02 お日様の王子様
* * * *
彼女に初めてあった日のことは、きっといつまでも忘れないことだろう。
僕が生まれた場所はコランダム王家。
現国王とその妃から生まれた待望の第一子、つまりは第一王子だ。
国の最高権力である王家というだけあり、何不自由無くさも当然のように甘やかされて過ごしてきた。
最初はそれが普通で嘘偽りなど一切ない本来の在り方なのだと、その時はそう思っていた。
けれど、成長するにつれて知識を身につけると途端にものの見え方は変わった。
水面下で起こる派閥争い、国家転覆を企んだ僕を殺すための暗殺未遂、周りを取り巻く全ての人間が信じられなくなった。
弟が生まれれば、今度はその魔の手が弟達にも伸びていく。
双子の弟達がいつか僕のように他者の悪意に絶望して誰も信じられなくなる、そんな二人をいつか見なくてはならないなんて僕は耐えられなかった。
誰も信じられない、信じたそばから味方は裏切っていくのだ、誰も彼もが我欲のために僕を利用しようと取り入ってくる。
───しかし、自分の周りだけの事に気を取られていたうちはまだ良かった。
父の付き添いで行った町で僕は初めて貧富の差、そして望まれなかった子供というものを見た。
今までの自分がどんなに恵まれていたのか、そして、だからこそ憎まれてしまう存在なのだと知った。
あまりに重い現実から少しでも逃げ出したくて、僕は父が公務で訪れた侯爵家の者と会談している間に温室庭園にやって来た。
この庭園の一角には大きな一面の花畑がある。
温室には似つかわしくない花畑は幼い頃、弟達が生まれて、でもまだ僕に構って貰えていた頃に母様がここでよく花かんむりを作ってくれたりした思い出があって僕は好きだった。
そこでぼんやりと過ごそうと思っていたのにそこには見知らぬ先客がいた。
弟達と同じくらいの年齢だろうか、あどけない見た目の少女だが深い瑠璃色の髪が光に照らされて艶やかな雰囲気も纏っている。
花畑の中心で楽しそうに微笑むその姿は、まるで幼い女神様が花かんむりを作っているようだった。
やがて少女を眺めて立ち尽くす僕の視線に気付いた彼女は僕を真っ直ぐに見つめ、そして天使のように笑いながら出来上がった花かんむりを差し出した。
「どうぞ、お日様の王子様!」
「お日様の…王子様?」
「お日様みたいに素敵な赤い髪だからお日様の王子様ですわ」
そう言って、えへへ…と照れ笑う小さな女神に僕の視線は釘付けになった。
こんなにも、何にもとらわれない無垢な少女がその時の僕にはあまりにも綺麗に見えた。
────きっと、どんな宝石なんかよりもずっと。
そして少女は僕を花畑まで連れて行って座らせると、初対面にも関わらずぎゅうっと抱きしめた。
突然の出来事に驚いて動けないでいると、少女の温かい体温と鈴がなるように可愛げな声が耳をくすぐる。
「ふふっ、悲しくなくなるおまじないですわ。悲しくて辛い時はこうして誰かにぎゅーってして貰うと気持ちが楽になるんですのよ」
「……っ」
どうして、初対面のこの少女がそんな風にいうのだろう。
そんなにも僕の顔は落ち込んでいたのだろうか。
「…も、もし悲しくなかったら余計なお世話ですけれど…」
「ううん、ありがとう。」
「…!!やっと笑ってくれましたわ…!」
僕がそう笑っていうと少女は嬉しそうに笑い返してくれる。
僕の笑顔ひとつでどうしてこんなにも嬉しそうに笑ってくれるのだろう。
「…本当はお母様には家族か、本当に好きな人にしかやっては駄目よと言われていたのですけれど…お兄様には特別です。だからもし…お母様に会っても…ナイショですわ」
しーっと人差し指を口元にあてて悪戯っぽく笑って見せた少女はもう一度花畑へ座り直した。
けれど、どこからか誰かが探している声が聞こえてくると少女は再度立ち上がる。
「お父様だわ…そろそろ行かなくちゃ。では…お日様の王子様、私はそろそろ失礼いたしますわ」
ドレスの裾をたくし上げて可愛らしくお辞儀してみせると少女は軽い足音を立てながら花畑から出る。
しかし一旦花畑の境界線らへんで立ち止まると、ドレスを翻しながら振り返った。
「ああ、お兄様。何があったかは分かりかねますが、どうかお兄様に幸あらんことを!」
終始笑顔だった彼女はそう言い残してまたドレスを翻しながら小走りで立ち去っていった。
名前も聞く間もなく嵐のように去っていった彼女の笑顔が今もなお、僕の心に残って離れなかった。
「名前だけでも聞けばよかった…」
今までのことがあり、初対面の人間には名乗るのが怖い癖が出来ていたようで彼女には名乗れなかった。
あんなにも優しい子だったのに。
後で使用人たちから聞いた、屋敷に来ていた少女の名は『ラブラ・ドル・ライト』という事を知った。
手紙を送ろうにも彼女も僕の名を知らないために送りづらいし、直接会いに行くだけの勇気は僕にはなかった。
そして、そうこうしている間に時間だけが過ぎていった。
───だからきっとあの時彼女を一目見て、言葉なんかよりも体が先に動いてしまったのだ。
* * * *
またもハグ魔爆撃機王子こと、ラチア様の更なる爆撃から数日が経とうとしていた頃。
清々しいまでの有言実行ぶりをみせるラチア様と対面しつつ、二人ぼっちのお茶会が始まっていました。
まったく何をどうしてこうなった!!!
しかも奇特な事に私が城へ行くのではなくラチア様が我が屋敷に訪問する惨状。
婚約者であれば分からないでもない光景だが、全くもって私達は清い関係です。
「そう言えば、ラブラ様はもうすぐ誕生日だとエンジェ様にお聞きしたのですが」
あのお茶会は夜には双子王子の誕生日記念舞踏会に変わり、そちらには私を除いた家族が招待されていた。
私はまだ誕生日を迎えていないので、とりあえずお留守番させられていました。
そしてラチア様は私のいない間に私の家族と色々と関わっていたようだ…
ちなみに、エンジェ様というのは私のお母様の事である。
「もうすぐ、と言ってもまだあと一ヶ月も先の話ですわ」
「舞踏会には、我がコランダム家総出で参加させていただきますね!」
「そんな…総出でなんて……!」
本当に彼は私の一体なんなんだろうか。
なんだか気付いたらサラリと婚約者になってましたって感じになりそうな雰囲気で、とてもやりづらい。
情報収集のお茶会はあのラチア様の発言以降探し回ったもののヘリオ様はいなかった。
やはりあのお茶会には参加していなかったのだろうか。
ラチア様の会話に受け答えしつつそっとマフィンを手に取ると、開くはずのない扉の開く音が聞こえてきた。
「ごきげんよう、ラブラ様」
「え……?」
女の子にしては低いようなアルトの声が足音と共に部屋の中へ入ってくる。
廊下からハウが慌てた声で「ヘリオ様!お待ちください!」と声をかけながら走ってくる。
ん?今、聞き間違えていなければヘリオ様と聞こえたような……?
驚いて視線を勢いよく声の主の元へ向けると、散々ゲームで見てきた長い金髪が、視界の一面を埋め尽くした。
うん、普通に男の子でしたわ。
「君は……確か…」
「お話中申し訳ありません、ラチア様。でもあの噂のラブラ嬢にはぜひ挨拶をと思いましてお邪魔させていただきました、ヘリオ・ドールと申します」
「ラ、ラブラ・ドル・ライトですわ」
緩くまとめられた長い金髪は、丁寧にも礼までしてくれた彼の動きにそって動いた。
そんな彼の動作を見つめていて挨拶をし損ねた私は慌てて自己紹介した。
「ライト侯爵家に少々用があったついでの挨拶になってしまったのですが…そうだ。申し訳ないので今度、私ともお茶して頂けませんか?ラブラ様」
お人形さんの様に綺麗な笑顔で、しかも現在進行形でお茶会を開いている相手の前だというのにとんでもない爆弾を投下してきたぞこの金髪美青年。
「ああ…ラチア様もご一緒にね。お二人とは是非たくさんお話してみたいんです」
今まで忘れていたかのような声色でさも一緒に誘っていましたよという風を吹かしてくる彼の精神は肝が座っているのを通り越すレベルで屈強だ。
とりあえず、取り落としそうになったマフィンを戻してラチア様の様子をうかがった。
「僕はラブラ様がそれでいいなら構いませんよ」
「…………。」
そう言って私の視線に困った様に笑うラチア様。
ラチア様、全ての決定権を私にぶん投げて自分は悠々と考える事を放棄しましたね…?
「ふふっ、じゃあ決まりですね!今度は私も呼んでくださいねラブラ様」
「え!?あっ…ちょ……」
私の意見は全くもって聞く耳持たずに綺麗な顔で笑って勝手に決めると、念を押すように言い残して部屋を去っていった。
と言うかドール家とライト家って関わりがあったのか。
そして私は彼は意外と話の通じない程に二面性が強いのだなと改めて認識した。
「なんだか…勝手に決められてしまいましたけれど…大丈夫でしたか?ラチア様」
「僕はまあ…構いませんよ」
流石は王子様、社交慣れしているものだ。
こっちの世界では友達一人も居ない私とは大違いだね、うんうん。
思わぬ所で急所攻撃を食らいつつ、脳内で対ヘリオ様の話題をどうやって作ればいいのか頭を抱えてしまう。
ただでさえラチア様というとんでもない人の前で下手な話は出来ないぞラブラ・ドル・ライト…!!
「そ、そういえば…!ラチア様は王妃様に似たお日様みたいに素敵な赤い髪ですわね」
「……!!」
なんとか微妙な空気が漂う現状を打破すべく、当たり障りのない話題を振ることにした。
しかし、当たり障りのない話題のはずが目の前のラチア様は目を見開いていた。
え、なにか不味い事でも言ってしまったのだろうか。
「ラチア様…?ど、どうかされましたか?」
不安に駆られ、恐る恐る声をかけるとラチア様はいつも通りの笑顔に戻った。
ひとまずは不敬罪沙汰にならなくて済んだことにほっと胸を撫で下ろす。
「ああ、いえ何でもないのです。昔、同じ言葉で褒めてもらった事があって少し驚いただけで……」
「ふふっ…きっと、その方も私と同じ事を考えていたのですね」
「そうですね…きっと同じ事を考えていたんです」
まあ確かにこんなに見目が麗しければ褒め言葉が被ってもおかしくはないか。
ラチア様の言い方はまた違った意味のような気がするが、細かい事なんて気にしてはいけない。
ラチア様はほんの少しだけまた複雑そうな顔を一瞬だけみせると懐かしそうに目を細めた。
頑張って近所のおばあちゃんを参考に話題をひねり出しながら話し続け、そろそろ日も落ちるであろう時間にラチア様はようやく帰って行った。
正直、こちらでの人生ももうすぐ十五年になるがその中で一番疲れた。
精神的にも生きるか死ぬかの草食動物の気分と言っても相違ないだろう。
ラチア様一人でこれなのだからヘリオ様を交えたらと考えるだけで先が思いやられて仕方が無い。
「お嬢様……お気持ちは分かりますが目に見えてため息をつかれてははしたないですよ」
「分かってるけど~~ハウがヘリオ様を止めてくれないから……」
「無茶を仰らないで下さい、私が追いつく頃には既にお話は終わっていたのですから私には無理でしたよ…」
ほんの少し申し訳なさそうにはしているもののハウの口は止まるところを知らない達者さだ。
ため息をつき、唸りながらベッドをゴロゴロと転がっているとハウはほんの少し息をつくと「ですが」と続けた。
「お嬢様が例えどんな方に嫁がれてもハウはついて参ります。ですからそんなお顔をされないで下さい」
ハウの男前なセリフに思わずドキッとしたが、いやそうじゃないのよハウ。
「いや待って、私は何もまだ嫁ぎ先を迫られているんじゃないわよハウ……」
「同じようなものではありませんか、個人的にお茶会を開いてまでお嬢様にお会いしたいだなんて」
「いやいや……そんな訳……」
単純に友情を育みたいという選択肢は一ミリたりとも無いとキッパリ切り捨てるハウ。
でも私を嫁にしてもなにも利益なんて無いようにも感じる。
だって相手は第一王子に侯爵家だ、我がライト侯爵家は表立った派閥とも無縁で中立的だ。
第二第三王子には多少の利益はあれど前者の二人にはなんのメリットもない。
───まあだから理由がわからなくてある意味怖いのだけれど。
生まれ変わってみて初めてラブラ・ドル・ライトという少女の裏事情を見た気がした。
ゲームでの彼女は全くそんな素振りはなかったが、ゲーム開始の一年前からこんな毛色の濃い経験をしていたとは。
一抹の違和感はあるが、お父様はかなり多くの人間と交流を深めているからだと無理矢理納得した。
────だからこそ私はこの時本当に何もわかっていなかった、最初から歯車は狂いだしていたのだと。