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そんな母とは違い、父は寡黙であった。根暗だとか、私を嫌っていたとかではない。口数の少ない、実直な性格だっただけだ。
ときどきは父について畑仕事を手伝うこともあった。幼い私の仕事は作物の間に生える小さな草を抜くことで、これはとても楽しい仕事だった。
大きく広がったキャベツの葉をかき分けて、細い草の芽を探す。ときどきは青虫を見つけたり、また、バッタが葉の陰から飛び出すこともあって、私はそのたびに歓声を上げて虫取りに興じる。だから手伝いというよりは遊んでいる時間の方が長いのだが。
そんな私の横で、父は黙々と畑を耕す。怒っているわけでも、私を無視しているわけでもなくて、それが父の性格なのだ。
いよいよ虫取りにも飽きて、私が畑の真ん中に座り込むと、父は畑仕事の手を止めて私を見下ろす。もちろん言葉などなく無言のまま、父は決まってポケットから、きれいな紙に包んだ飴を出してくれた。
飴玉一つですら貴重な時代である。それでも父は私を畑に連れて行く日はいつでもポケットいっぱいの飴玉を詰め込んで、そうやって、私のことをかわいがってくれたのである。
この父母との生活は私にとって幸せなものだった。
そんな幸せに影が差し始めたのは、私がこの村に来て二年目の春--この頃には私はニンゲンのような喜怒哀楽を獲得し始めていて、母のように泣いたり、父が飴玉をくれるたびににっこり笑ったりと、簡単な感情の表現ができるようになっていた。そして、父母に深い愛情のようなものを抱き始めてもいる、そんな時だった。
「お葬式へ行くよ、黒い服を着てらっしゃい」
私にそう言った母は、どれほど泣いたのか目を腫らしていた。死んだのは、洗濯場でよく顔を合わせる少し太ったおばさんだった。おばさんのお葬式には村中の人が来ていたけれど、誰も棺を覗き込もうとはしなかった。
その理由を教えてくれたのは、私より二つ年上の人工生命体の少年だ。
「ソドシックだったんだってさ。死体は塩になってしまって、ふためと見られたもんじゃないらしいぜ」
ソドシックとは、これこそがニンゲンを滅亡させた恐ろしい病だ。これが発症すると、ニンゲンは塩の柱になって死んでしまう。
本当に体の芯まで塩になってしまうのではなく、本来なら血液中や細胞内に収まっているはずの塩分が体表に吹き出してしまう病なのだが。
体の表面を塩で覆われた姿は、たしかに塩の柱に見える。そして、体内から塩分の全てを失ったニンゲンは、当然死に至る。病理は解明されておらず、ワクチンも、治療法もない。ニンゲンが人口の三分を失ったのはこの病の感染爆発のせいである。
この時の私は、そうした情報に疎かった。だから、少年に聞いた。
「ソドシックの流行は、もう終わったんじゃないの?」
少年は得意そうに小鼻を膨らませた。いかにも得意そうな、嫌な顔だと私は思った。
「ばっかだなあ、お前は」
ぴくん、ぴくんと小鼻をうごめかせて、少年は胸を張る。
「終わったのはソドシックの大流行、ソドシック自体は根絶されたわけじゃないのさ」
私はなんだか嫌な気分になって、話を早く切り上げようとした。
「ふ~ん、そうなんだ」
適当に相槌を打ってその場を去ろうとするが、その少年は私の前に立ちはだかって行く手をふさいだ。
「なあ、知ってるか、ソドシックってのは体の小さな子供の方がかかりやすい、だから、もう地球には、ニンゲンの子供は残ってないんだってよ」
これが私たち人工生命体が作られた理由――私たちはニンゲンとはわずかに違う物質で作られており、ソドシックを発症することはない。地球上にニンゲンがいなくなった後、地球上に残るニンゲンの遺産を守るものとして、私たちは作られたのだ。