第30話「別離、そして失われた日常」
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翌日からボクは道場に通いつつ地下室に特訓に行く日々が始まった。ボクの体中に痣や打撲が増えても道場で稽古の時に出来たと嘘を言ったし、上手く誤魔化せていた。ただ放課後に学校から直帰していたので家に帰るのはいつも夜遅く、21時を過ぎる時もあった。そしてそれから一週間、夏休みが始まった。夏休みは一日中、地下室で特訓が出来る許可が貰えた。
「さて、今日も行こう。昨日は川上さんや勇輝さんに二発入れられたしな」
「あ、信矢少し待ちなさいっ!! 今日は!!」
「ゴメン、母さん、今マジで、やりてぇ事があるんだ!! 帰ってから話は聞くからさっ!! それじゃ!!」
そして今日も朝早くから道場に向かおうと家を出た時に狭霧の家の前にトラックが止まっていた。何かあったのか気になったけど、今日も鍛錬に忙しく帰ってから聞く事にしようと先を急いだ。今日は道場では無くそのまま地下室に向かう。今日から三日間は師範が他道場に出稽古の手伝いに行くので道場は閉まっている。
「すいませんっ!! 遅くなりました!!」
「五分おせえぞ!! 春日井!!」
「そうですな~。それでブツは買って来たのですかな?」
ボクは途中の商店街で買って来た焼きそばパンとコロッケパンやカフェオレなどを地下室に居る男性陣の三人に渡して行った。零音さんは今日は用事を終わらせてから午後から来るらしい。今のボクの扱いはどう見てもパシリだけど別にお金は普通に渡されている。ただこのように雑用みたいな事は全部ボクがやらされている状態だ。そして、この地下室の清掃などもボクがやっていた。
「おしっ!! 掃除終わったら鍛えてやる!! 柔軟やっとけ!!」
「はいっ!! 勇輝さんっ!!」
道場でやっているのが『稽古』なのだとしたらこの地下でやっている事は『訓練』だった。型では無く打ち込み、スパーとは違い実戦形式、だから怪我も増えていた。だけど教えてくれる人たちが優秀だから痣や打撲はあっても大怪我にはならない。師範はボクの変化に気付いてそうだけど黙認してくれていた。
「そらっ!! また最初に構えに入った!! 『攻撃します』なんて見せたら相手は警戒すんだろ!! ノーモーションで殴れ!! 蹴りを入れろ!!」
「はいっ!! うおりゃあ!!」
「掛け声上げるのは良いが、決め手や不意打ちの時に上げたらバレんだろ!! 頭を使えっ!! 声を出すなら一撃で決めろ!!」
「はいっ!! すいませんっ!!」
確かに言われればその通りだ。互いに構えている状態な喧嘩なんて存在しない。先手をいかに取るか、どうやって不意を突くか、確かに理にかなっている。武道として正しいさとしてはどうかと思うけど喧嘩なら間違いなく正しい動きだ。
「春日井。お前に聞きたい事があるんだが?」
「はいっ!! 川上さん!!」
「お前、いくら何でも体力無さすぎだろ、この一週間見てたんだがサブより少し体力有るくらいじゃねえか? なんか持病持ちか?」
「いえ、生まれてこの方そんなのは無いです」
そう言うとまた難しい顔をして黙ってしまった。そしてちゃぶ台で何かノートに書き出して、どうしたのだろうか?と、そんな事を少し考えていたのも束の間、その後すぐに勇輝さんと、ひたすら殴り合いをする事になった。そして疲れてぶっ倒れた俺を見ながら二人が話をしていた。
「竜、さっき言ってたのお前もやっぱ気になったか?」
「はい。コイツ武道の基本は出来てるけど体力が無いっすね。てか持久力っすかね? タイマン張って何分もやり合ってたら疲れますが……コイツのはちょっと」
「ま、そう思って俺もここ一週間パシリさせて走らせてたんだが……もっとちゃんと走らせなきゃダメか」
なるほど、あれにはそう言う意図があったのかサブローさんだけは「そうだったの?」みたいな顔をしているけど川上さんは特に驚いていない。どうやら二人で決めていたようだ。
「あの……ボクはどうすれば?」
「ま、昔から取り合えず体鍛えたきゃ走れってのが俺の持論だな。体力も付くだろうしな。春日井、明日からランニングをそうだな最初は二キロだな。それを終わらせてからここに来い」
そして今日はそこで解散となった。明日からは二キロ朝から走った後にここに来る事になる。ちょうど良いから今から走って帰ろうと思って走って帰ると家の玄関前で母さんと狭霧一家が居た。
「信矢!! やっと帰ってきた……って、あんたその顔どうしたの?」
「ちょっとね。師範の技を受け損ねて。それより皆で集まってどうしたの?」
見ると俯いた狭霧と奈央さん、無表情の霧華ちゃんと明らかに作り笑いを浮かべているリアムさん。何と表現したらいいか分からない緊張感が母さんからも伝わってくる。そしてリアムさんが口を開いた。
「ああ、信矢。突然なんだがねボクと霧華はここを出て一度遠くへ行く事になったんだよ……その挨拶をね……」
「は? それって……どういう……」
「しばらく距離を置く事になったんだ。私と霧華は私の国、つまりアメリカへ」
「そう言う事なんだ……明日の便で立つからこのまま空港の近くのホテルに行くの、じゃあね、シン兄……」
え?どう言う事?そんな話今の今まで聞いて無かったよ。最近は疎遠だったけど、それでも時間が解決してくれると思ったのにどう言う事なの?え?思わず母さんに振り返ると母さんは首を横に振った。
「もう決めてしまったらしいの。私も聞いたのは昨日の夜で……」
「そんな……」
「最後にさよなら言えて良かったよシン兄。じゃあね。ママとお姉ちゃんも向こう着いたら電話するね……」
それだけ言い残して二人は行ってしまった。あっけ無い、あまりにもアッサリとした別れだった。そして頭だけ下げると狭霧と奈央さんは二人とも家の中に入って行ってしまった。だけどボクはこの時、実は最低な考えが浮かんでいた。あぁ、良かった。さぁーちゃんはどこにも行かないんだ。安心したって……。
「家に入りましょう、信矢」
「……うん」
それから定時で帰って来た父さんがため息を付いてリアムさんから電話だけもらったとだけ言って、我が家でも重苦しい空気が漂った。だけどここで母さんがそう言えばと思い出したように言った。
「そうそう、奈央とリアムさんだけど、別居であって離婚じゃないのよね。そこは思い留まったらしいわ二人とも。最低でも二人が成人するまではって事みたいね」
「そうか、つまりまだお互いに未練はあるんだな……しかし自国に戻るのはやり過ぎだ。あのバカ野郎が……一言相談しろよ……ったく」
「ねえ、これって、ボクが……原因……なのかな?」
思わず言ってしまった。ポツリと何気なく。そして少しの間、両親は沈黙してしまった。父さんはともかく母さんは腹芸の出来る人だ。その人が咄嗟に演技すら出来ない程ボクの意見は適格だったようだ。
「そっか……やっぱり」
「な、何言ってるのよ……そんな大人の世界は単純じゃないわよ……夫婦のことは夫婦にしか分からないわ。子供が気にする事じゃないのよ!!」
「ああ。二人の決断だ。それに信矢、お前は残った狭霧ちゃんの事を考えてやらなきゃいけないんだぞっ!!」
そうだ。ボクが守らなきゃいけない今度こそ狭霧をそう思って決意を新たにしようとしたボクに冷水を浴びせるように母さんが言った。
「あなた……その……奈央たちも明後日には、あの家を出るのよ……昨日聞いてね。思い出が有り過ぎるからって……あの家」
「なっ……そう、なのか……離婚する訳じゃないからどちらかが残ると思ったのだが……そうなのか……」
その後に何か父さんと母さんが何か話していたみたいだけどボクは完全に茫然自失の状態で何も耳に入っていなかった。そして重い足取りで二階の自室に入る。どれくらい経ったのか窓の月明りがボクの頬に流れた涙を照らしていた。
「ボクが……弱いから、弱かったから……みんな居なくなるんだ……みんな」
それから次の日、ボクはふらふらになりながらランニングを終わらせた。二キロはきつかったけど必死に走っている間は嫌な現実を忘れるにはちょうど良かった。鍛錬にもイマイチ身が入らず勇輝さんにも川上さんにも怒鳴られた。二人を宥めたのは零音さんと意外にも愛莉姉さんだった。なぜか頭を撫でられたのが不思議だった。
◇
そして別れの日が来た。この日は鍛錬を休むとボクは勇輝さんに言って道場にも断りを入れていた。今日も隣にはトラックが来ていて荷物は運び出されていた。母さんが最後だからと狭霧たちを昼食に誘って四人で昼食をとる。母親同士は色々と話しているけどボク達には一切の会話は無く二人の質問に答えるだけだった。それから二人はボクらに遠慮したのか席を外した。
「…………ね、シン」
「なに? さぁーちゃん?」
「ほんとはもっと早く言いたかったんだ……」
「そっか……」
それだけ言うとまたお互い黙ってしまう。そしてその後に母さんたちが「時間よ」と言って積み込み終わった荷物が入れられたトラックが出て行き。二人だけが残った。母さんは二人を車で送るそうだ。
「じゃあね……シン」
「うん。さぁーちゃん……もし、また会えたら今度は……」
「うん。また会えるから、今度はもっと話そ……じゃあねバイバイ」
そして狭霧を乗せた車は出て行ってしまった。ボクは車が見えなくなるまで見送って、そして涙を流した。もう泣きはしない、大好きな子が遠くに行ってしまった。でもまた会えると信じているから……。
お読みいただきありがとうございました。まだまだ拙い習作でお目汚しだったかもしれませんが楽しんで頂ければ幸いです。読者の皆様にお願いがございます。
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