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私がこの家に来て六年、日々は驚くほど単調で平和だった。父母は静かな愛情を注いで私を育ててくれた。そうして私は、15歳になった。
その日、父はいつも通りに畑に向かった。テーブルの上に私のための書き取りと計算が用意してあったのもいつも通り。母は、これから洗濯場に持って行くための洗濯物を仕分けていた。
全くすべてがいつも通りに、何事もなくその日がすぎるのだと、私は信じていた。
昼をすこし過ぎたころ、父が突然帰ってきた。私と母は夕飯の仕込みをしているところだったが、この父の帰宅に驚いて窓から空を見上げた。
「雨でも降ってきたの?」
私たちが最初に雨を疑ったのは、父の洋服がぐっしょりと濡れていたから――その日、父はグレーのTシャツを着ていたのだが、これが濡れて濃グレーに見えた。
だが、空は雲一つない晴天で、雨の気配すらない。
「いったい、どうしてそんなに濡れてるの?」
振り向いた母は、「あ」と小さく叫んで声を飲んだ。私も振り向いて、そして、父が尋常ではないことに気づいた。
父の顔は真っ青で、その体は真冬の寒い中に放り出されたかのようにガタガタと震えていた。
「あなた」
母の呼びかけに応えようと開いた口からは、だらだらと大量のよだれが流れ落ちた。
これがソドシックの初期症状である。人体の60パーセントは水でできており、それを細胞中にとどめておくには塩分が必要である。ところが、この塩分が急速に失われるのだから、水分は人体内にとどまることができず排出される。だから塩の柱の中心はミイラ化し、生前の面影など何もない枯れ木のような悲しい姿になるのだ。
父は水分の排出が始まってすぐ、畑から家に向かって這ってきたのだろう。ズボンは泥に塗れていた。もはや自分が助からないことを知っていながら、最後に一目でいいから家族の姿を見たいと願ったのだろう。
この時の父の気持ちを考えると、私はひどくむなしい気持ちになる。父は死後の世界というものを信じていなかった。最期にどれほどの想いで家族の姿を瞼の裏に焼き付けようとも、死んで灰になればそれまでなのだということを良く知っていたはずである。それでも父は私たちに会いたいと願った。それを思うだけでもむなしくて、涙がこぼれる。
父はまず母を見て、よだれの垂れた口元から「ありがとう」と言葉をこぼした。母はこの時もやはり、泣いていた。
それから父は私を見て……何か言いたそうに、何度も何度も口を動かした。それでも寡黙な男の悲しさか、父の想いは一つも言葉にはならなかった。
いったい父は、あの無言のうちに、どれほどの想いを私に伝えようとしたのだろうか。それが一つも言葉にならないことが悲しくて、私は泣きながら父に言った。
「お父さん、今までありがとう」
父の表情がふっと緩み、笑顔がこぼれた。
「お母さんのことを、よろしく頼む」
そういうと父は、よろよろとした足取りで再び畑の方へと歩き出した。私は思わずそれを追ったのだけれど、父はそんな私を突き飛ばして叫んだ。
「来るな! お前は見ちゃいけない。これから生きるお前は、私の最期なんて、見なくていい!」
これが私が父からもらった最後の優しさであり、父の姿を見た最後の瞬間だった。