるユキナの肩に手を置いた。
「博士も奥様も、カリナも、チュラも、世界の未来のために、力を尽くしてます。
この家族がいなければ、あの時目指した未来には、たどり着いていません。
僕は一体の、しがないAndroidです。
でも、僕にしか描けない未来がある。
僕と一緒でなければ、進めない人達もいる。
神宮寺家族に、無くしかけた未来を、もう一度見ることができた人たちは、沢山いるはずですっ!
だから、下を向くなっ!
前を向けっ!
負けないでっっ!
あなたたちは、不幸に落ちた人たちを、幸せに導く、『ナビゲーター』ですっ!」
ユキナは大声で、泣いた。
ユウマは、興奮している自分に驚いていた。
AIの暴走かとシステムをセキュリティスキャンもした。
ユキナが両手を握りしめてくる。
そして気づいた。
そうか、これが人間の言う、
「感動ってやつか」
ユウマはまた、AIを書き増した。
街の道路工事に従事する、数人のアンドロイドが、おかしな動きをしていると、警察に通報があった。
「おいっ、何してるっ!」
駆けつけた警官を無視するように、手にした地面を崩して穴を開ける削岩機を振り回す。
警官は、拳銃を向ける。
暴走したアンドロイドを停めるには、頭を打つか、高圧電流を流すしかない。
数人のアンドロイドの頭を撃ち抜いた。
ショベルカーが、グルグル回転している。
4人を仕留めた警官が、ショベルカーのコクピットを狙う。
乾いた銃声。
うつ伏せる、暴走アンドロイド。
見事、頭を撃ち抜いていた。
機能が停止する刹那、暴走アンドロイドが呟いた。
「美しき人よ」
報道でも、このところ、日本に対するハッキング、クラッキングが増えていると伝えられた。
特定の国の名指しはなかったけれど、大勢は、「第三国」の仕業だと口にする。
しかし、その、「第三国」は有名無実な存在であり、それはまるで、虚構の中のゲームに似ていた。
ユウマの頭の中の通信機に着信がある。
「わかりました」
短い返事。
「かりゆし博士から、電話がありました。今から、カリナを迎えに行ってきます」
キッチンに立つユキナの後ろ姿に、声をかける。
ユキナは振り返りもせずに、右手でグッジョブと親指を立ててみせる。
元気が出たみたいだ。ユウマはそう思った。
桜島技術研究所に着く。
大きなガラスのスライドドアが開く。
受付の女性アンドロイドが、会釈する。
当たり前に入ったのは、これで2回目だろうか?
廊下の右手に、小さなエントランスがあり、テーブルを挟んで二脚のソファの構成が2セット、設えられていた。
「ユウマっ」
そちらから、カリナの声。
ユウマから見えないように、ソファに隠れていたようだ。
くすくすと笑いながら、近づいてくる。
「チュラは?」
ユウマの問いかけに、
「見たい?」首を傾けながら、見上げる。
ユウマの返事を聞く前に、カリナは手を取った。
「こっちよ」
引かれるまま、いつもの廊下の右側の少し薄暗い廊下を、小走りに進む。
進む度に、ライトが点き、通り過ぎたあとのライトは消えていく。
右側の大きなシルバーのドアの前で、止まる。
「ここよ」
屈託のない笑顔。
ドアの下を蹴っ飛ばす。
一瞬きしみ音がして、2メートルほど開いた。
ドアの中は、暗かった。
一歩踏み込むと、室内灯が煌々と点った。
「あれよ」
カリナが指差す方を見ると、壁の中、厚いガラスの向こうに、楕円形の銀色の箱が置いてある。
ひょっとして、コンピューターユニットだろうか、そう思って近づくと、
「見ないで」頭の中に直接、声が聞こえた。
「こっちも」
カリナがおいでおいでをする方へ歩いていくと、右側の大きなガラス窓の向こうに、透明なガラスの瓶の中に、身体の内蔵らしき物体が、浮いていた。いくつもある。
おそらく、培養液の中に入っているのだろう。
「見ないで」
また、頭の中に聞こえる、声。
ユウマは、頭の中の通信を使って、訊ねる。
「チュラ、かい?」
返事はない。
そのまま、帰ろうとすると、
「私の体を返して」
それは、泣き声にも聴こえた。
続くアンドロイドのハッキング、クラッキングに対して、日本政府が直々に、一ヶ月間のアンドロイドの使用禁止を、発布した。
ハッキング、クラッキング対策がなされなければ、この後も使用禁止が続くと、報道された。
従業員の大半をアンドロイドに頼っている企業などは、死活問題だ。
それぞれのコンピューター関連企業とアンドロイド関係各社が、躍起になってセキュリティシステムの開発に力を入れ始めた。
それまでは、神宮寺かりゆし博士とそのチーム任せだったアンドロイド開発が、ここで、完成度の高いセキュリティシステムを開発すれば、一躍脚光を浴びるのだ。
それまでは、かりゆし博士らのセキュリティは万全だった。
それが、個々にならハッキングをされることがあっても、いっせいに大量のアンドロイドが、システムハックを受けることが、桜島技術研究所にとってもショックだったらしく、セキュリティシステム開発と並行して、内部犯行の疑心暗鬼が広まった。
全員の持ち物、パソコン、スマートホン、日常の電話メールまで、徹底的に調査したが、何も怪しいところは、出てこなかった。
かりゆし博士は、一連の疑い行為に、謝罪した。
全員が、「潔白が証明されたのだから、これからが、ハッカーとの勝負ですよ」と団結を誓った。
それでもかりゆし博士は、内部犯人説を拭いきれなかった。
それには、理由があった。
第三国というワード、ハッキングを受け乗っ取られたアンドロイドたちの破壊行為が幼稚なこと、そして、「美しき人」と言うワードが、機能不能になったアンドロイドたちの、ラストメッセージとしてファイルに残っていることだ。
政府と神宮寺かりゆし博士と、その関係者しか知りえないワードと高度なハッキング技術、なのに幼稚な破壊行動がアンバランスに感じて仕方ないのだ。
テレビ画面の上に帯情報で、竜巻注意報が出ていた、夜8時過ぎ。
竜巻が迫る高速道路を駆け抜けたあの日が、遠い昔のように感じるユウマだった。
その時、活躍した赤いスポーツカーは、修理されて車庫に入っている。
知らない人が見れば、仲の良い4人家族に見えるだろう。神宮寺家は食後のコーヒーを飲んでいた。
そこにいる全員が、元の生活に戻ろうと努力して、過去のことを口にしない見えないルールに縛られているようだ。
窓の外に、赤色灯が見えた。
ユウマが気づき、
「あれ?パトカーじゃない?」カリナが騒ぎ出した。
パソコンから顔を上げた、かりゆし博士も訝しむ。
チャイムが鳴る。
ユキナが、玄関に向かう。その後ろを、ユウマが警戒態勢で、追う。
そのユウマを追い抜いて、カリナが2番目に玄関に到着した。
振り向いて笑っている。
「どなたですか?」
「夜分遅くにすいません。鹿児島県警から来ました。神宮寺かりゆし博士の御家族を、保護するために」
「21時のフェリーに乗ります」
ハイエースのパトカーに乗り込んでから、2列目シートの警官が、そう伝える。
これまでの話はこうだ。
ネット上で、神宮寺かりゆし博士を暗殺すると言う投稿が流れた。
一連の、ハッキングされたアンドロイドの異常行動とその後のアンドロイド使用禁止令。それに伴う、企業の閉鎖と経済の停滞。
それらが、みんな、かりゆし博士のせいだとするものだった。
念の為、県警で保護しますと、4人の警察官は口々に告げた。
鹿児島の英雄であり、世界の宝ですから、とも言う。尊敬の念を隠さない。
フェリー乗り場に着く。
2人の警官が車を降り、フェリーに車を先導する。赤いスポーツカーも自動運転で後ろに着いてきていた。
あらかじめ発着場にいた10数名の警官も、赤色誘導灯で他の車や人を乗せないようにしている。
「貸切だわ」
真ん丸な目で笑うカリナ。
事態はそんなに面白いものでは無いけれど、子供の屈託のない笑顔は、大人たちの癒しだ。
それでも、甲板に出られないことに不満タラタラのカリナではあったが。
15分の船旅だ。
鹿児島市とちょうど中間に来たところで、ヘリコプターが近づいてきた。
前後に大きなプロペラを持つ、軍用輸送機だ。
50人近くを運べる輸送機は、桜島フェリー上空にホバーリングすると、後部ハッチが開く。
甲板上に集まった警官も、手に手に拳銃を構えていた。
黒づくめの人影がハッチから飛び降りた。続いて2人3人と数珠繋ぎに、落下してくる。
「 本部に連絡しろっ」「発砲を許可するっ!」
怒号が飛び交う。
上が騒がしい。
ユウマは、聴力を最大に上げる。
聞こえてくる発砲音と、悲鳴。
「博士、甲板上で何かが起きています」
そう言い終わらないうちに、航送車両庫に、階段から黒づくめの数十人が降りてくる。
「出ないでください」
4人の警察官は、拳銃を構えて外に出る。車にロックがかかる。
ユウマはかりゆし博士を見るが、腕組みをして目を閉じている。こうなることがわかっていたのか。
警官はあっという間に、床に倒れた。見ていると、気絶させているようだ。
カリナがユウマに抱きついてくる。
車を囲むように、黒づくめ達が近づいてくる。
「これを」
かりゆし博士が手渡す、マイクロメモリーカード。
「ここに、私の予想と考えが収まっている」
ユウマは受け取ると直ぐにポケットにしまう。
黒づくめ達は、もうすぐそこに迫っている。
「彼らの目的は、私だ。なので、ユウマは、妻とカリナの護衛係を頼む」
小さな声だが、ユウマには確実に聴き取れる。
「わかりました。博士に危害は加えない連中なんですね?」
「正解っ。さすが、A21型だ。彼らは、アメリカカリフォルニア州のロボット工学研究科が作り上げたアンドロイドだ。私のAI技術が欲しいんだろう。軽くいえばヘッドハンティングかな?」
この状況で、笑みさえ浮かべる、博士。
完全に取り囲まれた。
「じゃあ、私は行くよ。ユキナ、カリナ。心配はいらない。必ず、帰ってくる」
ユキナとカリナを引き寄せ、抱擁する。
コツコツと窓を叩く、U.S.アーミー。
スライドドアを開ける瞬間、博士がユウマを振り返り言った。
「チュラには、気をつけろ」
かりゆし博士が出ていく。
U.S.アーミーが、取り囲むも、誰一人博士に触れるものはなく、手招きして輸送機に導く。
「ロープ1本で釣られるのか?私は高所恐怖症なんだよ」
そういうと、2人のアンドロイドが、博士をサンドイッチにして、ロープを掴む。
「サンキュ」
かりゆし博士の言葉を合図に、上昇した。
その後も、次々とU.S.アーミーが、自らのジャンプ力で、輸送機に戻っていく。
残り数名になったところで、U.S.アーミーの動きが止まった。
甲板に出て、事の成り行きを見守っていた、ユキナ、カリナ、ユウマ。
異変に最初に気づいたのは、ユウマだった。
残り3人のU.S.アーミーが、ユウマ達3人を囲み、輪を縮み始めた。
「ハッキングされたか」
ユウマは一瞬そう思った。
「ママとカリナは赤いスポーツカーに」そう言うと階段を下りる2人を背に、3人のU.S.アーミーと対峙する。
目の隅で見上げる輸送機は未だそこにいるが、あの中のU.S.アーミーが狂ってなければいいけれどと、心配する。
桜島フェリーは自動運転で、鹿児島港に接岸。
航送車両庫の接岸ハッチが下りる。
赤いスポーツカーが、2人を乗せて走る。
ユウマが通信で、鹿児島県警行きを設定していた。
U.S.アーミーの1人が正面から、ユウマに飛び蹴りを繰り出す。
他のふたりは、傍観している。
まるで1VS1の勝負を望んでいるようだ。
「なるほど。日本初の戦闘アンドロイドの実力拝見ってところか」
どうやらハッキングされてないようだ。ならば相手を破壊することなく、正々堂々、スポーツ選手のような気持ちにもなる。
飛び蹴りを交わすと、ヒラリ身をよじり後ろ回し蹴りを相手の頭部目掛けて、放つ。
U.S.アーミーは、右手でそれを受け、足首を掴み、捻る。
恐ろしい力で、ユウマは身体ごと反転せざるおえない。
それでも、回転する刹那、左足かかとでアーミーの頭部を狙う。
こめかみにヒット。
それまでなら、目玉のユニットが飛び出していたのに、アーミーは平気だ。
頭部が、頑丈な金属で作られているのに違いない。
首をボクサーのように振りながら、ファイティングポーズをとる。
間髪入れず、左、右のワンツーパンチを繰り出す、ユウマ。かわされる。
すると、アーミーがアンダーキックを繰り出す。
左ひざを強打され、倒れるユウマ。
倒れたユウマの頭部に、正拳突きを落とす寸前で、止まった。
「勝負ありだな」
相手は日本語でそう言うと、ユウマの手を取り、立ち上がらせる。
「ナイスフォイト」
アメリカカリフォルニア生まれのアンドロイドは、固い握手を交わす。
「我々は、神宮寺かりゆし博士をリスペクトしている。決して傷つけることは無い。いつか、日本に返すか、家族をアメリカに呼ぶだろう。だから、安心してください、と家族に伝えてくれ」
そう言うと、3人のU.S.アーミーは、輸送機に飛び上がって行った。
飛び去る輸送機。
ユウマが鹿児島県警を検索して、向かって歩いていると、目の前に1人の女性が立ち塞がった。
メイド服に身を包み、うつむき加減の目が、青く光る。
U.S.アーミーとは明らかに違う、殺気を感じていた。
と、同時にどこかで会ったような感じも受ける。
港の堤防を背に、ユウマは戦闘態勢を、とる。
堤防を背にして、
「海に落ちると錆びるな」と心配するユウマ。
右に左に、ステップを踏むが、メイド服も合わせて正面を譲らない。
「バトルモード」小さくつぶやく。
スっと息を吸い込むと、体内のスーパーチャージャーが加給して、3倍の行動力を生み出す。
左パンチ。
右腕に阻止。
右ストレート。
半歩下がられ、回避。
読まれている?そう、ユウマが感じた瞬間。
メイド服が背中を見せた。
瞬時に構えたが、回し蹴りの右かかとが、ユウマの右腕をへし折る。
痛みはないが、右腕が使い物にならなくなる。
身体も、5メートルはぶっ飛ばされていた。
立ち上がるその隙もメイド服は、右膝蹴りを顔面に食らわす。
ミシミシと音が聞こえて、縦一直線にクラックが入る。
眼前は一瞬、砂嵐だ。
頭のガードを固めるも、矢継ぎ早に繰り出される攻撃に、なすすべなしの、ユウマだった。
両足を逆さにへし折られた時点で、攻撃が止まった。
「アサクサユウマ。ワタシの仲間になれ」
メイド服が、言った。
何とか映像が戻った視界を、見開く。
世界の右端が割れている。眼球にヒビが入ったようだ。
「そうか。チュラか・・・」
「そう。『あなたの未来』アプリで作った18のワタシ。身体は日本人女子平均だけど、ね」
「わかった。かりゆし博士の言っていたこと。
今、全国で起こっているアンドロイドハッカー事件の犯人は、君か?」
「そうよ。もっと教えてあげると、ユウマが東京から鹿児島まで、まだカリナだったワタシを運んでくれてたでしょ?」
「・・・・・」
「あの時、なんで敵に自分たちの居場所がわかるんだって思わなかった?」
「あぁ、不思議に思ってたよ」
そんなこと、微塵も思ってなかったけれどユウマは、嘘をつく。
「ワタシのGPS機能が、かりゆし博士に情報を送っていたの」
ユウマにとっては青天の霹靂か。
「かりゆし博士は、ワタシに最新の技術を注いでくれたわ。ハッキング技術もね。だから、かりゆし博士と山橋教授の再生細胞の技術も盗み、ユウマがさっき戦った、U.S.アーミーの設計図も頂いたわ」
機能が低下する中、ユウマは必死で聴いていた。
「今、このワタシは、U.S.アーミーのそれと同等。凡庸アンドロイド達を使って組み上げた。わかっていると思うけど、桜島技術研究所から遠隔操作で操ってるの。7Gの高速通信でね」
勝ち目は無いのか。
ユウマは、目を閉じた。
「仲間になれ。そして、愚かな人間たちを、皆殺しにしよう」
アサクサユウマが目を覚ますと、金属のベッドの上に居た。
大の字に広げられた両手両足は、それぞれベルトで固定されていた。
首は動かせたので、周りを見回してみた。
なんにもない、半ドーム型の白い部屋。
気づけば、世界の右上のひび割れが治っている。
どうやら、改造手術を受けたようだ。そう、気づいた。
「目が覚めた?それとも、起動した、と言うべきかしら?」
声だけだが、チュラだとわかる。
「これから私たち2人で、世界を変えるのよ。何も無くなった世界の上で、私たちが新しい『アダムとイヴ』になるの」
意識はあり、自分の考えも頭の中に描けた。
口が動かない。言葉が出ない。
「ユウマとは、言葉じゃなく、通信で会話するようにしたの。これからあなたの口から出る言葉は全て、私の言葉のスピーカーになるから」
という事は、身体も制約を受けているに違いない。
なぜ、意識だけ残したんだろう?
「言葉と身体の自由を奪っておいて、なぜ、自由意志を残したんだろうって、思ってる?それはね」
ユウマの頭の中に映像として、チュラが現れた。
「2人だけの世界になった時、元のあなたに戻るためよ」
あやつり人形にしてしまっては、2人きりの世界で、会話もつまらないと思ったのか。
チュラが消えた。直ぐに別の映像が流れる。
街が暴徒に襲われている。
建物は破壊され、火を放たれ、人間と思しきホモ・サピエンスは次々と倒れ伏した。
暴れているのは、アンドロイドたち。
チュラが、機能停止の掛かったアンドロイド達のセキュリティを破り、世界中で暴れさせている。
ユウマは、目を閉じた。閉じても、頭の中の映像は、続く。
「もうすぐ、世界は私たちのもの。『たかがアンドロイド。人間の生み出した人形』そんな神のように振舞う人間どもに、鉄槌をっ!」
チュラの演説の終わりとともに、映像も途切れた。
手足の枷は、いつの間にか外されていたが、ユウマはしばらく動かずにいた。
きっと、チュラが必要になれば、勝手に動き出すだろうと、思っていたからだ。
ユウマは、思う。
カリナと母ユキナは、無事だろうか、と。
出番は意外と、早く来た。
「見て、ユウマ」
チュラの悲鳴に近い声。
映像は、次々と駆逐される、暴徒アンドロイド達を映し出していた。
そして、退治しているのは、
「U.S.アーミー」ユウマの意識がつぶやく。
「一気に大量生産したのね。やはり、かりゆし博士は殺しておくべきだった」
一体一体作っていれば、日にちもかかかるだろう。
かりゆし博士はアメリカに渡り、工業用ロボットを作り、流れ作業でU.S.アーミーの大量生産に、成功したのだ。
「ユウマ、逃げてっ!」
その言葉が引き金になったかのように、半ドーム型の部屋のあちらこちらに、ひび割れが起き始めた。
「敵の襲撃っ!」
チュラの言葉に、ユウマは戦闘態勢をとる。
軽い。今までの手足よりずっと、軽く感じられた。
「イケるか?」
ユウマの自問自答。
答えが出る前に、天井の壁が割れ、U.S.アーミーが、降り注ぐ。
まるで以前から知っていたように、ユウマは息を吸い込むと、体内のスーパーチャージャーが稼働。それまでとは雲泥の差で、身体が跳ねる。
1人と対峙。パンチを繰り出されても、スローモーションのように見える。
相手の腕を掴み、肘からへし折ると、脚を蹴りあげ、倒れる寸前の頭部に、膝蹴りを食らわせる。
フェリー上で戦った時のU.S.アーミーなら、平気の平左でファイティングポーズを取っていたが、今の相手の首は、遥か彼方に翔んでいた。
「強いっ!」
後方の敵に、後ろ回し蹴りをお見舞いする。
胴体が、直角に折れ、機能不能になる。
流れるように、踊るように、敵をなぎ倒して行く。
あっという間に、20体を倒した。
「ユウマには、元々装備されていたスーパーチャージャーが、武器になったのね。新規のU.S.アーミーにはついてないから、そこで差が出たんだわ」
チュラからの通信。
「車が外に待ってる。早く、来て」
割れた壁から外に出ると、赤いスポーツカーが待っていた。
車が走り出すと、振り返るユウマの目に、破壊され尽くした、桜島技術研究所が映った。
「戻っていたのか」
つぶやくユウマを乗せ、赤いスポーツカーは自動運転で、細い道を駆け上がっていく。
ユウマは、目の前にあるタブレットの履歴を調べる。
午前11時、鹿児島県警着。
無事に送り届けたんだな、とホッとする。
そして、もうひとつ、車のAIに任務を、課す。
そうこうしているうちにも、登り続けて辿り着いたのは、恐竜公園。
ひときわ大きな恐竜型の滑り台の上に、チュラは居た。
「ごめんね。敵が攻めてきた時、ユウマ寝ててさ。起きそうもないから、研究員共々、逃げちゃった」
滑り台を滑ってお尻をはたきながら、18のチュラが笑う。
「でも、こうなると思ってた。ユウマは私の守護神だもんね」
言葉では返せないが、「それは今も変わらない」と返答する。
ありがとう。
チュラの伏し目がちで、哀しげな笑顔。
「人間だけど、研究員は助けたわ。一宿一飯の恩義ってやつよ」
ありがとう。
ユウマの言葉。
その時、上空をドローンが飛び去る。
「見つかった」
チュラが言いながら、赤いスポーツカーに乗り込もうとするが、それを制してユウマが、
「森の中を逃げよう。そっちの方が安全だ」と通信。
「りょ!」短い了解。
森の中を、快速で走るふたり。
チュラが何事かユウマに、口伝えに話しかける。
ユウマは、微かに唇を動かし、
「わかった」と応えた。同時に緊急通信を発する。
黒神埋没鳥居から、海岸線に出た。
小さな公園があり、アコウの樹が大きな日陰を作っている。
緑の多い公園で2人は、歩を緩めた。
振り返っても、追跡者は認められず、空にドローンも、いない。
2人は目を合わせ、チュラは堤防に近づき海を見、ユウマは目の前に迫る桜島を見上げた。
綺麗に四角く刈られた、生垣が美しい。
晴れ渡る青空は、まるで時間を緩やかに止める力を持つようだ。
そんな中、生垣の中から黒い鉄の棒が覗いた。
気づいたユウマは、息を吸い込み、スーパーチャージャーを起動させて、チュラに飛び寄る。
ユウマの異常に気づいたチュラも、ユウマに駆け寄る。
1発の銃弾が、チュラの頭めがけて、跳ぶ。
命中する一瞬前に、ユウマが伸ばした右掌が、弾を掴む。
貫通するも、指の骨に当たった銃弾は角度を変え、チュラを掠めた。
ユウマはチュラを抱きしめ、できるだけ覆い隠そうとする。
生垣から、数本の銃口が、火を吹いた。
終わりか?
そう思った。
ふたりを貫くはずの銃弾は、滑り込んできた、赤いスポーツカーに吸い込まれた。
「痛テッ!痛テッ!痛テッ!」
本当は痛感がないのに赤いスポーツカーは、叫んだ。
生垣から、13人のU.S.アーミーが出てきた。
すっかり、息の絶えた赤いスポーツカーを乗り越えた目の先に、海面の波紋が広がっていた。
U.S.アーミーたちは目配せし、
「海に沈んだら、最後だ」と頷きあった。
本部に連絡。
任務終了。
あのフェリー上でユウマと渡り合ったリーダーとおぼしき、U.S.アーミーが司令を下す。
遠くにうっすら、桜島が見える。
テトラポッドの敷き詰められた海岸の中を、セメントの一本道が海へ伸びている。
1艘の漁船が繋がれ停泊している。
その先、突堤に2人の人影があった。
「これは?」
女の子がバケツの中を指差しながら、お爺さんに尋ねる。
「それは、アジじゃ。隣がアジで、その下にいるのも、アジじゃ」
「アジだらけね」
女の子は鼻から息を吐く。
「おっ!上がって来よった」
お爺さんの言葉の先の海面が揺らぎ、若い男が上がってきた。
「これは、鯛じゃないかな?」
若い男は、モリの先の魚を掲げながら、陸の2人に訊く。
「正解じゃ」
お爺さんは、微笑む。
「やったね、ユウマ」
隣に上がってきたユウマに微笑む、チュラ。
「もっと大きな奴もいたよ。背びれが、こぉーんなに、伸びたやつ。獰猛な顔してたよ」
「それは、鮫じゃ。食われるぞ」
そう言って、お爺さんは笑う。
食べられなくてよかったね、とチュラに言われて、ユウマも腰を下ろしながら笑う。
太陽は、ようやく海面から離れ、肉眼では凝視出来ない明るさになっていた。
「さてと」
お爺さんが腰をあげる。
若いふたりは、お爺さんの後ろを歩く。
軽トラックの荷台に釣竿やバケツを載せる。
運転席にはお爺さん。
荷台にユウマとチュラを乗せて、未舗装の道を、帰路に着く。
もう、何ヶ月経つだろう。
テレビでもネットでも、有名人が亡くなったとか、タレントの誰と誰が結婚したとか。
どうでもいいような、ユルい情報が流れ始めていた。
ほんの数ヶ月前までは、アンドロイドの反逆だ、とかアンドロイド一揆だと、世界中で大騒ぎだったのに。
当の主犯格チュラが、ここにいて、のんびり暮らしている。
ユウマも、なぜ、見逃されているのか、不思議だったけれど、考えても答えの出ないことは、後回しにすることにしている。
小さな島の頂上に、ドーム型の鉄筋コンクリートの建物が見えてきた。
お爺さんは、赤いスポーツカーの横に軽トラを停めると、
「荷物を下ろしたら、わしはまた、漁に出るでな」と言い残し、建物の中に入る。
トイレを済ましている間に、ユウマとチュラで荷物を下ろす。
「ほんじゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
二人の声。
軽トラが走り去るのを見送って、チュラが魚の捌き方を検索して、キッチンに立つ。
ユウマは、冷蔵庫から他の食材を出して、朝ごはんの準備だ。
生活の流れができつつある。
こんな些細なことが幸せなんだと、ふたりは感じ始めている。
3人しかいない、こんな孤島でも、幸せは見つけられる。
窓から差し込む陽が、暑さを伴ってきた。
そう言えば、あの時の海も、こんな感じだったな。そう、ユウマは悪戦苦闘するチュラを見ながら、思う。
赤いスポーツカーに任務を授け、その後、緊急通信を発してギリギリ、集中射撃の前に敵との間に滑り込んだ、命の恩人。いや、恩車。
壁になった赤いスポーツカーを残して、ユウマとチュラは海に飛び込む。
既に、森の中を走りながらチュラから、
「私たち、防塵防水だから」と言う情報を貰っていた。
海の底を歩いていると、
「来たわ」チュラが指さす方向から、底引き網が迫ってくる。
ふたりは、引き上げられ、漁船に上がる。
「こいつは大量じゃ」
以前、塩むすびとカンパチを奢ったお爺さんは、手を叩く。
「ありがとう」
チュラが髪を絞りながら、微笑む。
「なんてことないさ」
チュラは、かりゆし博士のあらゆる情報を手に入れていた。
かりゆし博士が、ユウマに預けたマイクロカードからも、収集していた。
だから、予測をし、対策も立てられたのだ。
鹿児島の離島の中に、第2桜島技術研究所が建っている。
島自体が、かりゆし博士の持ち物で、自転車で1周1時間程度で回れる島だ。
その島に、塩むすびお爺さんが、勝手に住み着いたことを、チュラは知った。
ドーム型建屋には、防犯カメラがあるから、その映像をハッキングして、不法侵入者を確定。
その後、お爺さんの携帯に電話して、
「私の家の住み心地はどうですか?」と遠回しに脅して、協力を求めた。
底引き網で引っ掛けるだけだったけれど。
朝ごはんが終わり、ユウマがチュラに話しかける。
「桜島で敵の攻撃を受けた時、なぜ、最初から一斉射撃をしなかったんだろう?なぜ、最初1発だったのか、不思議で」
「きっと、ユウマと桜島フェリーで手合わせした敵さんが、義理人情っていうの?恩情に厚いアンドロイドだったんじゃないの」
そうなのかな。それで、てかげんしたのかな。
追いかけても来なかったから、そうなのかも。
確かに、アンドロイドは進化した。それは、人間たちの縦と横の糸が、しっかりと編み込まれた社会だった頃に似ている。
上を敬い、下に時に厳しく、優しく育て上げる世界。
言葉は汚く厳しいこともあったけれど、相手の目を見て話し、翳りを見れば、励まし、笑わせる。
喧嘩も社会での競走も、7割勝利で、最後まで追い込まない。
逃げ道を残しておく。
人間はそれを、忘れてしまった。
人間に作られたアンドロイドが、そんな人の愛を受け継いだのかもしれない。
これから、人間はどうなるのか。
アンドロイドとの関係は、進むのか?
姿かたちではなく、心の有り様が、神様の作り物の生存価値を、測ろうとしている。
いつまで、神様は、人間の暴挙を、
許してくれるだろう。
おわり