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食事がすむと私は、『ユウコ』が使っていた部屋に通された。そこには『ユウコ』のものだった洋服やおもちゃが、そのままとっておいてあった。
父母は、これらのものを指さして私に言った。
「これは今日から君のものだよ、好きに使うといい」
さらに母は箪笥を開けて、明らかに仕立てたばかりの花柄のワンピースを出して見せてくれた。
「こんなご時世だから、新しいものはこれしか手に入らなくてねぇ、他はおさがりばっかりで、ごめんね」
いくら私が娘の代用品であっても、これはもらい過ぎだ。人口減少による人手不足で物流も製造業も乏しい時代、これらの古い品は売りさばけばそれなりの額になったはずである。父母がそうしなかったのは亡くした我が子の形見を手元に置いておきたかったという心情もかなりあったはずなのだ。
その大事な形見の全てを私に譲り、そのうえ新しい服まで用意してくれたという二人の愛情に、私は少し面食らった。このご時世に新しい布地など、どれほど高価なものであったことかわからない。
「あ……りがとう……ございます」
ぎこちなく礼を言って顔をあげると、父も母も、少しだけ悲しそうな顔をしていた。それでも、感情を獲得していなかった頃の私には、二人を笑わせるようなことなど一つも思い浮かばなかった。
それでも父母は、そんな私を本当の娘として迎え入れてくれた。二人との生活はおおむね平和で、静かなものであった。
ニンゲンという種族が滅びに向かっているのだから、田舎での暮らしは自給自足が原則である。父は朝から畑を耕し、夕方まで畑を耕して暮れるような生活をしていた。母は家にいて家事一切をするのだが、電気製品が少ないのだからそのほとんどが手作業である。
これは、曲がりなりにもニンゲンが栄華を誇っていたころの生活の名残を残す『街』とは違って、とても新鮮だった。
『街』ではパンデミック以前の家電製品が修理を繰り返しながら使われていて、洗濯には洗濯機が使われる。しかしここでの洗濯は川に洗濯物とチビた石鹸を持って行って、すべて手洗いなのである。私はこれを手伝うために、毎日母について川へ行った。
川といっても大きなものではなく、農耕地の間を流れる、飛んで越せるほどの小川だ。それでも洗濯に適したポイントを主婦たちは心得ていて、晴れた日の午前中であれば村中の女性がここに集まる。
『村中の』とはいっても人口減少のさなかであり、しかも人少ない田舎のことでは、大人の女性は五人程度のものだったが。だから全員顔見知りであり、彼女たちは川に浸けた洗濯物をもみながら、他愛もない話などして午前中を過ごす。
私は子供であったのだから、こうした大人たちの会話にすぐに飽きてしまい、母の手伝いで小さな洗濯物を少し洗った後は、川面に跳ぶトンボなどを追いかけて過ごした。
ニンゲンを失いつつある大地はゆっくりと太古の姿を取り戻しつつあり、川を流れる水は澄み切っていた。その水面に立つさざ波が日の光を砕いてチラチラ、チラチラときらめく。その光のひとかけら目指して無数のトンボが薄い羽根で空気の中を滑ってゆく光景は美しくて……あれはいまだに、私の人生の中で最も美しい思い出の光景なのである。
このころの私は、この静かな日々がずっと続いていくものだと無邪気に信じていた。母のそばについて家事を手伝い、父が畑から帰ってくるのを待って家族で食卓を囲み、床に就いて静かな寝息を立てる、この喜ばしき日々がずっと続くのだと……。
しかし、この時にはすでに、ニンゲンは滅びの宿命を抱えて、滅亡の寸前に立ち尽くしている状況だったのだ。私はこの時はまだ、それを知らなかった。